日記(とりとめのない)

【この日記はさっき喫茶店で書いたものをパソコンで打ち直しているので少し様子がおかしいかもしれませんね】


 日記、日記なのだろうか。

 久しぶりにノートとペンで自分の字で書いたものを書き写して書こうと思っている。でも、もう

 どうやって書くのだったか忘れた。このまま何もかも忘れるのかもしれない。今日が何日なのかもわからない。

 いつ頃からこうなのかも分からない。ずっと前からか今この瞬間だけなのかも分からない。毎日、何度も、このまま何も書けなくなったらどうしようと考える、そう思うようになったのが、いつからなのかも全く、少しも分からない。


 もう少し雨が強ければよかった。あるいはもう少し暗ければ。

 実際に殆どすべてのことは明るさの問題であるような気がしている。

 あるいは、寒さの問題?


 この喫茶店は、2027年になくなるのだそうだ。

 ビルごとなくなって新しくなる。そうしたら、今と比べものにならない位に明るくなるだろう。


 とりとめがない。


 いつも、何を書きたいのか、ということが少しも分からない。

 世の中の人は、でもよく理由、あるいは実? それは何であるのか何を目的としたものなのか、そういうことを聞いてくる。

 私にはすべての物事の理由が分からない。したいことがない。食べたいものが分からない。分かるのは寒いとか眠いとか、あとは

 と書いてみているとき、そのあとは、に続く言葉は少しも思いついていないのだ。こういう風に、私の生活(つまり書くこと)には理由がない。先に言葉があって、その後をずっと探している。

 理由や目的がわかっていてする生活はどんなものなのだろうか。自動筆記がすぎるのだ。もう少し、速度を落とす必要がある。けれど速度を落とした瞬間に、眼の前にはなにもいなくなる。

 コップがある、水がいっぱいにはいっている(さっき店員さんがいれてくれた)水の上に、ちいさなほこりが、2つ浮いている。ほこりは、ひとつ、ふたつ、と数えるだろうか。

 ずっと真ん中にほこりが浮いていて、今私の筆圧で揺れて、けれど真ん中からは動かない。


 作田優さんの『逃亡日記』を読んだ。とてもとてもいいものだった。こうして人の生活が私の記憶になるのは、とても不思議で心地よくてだから日記が好きなのだ。人の日記には匂いとか、さわりごこちとか、なんでもあって、生きていると思えてよい。感傷的になれる。


 寒い。とても寒い。冬はもちろんさむいのだけれど、それは季節のものなので耐えられるし好きだ。でも、夏と夏の前の寒さは、人為的なものなので耐えられない。殆ど一年中寒い。ずっと寒い。


 さっき本屋で本を立ち読みして、明確な、はっきりとした、理解があった。私は文字を読むのが、本当に苦手だ。ずっとそのようなことを言っていたけれど、さすがに、真実であると理解した。突然。

 人の口にした言葉とそれに似た言葉しか理解できない。説明書が読めないので、いつも間違える。何を言っているのか、本当に理解ができないのだ。だから、とても困る。

 一個一個、分解して理解しようとしてみる。たとえば、一個という言葉それはわかる。分解、それもわかる。理解。全部知っている言葉だ。それを、まとめて形にしてみようとすると、具体が私には分からない。それがどのような肉感をもった意味なのか。

 この文章は私が書いているので分かる。でも人の書いたもの、特に、何かを説明する文章が、分からない。

 でもこれが誰かが何らかの状況で口にした説明ならわかる。つまり景色のある言葉は理解できる。だから私がなんの努力も要せず読めるのは戯曲だけなのだ。そこには景色と台詞しかないから。


 気持ちが悪くなってきた。やめればいいのにまた紅茶をのんだから。

 吐き気がする。寒いし、悲しい。というより、無力とか、展望のなさ。そういう感じが、血の中に、体の中にあって、吐き気が。


 やっぱりとりとめがない。この日記をどこに上げようというのだろう。カクヨムかnoteか? そういうことも、よくわからないな。

 小説をもう長いこと読んでいない。でも、そもそも小説をよむ文化が私にはない。家にはたくさんあるけど、殆ど読みきってない。でも私は、本当に本が好きで好きで仕方がないのだ。

 不思議だね。


 ハヤカワSFコンテストの1次選考に通っていた。

 全然しらなくて、バイト先のなかよぴさんがおしえてくれた。言ってくれなかったら気付かなかっただろう。バイト先の人が喜んでくれてとても嬉しかった。

 最近バイト先で仲よくしていた子が、たぶん酷いクレームのせいで辞めてしまった。内容は分からないけど、ずっとこの店で働くつもりだと言っていて、だから私にも辞めないでね、と言ってくれていたのでとても悲しくて淋しい。その先に一人の人間の人生があるということを肉感として理解していないお客さんと対峙するのは本当に疲弊する。

 それから、社会は、ちゃんと社会に参加できる人が作っているのだということを改めて思い知らされて、うつろな気持ちになった。ちゃんとした人が作った社会に私たちのような人間が排除されていくのは、ごく自然なことだ。私はバイトをクビかバックレでしかやめたことがないので、ちゃんとしている人の言動をあびると、少し、とても、土の中にもぐりたくなる。ちゃんとしていないのが悪いのだろうけど、でも、ちゃんとすることができるのならば、このような人生は生きていない。

 この人生が、まちがっているとしても、それでも生きていけるということを、どうにか、見せてあげられればいいなと思って、生きている。


 フォロワーにも、はやくいい結果を見せて、見せて? 喜んでもらえたらいいのにな。1次通って、いろんな人によかったね、っていってもらえてうれしい。

 久しぶりに通過した。もう20年もこんな生活を続けていて、でも、やっぱりこの瞬間はうれしい。でも落ちると、その日は体に価値を感じられない。でも次の日になるとまた夢をみている。夢というのは、社会にみとめられるということ。たくさんの私たちに大丈夫だと証明すること。


 やっぱりとりとめがなかった。家に帰る時間なので、おわりにする。

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