今日はビスク鍋を食べました!
ビスクってなによ?と書きながら思ったので調べたけどぬるりと忘れた。アメリケーヌ的な何かそんなようなトマトっぽい雰囲気がするような気もしないでもないような、なんかそんなやつ。
結構久しぶりにこの日記を書くのでどんな感じが忘れてしまった。
最近はカクヨムさんのギフトがもらえたりなどする機構?なんていうんでしょうか、システム的なものが出来上がって、ギフトをもらえたので嬉しくて限定近況ノートというものをちょろっとあげていた。女子高生ガールズバンドをやっていたときの話がしていてとても楽しかった。とはいえなかなかギフトくれたら読めるよ!みたいなことは言いづらいじゃないですか、そんなね、そんなあれではないですし今日はぜんぜん言葉が出てこない。ガールズバンド回顧をしていたらこれは一本書けそうだなとも思ったので、来年もカクヨムコンにエッセイ部門があったら書こうかなーなどと思った。
まじで普通の日記である。
ここ昨今のわたしが何をしていたのかというと、母がなんかお腹いたい気がする~つって検査に行ったらそのまま入院してしまい「腸閉塞寸前で死ぬところでした」みたいなことで「多分ガン」みたいな情報が突然もたらされたのであった。
多分というのは「おそらくガンではないか」という推量の意味というよりは「たぶんガン」という情報自体が曖昧であり、というのもコロナっちのために本人とは面会ができず、私はその時バイト先にいたのだが、なぜか今日病院に行ったということを知らないはずの姉から「お母さん入院するよ」と連絡が来て「え?なになになになに?」となり、続けざまに兄から「今公園に遊びに来てるんだけど?」と謎の電話が来て「え、公園? なになに?」とバイト先の寒い誰もいない踊り場で体の中を「人工肛門」「桜」「電話したけど」「コロナ」「ちょこあーんぱん」といような情報が錯綜して、まぁ「ちょこあーんぱん」はその日私が食べていただけなのだが、とりあえずパニックになったので魔法の白い錠剤を飲み、そのおかげでぼんやりハッピーな感じで一日をやりすごし、そうして家に帰るころには「大腸がとりあえず絶対にたぶんガンでやばい」みたいな曖昧かつやばいということだけがわかる統合された情報がもたらされたというのが正しいことのなりゆきである。
その後は検査のために一週間くらい確定した情報がおりてこず、本人にずけずけとガンと言われたのか、どういう状況なのか、と聞くわけにもいかず、うちの家族は母を介してしかやりとりをしないので、まちまちに情報がおりてきたりこなかったりなどして、非常に不安定な日々を過ごしたのであった。
そうはいいつつ、一人暮らしの経験がない私は家の中で右往左往しながら、花瓶の水を取り替えたり、食器を洗ったり、線香の匂いをかいだり洗濯物をたたんだりなどしなければならず、そういうことをしている時には普段なら絶対に見ないほっこりホームドラマみたいなのを流すのがちょうどよく、エセ関西弁で「イケメンしかおらんのか」「不法侵入!」「どういうことやねん」などと大声で茶々を入れたりなどして暮らしていてそれはそれで楽しかった。とはいえ頭の片隅につねに「ガン」がいるので、これは来たるべき時がきたのだな、と強く思いその一週間でさまざまな想定をして、一回想定の中で尼寺へ行ったりなどしたが、なんやかんや一週間後には解脱の様相を呈していたのであった。
一週間後、先生からお話があるという例のやつがやってきて、なぜか母は兄や姉は忙しいだろうから私だけ来てくれたらいいよ、みたいなことを言っており、え、なんで神経衰弱の末っ子だけ連れ出すん!?とエセ関西弁を引きずりながら強く思ったが、私は聞きたくないとも言えず恐ろしい気持ちであった
結局なんやかんやで兄が着いてきてくれるということなので安心したのも束の間、受付で待機している間に兄と二人でどのように時間を潰せばいいのか分からず「なにそのキーホルダー」「ドラえもん」「ふーん」「映画のだよ」「買ったの?」「買った」という獣のにじりあいのような会話を繰り広げるに至ったのであった。
しかるに、我々は血がつながっているのであるから、兄も姉もそれなりに私のようなコミュ弱な面も持っているのかもしれず、そういえばそのあたりは幼少期には私の方が「誰とでも仲よくなれる」みたいな感じで兄弟の中でも群を抜いていたような気がしないでもない、というようなことを震えながら(まじで緊張と寒さと人見知りで震えていた)考えたりなどした。昔はあんなに仲がよかったのにな。私が神経衰弱になったばかりに接し方がわからぬのだろう、もうしわけない、と思った。数字が覚えられないので302号室を203号室と兄に教えてしまい怒られたりなどした。申し訳ない。
そんな感じで緊張をしていたのだが、お医者さんの姿を見た瞬間になぜかまったく緊張をしなくなり、他人事のように腸の内部の写真をみながら先生の話をメモしまくっていたら、別にいいことは一つも言ってなかったのにどういうことかわからんがみるみる気が晴れてきて、部屋を出る時には魔境を払い除けた僧のような境涯に至っていた。母は半年以上腹が痛いのを言わずに病院に行かなかったらしく、そのせいではないだろうが進行がんで他にも転移してるかもねーみたいな感じだった。
その後一度リフレッシュ休暇的な感じで母が家に戻り、私はそれまでちょっとずつ覚えてきた家事をすべて忘れてしまった。しかたがない。忘却力がないとこの体で生きるのはあまりにもつらすぎる。
母が家にいた間のことは特に覚えておらず、覚えていることといえば立派な梅の花が家にやってきたということだけだ。花というか、枝。近くの梅林でバイトしている母の友人の娘が持ってきたくれたそうだ。
まじで記憶がない。解脱に近い心持ちだったからか、まったく普段と変わらぬ生活をしていた。なんなら使わないものを持ちすぎるとか、食べない物を買いすぎるとか文句さえ言ったような気がする。なんて罪深い人間なのか、重病の母に。とも思ったが、私が心無い人間であるのは今にはじまったことではないので、今更反省したところで治るわけもない。
で、昨日手術の日となったわけである。
手術はさすがに付き添い、というか家族待機みたいなシステムがあるらしく、私はなんでか手術は2~3時間だろう思っていたのだが前日に「5時間くらいみてくれたらいいみたい」という情報がまわってきて、まじか、と思ったのである。
付添には姉も来てくれるということだったので、手術の一時間前に受付に集合ということだったのだが、姉、現れず、母からの「手術が早まったみたい」との情報が来て、一方受付では「揃ってからお声掛けください」と一蹴され母姉から「渋滞してて間に合わないかも」「もう手術室行くって」「通話」「通話終了」みたいな情報が錯綜し、結局受付の人に「もう始まるんで上にいってください!」と追い出されて駆け上がり家族控室みたいな所に来ると徒歩で母がやってきており「行ってくる!」というので「あ、う」みたいなことを言いながらなぜか私は母のバンバンと手のひらで4回も強く叩いてしまった。いや、部活か!?とも思ったが、励ましの方法がそれくらいしか思いつかなかったのである。
で、驚くべきことに家族控室には机がなかった。入院している病室の面会室みたいなところにテーブルがあったので、てっきりこっちにもあると思ってめちゃくちゃ勉強道具を持ってきてしまった。部屋にはただのベンチに綿が入ったような様相の椅子があるばかりである。
めちゃ明るい。めちゃ海が見える。オーシャンビューのホテルかと思う。快晴なので波がずっときらきら光っている。窓辺でミドルがパソコンを広げて仕事をしている。先に手術をしている方の家族だろう。しかしこの家族控えというシステム、なかなかどうして心身にくる。というより家族というシステムが心身にくるな。
姉が到着した。子供のご飯を食べさせるのに手間取ったというような話であった。急激に緊張して腹が減った。病室の面会室には机もあったし自販機もあったので、勝手にそんな雰囲気だと思っていたのでお菓子をたくさん買っていたのだが、オーシャンビュー家族控室はなんなら飲食禁止の趣があった。
二時間くらい無言ですごした。というか正味五時間無言で過ごしたのだが、別に仲が悪いというわけではなく何を話したらいいのか分からないし、お話をするような雰囲気の部屋ではないのである。それだけ時間があったのに英語の例文は7つくらいしか覚えられなかった。トイレは一階まで降りなければならず、そのたびに「トイレ行ってくる」というのが正解なのか、無言でいくべきなのか分からなかったので(最初の一回は自然にトイレ行ってくると言えたが二回目も言うべきか分からなかった)ずっとトイレを我慢していた。最後のほうはもうどうすればいいのか分からずそわそわしていたが結局「トイレ行ってくる」と言ってから階段を降りた。「いってらー」と返事がきたので嬉しかった。
で、死んだ腰でなんとか5時間を過ごした。というか5時間は過ぎていた。で、やっと名前を呼ばれた。三時間前にミドルの家族が手術室から出てきたとき、それがわりとラフな感じで「終わりましたー」「お疲れ様~」みたいな雰囲気だったので、まぁそんな感じだろうと思っていたが、呼ばれて行ったら、まだ母は出てきておらず、手術着を来たお医者さんが何か青色のプラスチックの箱を持って立っていた。
見ると臓器が入っている。
でかい。あまりにもでかい。そんなに臓器ってとっていいものなのか。でかめのズッキーニくらいある。人体すごい。あとなんかめっちゃ臓器。想定の15倍くらいの臓器である。脂肪色というのか、赤色というのかピンク色というのか、色味のことはさておきマジ臓器。臓器が気軽なプラスチックに入っている。
正直臓器が気になって先生の話がぜんぜん頭に入ってこなかった。いかんいかん、と思って話を聞こうと思ってちゃんと話を聞いたが、やっぱり頭に入ってこなかった。総合すると思っていたよりもだいぶヤバいということであり、そんな気はしていた、とただ思った。こう思い返してみると冷静っぽく聞こえるが、まったくそんなことはなく、そもそも臓器対面の時点でもうだいぶ強めに全身から汗が出ていた。あと臓器の匂いがめちゃ臭かった。
まだ麻酔が冷めないので待ってろということで、家族控室に帰った。オーシャンビューの景色は藍色になっていた。こんなに藍色になることがあるのか、藍色とういより、なんだろう、ちょっとスカイブルー的な、そんな色味はともかくとしてマジ臓器だった、というようなことを思いながら腰を落ち着かせ「やばくない?」「やばい」という話を姉とした。久しぶりに打ち解けて話をした感じがする。これからのことを少し話したりなどした。家をどうするのかとか、なにややりたいことがあるのならやっておかなければ、ということなど。
手術に行く前に、手術が成功したら旅行に行きたいというようなことを言っていた(そして私はそれをゆる~い相槌で無視したのであった)それに対して姉が「みんなってどの範囲?」というので「え、わかんない」と言った。みんな、という言葉の指し示す範囲の具体を、私は今まで一度も考えたことがない。
「旅行嫌いなのかと思った」
と姉がいうので、私もだ、と答えた。家が一番だということをいつも言っていたような気がする。けれどよく感がれば、昔はよく車でどこまででも連れて行ってくれていたような気がする。旅行にいかなくなったのはおそらく車を運転できなくなってからだ。かわいそうに。
そんなこんなで兄に電話した。何度か電話したがつながらなかった。つながったと思ったら声が聞こえなかった。姉がかけ直して二人が話していた。看取り、というようなワードが聞こえてくる。オーシャンビューを見ると紺色になっていた。まぁ今すぐどうこうという話ではないだろう、というような結びであったようだ。
麻酔が冷めて出てきた母は驚くべきほど病人の顔をしていた。私の名前をすごく呼ぶので、手術前に託された鍵のようなものの存在を思い出して返した。ひどく苦しそうである。それじゃあ、何かあったらすぐ連絡しますので、と先生がベットを押していく「きもちわるい」というような声と共にエレベーターがしまった。
やばいね、という会話をしながら姉と一緒に外にでた。姉はバスで帰るようだ。あの家で一人はさみしかろう、友達でも読んで泊まってもらったらいい、と姉はいった。私はそんなことは思い付きもしなかったが気軽に友人に泊まってもらえるような人格であれば寂しくはないのではないか、というようなことも思った。でも寂しかったので、家に帰って初めてツイッターのスペースとやらをやって、お話をした。とても楽しかった。
めっちゃ日記だな。でもこれは早めに書いておかないと忘れてしまう気がしたので書いた。忘却力がすごいから。覚えておくべき事柄かどうかわからないけれど、人生でもそう何度もあることではないので、書いておいて損はないだろう。しかし、読んでいて楽しいかどうかはさっぱりわからない。
手術終りで何かを作る気力がなかったのでサイゼリヤに行った。私はサイゼリヤが大好きなのである。エビのカクテルサラダ大好き。一生好き。幸せな気持ちを携えて家に帰った。
そんな感じで、今回はサイゼリヤエンドで終わりたいと思います。最近のわたしは毎日イケメンがきゃっきゃしている動画を見てすごしています。とてもいい気分です。それではまたいつでもお会いしましょー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます