花街ダイニング
まるた曜子
第1話 セリ1-1
眩む光。それから? 声。順番は、たぶん。蓋が開いたんだというのはだいぶたってから。マーナが泣きながら抱きついてきたので、外にいるって気がついた。
その光がササヅキのランタンだとわかったのは次の村に着いて状況を説明するよう求められてから。自分の手も見えない箱の中で、かすかに隣のすすり泣きやノックの音だけが意識を戻した。真っ暗で、吸い口のついた水袋だけ掴んでた。水だけで、でもそこまで衰弱してなかったのでたぶん3~4日のことだろうって言われたし、きっとそうだと思う。だけどそのあいだ膝を抱えて箱の中で、しゃべることも排泄を我慢することもできなくて早くに意識は飛んでたと思う。―――自分の境遇について積極的に考えたい待遇じゃなかったからね。
あたしが生まれる前から戦争が続くこの国では、『うまくやった人』と『搾取されるだけの人』の貧富差が地域差で定着していて、あたしの村はもちろん後者。口減らしに女工として雇われていったのは村でもあたしの他に5人はいた。マーナ以外の子がどうなったのか、たぶん予定通り紡績工場に行ったと思う。あたしとマーナだけこうなった理由はあとでわかった。工場に着く前に分けられて仲介人が変わったのを見たのが最後の光景だ。
ともかく、あたしは朦朧とした現実逃避から意識を取り戻して、簡易な鎧を身につけた軍人らしい人の背中を追った。どうやら助けてくれたようだ。けど、助かったのかな? 次になにが起こるのかわからず、残りの箱から他の子たちが取り出されるのを見つめていた。
「お前らどうした? なにが起きたかわかるか?」
残念ながら、その質問に答えられた子はいなかった。
「……あん? なんじゃこりゃ、糸か? 縫われてんのか。うええ、えげつね。悪いが糸切りバサミは持ってねえんだ。次の村までそのままだがナイフじゃ引きつれるからな、我慢しろ」
あたしたちの唇には1ヶ所、上下を縫い合わせたところがあって言葉は出せなかった。隙間から吸い口で水をすするのがせいぜいだ。
「全部で10人か……。まあ、まっとうな所行じゃねえのは確かだな。お前らが積まれてた荷馬車は車軸がイカレて走らない。この面子で野営は無理なので夜通し歩くぞ。幸い街道は広い。この時間にゃ他の馬車も通らないだろうから真ん中いける。少しはマシだろ。まあ、ゆっくりな」
たまたま近くにいたあたしの頭が撫でられる。よく見るとみんな年上のようだ。ひとつ上だけど同じくらい小さいマーナはあたしの後ろに隠れているし、撫でやすい位置だったんだろう。
一番年上そうな女の子が―――女の人かな、地面に何か書き始めてそれを軍人さん?がのぞき込み「バカはお前だ」と鼻を鳴らした。
「よっしお前リーダーな、そんだけ元気ならしんがりを任せる。ロープがあったからみんなこれにつかまれ。真ん中に一番チビ、前後歳順に掴まれ。で、最後最年長だ。不満か? お前の後ろでチビ共が倒れて置き去りにされてもいいのか? ここらは朝霧がでるんだ。ロープから離れたら迷うぞ。一番後ろで見張ってろ。見たとこ他のと毛色が違うがそれくらいお嬢さんでもできるだろ。決定」
獣避けの煙を燻して、あたしたちに順番に浴びさせる。「重いなあ」とぼやきながら死んでるみたいな仲介人たちを次々に担いで煙に当てる。
「こいつらは荷馬車に置いてく。運ばせねえから安心しろ」
誰かの顔色を見たのか、ぐったりした仲介人を抱えながら軍人さんが笑った。いびつな笑顔が少し怖かったけど、日が差してから見た左頬には、まだ赤く、触れたら破けそうな引き攣れが額から顎にかけて走っていた。
獣避けはミントがすごくきつくなったようなもので臭かったけど、たぶんあたしたちは相当臭かったはずたから軍人さん―――ササヅキはもっと臭かっただろうなって同情する。10人もの人数が箱の中で汚物まみれだったのだ。
まだ夜深い街道沿いの森縁で、でもランタンは導くように揺れた。
村といってもあたしの村よりずっと大きな町だった。そこでササヅキはおばさんたちにあたしたちの洗浄を託し、体調確認と住民台帳照合のお医者さんを手配し、役人さんと複数の男の人を連れて馬車へ戻り、ササヅキの剣で死亡した2人を除いて3人の仲介人を事情聴取に連れて帰ってきた。どこへ向かったのか早馬が出され、あたしたちは中心部にある宿に集められた。
「お、ましになったな」
今までの服は数日で使い物にならないレベルになっていて、おばさんたちはササヅキから古着の手配も頼まれたらしい。川で溺れるほどくるくる回されて、宿の浴場で泡だらけにされて、清潔な温かい服に着替えさせられた。まだ秋口とはいえ、夜露に濡れ朝霧に濡れ川にさらされたあたしたちは冷え切っていた。唇を縫い付けた糸は最初に切られたけれど、身支度にずいぶんかかったので温かいスープにありついたのは昼を回っていた。唇の糸の跡がピリピリ痛くて、スープは少しずつスプーンで喉に運ぶように食べる。啜るのも痛い。
明るいところでヘルムを外したササヅキは最初の印象ほど大きくなかった。腕や足はみっしりしてるけど、村にいた力自慢のワッカより小柄。でも腕には細かい傷跡があって、特に顔の傷は痛々しいし、耳の後ろから顎には盛り上がった縫い跡がある。傷を避けるように無精髭が生えてて、それを差し引いても父さんよりだいぶ年上なかんじ。明るいクリーム色の髪の毛が白髪みたいで歳がよくわからない。村長様より上かも。
「まだ詳しいことはわからないが、あいつらは本職の仲介屋だった。工場勤務も嘘ではなかったようだ。けど、人数指定は特にないらしく、他のことに使えそうな奴は別口に横流しするのが常態だったようだな」
「他の……とは、奴隷、とかかしら」
最年長のレジーディアンが服装にはそぐわない上品さでボウルを撫でる。たぶんホントにいいとこのお嬢さんなんじゃないかっていうみんなの勘は当たってた。あたしたちにとっては普段着、むしろ一番いいかもっていう古着は、レジーディアンにはかわいそうなくらいみすぼらしかった。品位って内側から滲み出るものらしい。
「そういうのもあるだろうが、今回は違う。お前ら診察は受けたな。全員のことだ、全員に教える。お前たちみんな《石の子供》だな? そんな不思議そうな顔するなよ」
「それがなにかしら」
代表してレジーディアンが質問する。
「大ありだ。行き先はティルンガ、あそこは石狂いの国だ。手配人の依頼書によると帝都にある研究所に送られる予定だったらしい。あの国が法律で《石の子供》を国有化してることは知ってたが、まさか余所から密輸もしてたとはな。ただの人身売買とは話が違う」
《石の子供》。確かに、あたしもマーナも額に
『《石の子供》は幸運を運ぶ』って言葉がある。それは知ってるけど、みんなあんまり信じてない。だって黒石持ちはそんなに珍しいわけじゃないし、《ふたつ石》もすっごく珍しいって数じゃない。
「まさか人攫いが依頼書なんて保管してるものかしら」
「一応その辺は『現在確認中』だな。もちろん違う可能性もある。だが、それこそただの人攫いで女郎屋か奴隷売買の予定だったら、あそこまで人運びに無頓着になるはずないんだ。なにしろ売り物だからな」
「そうね……」
「とくにお前さんはそうだ。レジーディアンといったか? 名前からすると貴族だろ。そんなやっかいな相手まで手を出して、あんな小汚い扱いは逆効果だ。もちろん行方を眩ますとか誤魔化すのはあるだろうが、程度がある。高く売れるものを安く見せる必要がまったくない。だが《よつ石》持ちとなれば別だ」
「……」
《よつ石》はさすがに珍しい。初めて聞いた。
レジーディアンは困惑を浮かべて頷いた。あたしは交わされる言葉についていくのに精一杯で、お嬢様を高く売る方法や奴隷売買に想像を巡らすものの茫洋として―――なにしろ見たことがない―――首を傾げるしかなかった。ササヅキの言葉を聞き漏らさないことだけに集中する。
「たぶんどこかでまた偽装がとられる予定だったんだろう。馬車の故障があったからあんなとこで夜営したんだろうな。役人と俺はもう少し大きい話になると予測してる。とりあえず俺の元上司に連絡したからなにがしかの回答がくるはずだ」
「曖昧なことばかりですのね」
「そらしょーがない。昨日の今日で、俺はたまたまお前らを見つけただけで、もともとあいつらを調べてた、んじゃない。不明点ばかりだ」
この人はたまたまなのに随分厄介なことに突っ込んでしまったようだ。
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