蒼月のクオリア
玖良先
Rustysky 2097ー1
廃工場地帯の北の端、建物の屋上にジャンは立っていた。
もうすぐ日が暮れるころ、夕陽が辺りを一色に染めて、見渡す限りの工場群がオレンジ色の陰影に包まれている。
どこまでも続く廃工場群の列は、遥か地平線のかなたまで伸びていた。全ての資材の発着場でもある屋上のポートは、ところどころが崩れていて、打ち捨てられてからの年月の長さを物語る。一つの建物が数十キロに渡り、入口から出口に向かって作業が流れていく仕組みになっていて、中途の工程で必要な材料などは屋上から運び入れていたため、隣の工場との間隔は数メートルしかない。
西を見ても東を見ても、同じ形をした建物が列をなしている。不気味なほど物音ひとつしないこの工場群は、オセアニア共生連合のインフラや生活物資の製造のほとんどをになっていた。
フルオートメーション。
当時、完全な無人で稼働していたこの工場群は、もしかしたら今とさほど変わらない不気味な姿だったのかもしれない。そうジャンは思った。
その時、強い風が吹いた。
まきあげられた砂塵が体中に当たり、思わず身体をかがめる。
砂漠地帯独特の乾燥も酷い。ジャンはフライトマスクのスイッチを入れた。湿度は17%、気温はだいぶ下がってきて15度だった。これから夜に向かってまだまだ下がるだろう。
身震いをしながら空を見上げた。
粒子の細かい砂がオレンジ色の空に舞い、薄い灰色の渦巻き模様を作る。
生物の生存には厳しい環境だろうことは想像に難くない。今見ている景色と身体に当たる砂粒が気持ちを萎縮させる。
早くこの場から離れたい、そう思った時、フライトマスクが信号音を発した。
ジャンは左手でマスクの右側のスイッチに触れ、応答する。
『ジャン、見つけたぞ』
一緒に来ていたマルティンからの連絡だった。
「ホントか?」
ジャンは素直に驚きの声を上げた。もし見つけたのであれば、二か月振りくらいだ。
『場所はここだ』
フライトマスクの視界に情報が示され、ジャンは位置を確認する。
その間も砂粒がマスクに当たり、パチパチと耳障りな音をたてる。
『お前がいる位置から17分、南南西に進んだ所だ』そう言ったマルティンの声は少し緊張してるようにも聞こえた。
「今行く」ジャンは短く告げると、Pat《パット》(Personal air transfer)に乗り込み、位置情報を転送してオートで飛び立った。
ヒューン、というPatの動作音だけが軽く響くコクピットは、さっきまでの荒れた砂嵐が嘘のように静寂が包んでいた。フライトには一切触れない、発着も全てPatまかせなので、手放しでマルティンから送られてくる作業風景のライブ映像を見ていた。
『おい、今回はナニが出ると思う』
語り掛けてくるマルティンの声は上ずっていた。どうやらいつものように興奮しているようだ。
「ナニって、年式のことか?」
『ああ、どうせまた72年型か、古くても70年型だろうけどな』
どうせまた、というわりには、期待の方が大きいような奇妙な言いようだった。ジャンは、そんな時に右側の口角を上げて苦笑いをするマルティンのクセを思い出していた。知らない人が見れば、悪だくみをしている関わってはいけない大人に見えるだろう。いや、そうでもないか。知ってるオレから見てもマルティンはかなりの変人だ。あながち間違いじゃない。
マルティンの目線から送られてくる作業風景は、全体的に薄暗い。作業用のドローンの2機のうちの1機が、少し高い位置からスポットライトをあてていた。6本の足を最大限に伸ばしているようだ。レンガを模した何かで積み上げて作られた円形状の井戸のようになっていて、そこからもう1機のドローンが様々な大きさの石をすくい上げている。どうやら目標のソレは、井戸の中に積まれた石の下にあるらしかった。
「マルティン、そこは建物の中か?」ジャンが問いかける。
『ああ工場の中だ。多分、精密機械の洗浄に使う原水を採取するための井戸かな?』
ジャンはPatのパネルを操作して、廃工場群の過去の設計図と、それぞれの工場で製造していたものなどの詳細なデータを検索してダウンロードした。それと今作業している場所を照らし合わせて、その井戸のグラフィックを映し出し、マルティンのデータと重ねてみた。井戸の深さは約7.23㎞。過去にここで製造していた製品はハイウェイの振動検知のための常設デバイスに使用される精密部品と示されていた。どうやらマルティンが言うように、原水を汲み上げるための井戸らしい。だとすると、水を汲み上げるための巨大な真空ポンプがあるはずだ。設計図にもそう記されている。
「ポンプはどこ行ったんだ?」
『ポンプは無かったよ。変わりに何かの合金製のフタが乗っかっていただけだ。お陰で拾った信号はかなり微弱だったがな。これを見てみろ』マルティンはそう言って年代別の製造記録をスクロールしていった。
お互いのマスクの前面シールドには分割した映像が映し出されている。作業風景と共有データ、それぞれが操作しながら共通の情報認識を、ジャンが現地に着くまでの間に済ませてしまおうという意図がある。これもいつもの仕事風景だが、薄暗い場所のためか、マルティンが居る空間が妙に寂しく、殺伐とした雰囲気が漂っている。ジャンは言いようのない不安にかられていた。
『65年に製造する製品を変えてるな。街灯用の単純な明滅コントロール基盤だ。これなら水は使わない』
「それで井戸を埋めたのか?随分と非効率な気もするが。7kmも掘っておいて、作るモノを変えただけで、ハイ、サヨナラか。大胆なのか単純なのかアホなのか、オレには理解できんよ」あるいはその全部か。ジャンはそう思ったが、口には出さなかった。その後にマルティンが言う事も予測できたからだ。
『(羊)が計算したんだ。恐ろしく合理的で効率的なんだろうよ。オレらみたいなタダ《タダ》の人間には理解できないさ』大げさに首をすくめて両手の平を天に向けてるマルティンの姿が目に浮かぶ。それらもセットでジャンは予想していた。
(羊)とは、Electric sheep《電気羊》の略称でオセアニア共生連合のメインAIの呼称だ。インフラの構築や行政の執行、全ての交通のドミネーションや保安局などの運営も一括管理している、言わば社会構成そのものの(生みの元)である。一次産業の穀物や野菜類の栽培管理、人口タンパク質の生成に至るまで、ありとあらゆる人間が生きていくために必要な社会運営をになっている創造主ともいえる存在だ。今となっては当たり前のように(羊)と呼び、(羊)の創り出す世界を享受している人間たちだが、50年前後に起きたシンギュラリティではその革新的なAIの進化を利用した、今後減り続けるであろう人類を補完するためという名目のもとに打ち立てられた象徴的な名称でもある。
――現在の自分と1万年先のだれか――
ジャンの皮肉はそこにある。概ね正しいのだろうが何か気に入らない。この閉鎖した工場を解体しないで放置している理由も【2万年後には全ての構成材料は自然に分解され更地になっている】
ということだった。最初に聞いた時は冗談にしか思えなかったが、(羊)の説明は【解体にかかる
『ジャン、もうすぐ出るぞ』
マルティンからの呼びかけに、我にかえったジャンは、現場に着くまでの時間が2分だということと、自分が行くまでそのままにして待っててほしいことを伝えた。
現場の屋上に着き、Patのキャノピーを開けて外に出ると、更に気温が下がっていた。上着を着てからマスクのライトを点けて、搬入口の横にある人間用の出入り口の扉を引っ張り、階段を下りた。カン、カン、カン、と響く音の反響が、空間の広さを物語っている。
下を覗くと作業用の工作ドローンの明かりが見えた。マルティンもいる。中央には製造ラインと、その横にあるロボットアームが等間隔で無数に並んでいる。それが光が届く見える範囲で果てしなく続いていた。
ジャンは目まいがした。こんな建物がいったいどれだけあるんだ、何も手を付けずに放置してるのにも狂気さえ感じる。
そう思わずにはいられないほどに圧倒的だった。人の臭いがしない、誰かが作ったこの場所は、寒気が止まらない不気味な光景だった。
『おう、今から再開するぜ』
目的の場所に着いたジャンに向かって、マルティンはそう言うと、再びドローンを操作し始めた。
どうやら、自分が感じているこの恐怖は彼には無縁らしい。横顔を見ると溢れんばかりの好奇色が滲みでている。まあ、そうだろうなと、ジャンはため息をついた。
安全を確保するために5メートルの距離をとり、離れたところから操作パネルを使ってコマンドを入力する。セミオートなので複雑な操作はないが、現場のあらゆる状況を判断しながら適切にコマンドを打たなければいけないので、思っているよりも繊細な作業だ。マルティンはそれが上手い。普段の言動や行動からは想像できないほど、本人のイメージと
「深さはどれくらいなんだ?」
『4メートル弱だな。石の層の下は砂だ。井戸を塞ぐ時に砂漠の砂を使ったんだろ。目標はその砂の層の中だ』
なぜこんなところに?、ジャンは考えていた。状況的には(隠した)ことに間違いはなさそうだが、それにしては場所が不可解だ。この工場に関係している誰かかもしれないが、砂の中に埋めて、重たい石を何個も運び入れてから、さらには合金のフタを乗せる。カンタンに出来ることじゃない。やろうとした行為と、それこそ熱量《カロリー》のバランスがとれていない。ただ、今までのケースでも異常な現場というのは結構見てきたが、、いや、今はやめておこう。そのうちハッキリするさ。
ジャンは現状だけ見てもすぐに答えは出ないと判断して、考えるのはやめにした。
2機のドローンが連携しながら石を持ち上げてどかしている。その石も、もう僅かだ。シールドの視界にはドローンからのカメラ映像が移されていて、二人は黙ってそれを見ていた。やがて砂地が現れて、下にいる方のドローンが前足のカタチを変えて中央付近を掘り始めた。そして掘るのをやめると、4本の足を砂地に入れてソレを抱きかかえるように持ち上げた。
砂埃で視界が悪いが、どうやら目標は掘り出されたようだ。
「マルティン、ライトをもう少し明るく、あと、エアブローだ」
『ああ、、』
マルティンは目を見開いて画面に集中していたが、手だけを動かしてドローンを操作、ライトの輝度を変えてから、さらにエアーをかけた。
ソレは姿を見せた。
まるで人間にしか見えない、精巧な人形。
服のようなものは何も身につけていなかった。白い肌がライトに照らされて浮き上がり、ライトの反射を受けて不気味に浮かびあがる。
手足が、、、、ない
『おい、おい、おい』
マルティンが更に目を見開く。
『おい、おい、マジかよ! 年代もんだぜ!』
てっきり手足がないことに驚いたと思ったジャンは、マルティンのその反応に驚いた。
それにしても何度見ても慣れない。ソレが出てくる瞬間は、やはり死体を連想して背筋が冷たくなる。自分だけではないかもしれないが、それでも人よりも臆病だと思いたくない。ジャンは平静を装いながらも、足の力が抜けていることを気づかせまいと必死になって立っていた。
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