第4話 見えない明日

 魔王城の地下牢から森へ逃げ延びた魔物達は、目印の巨大な岩の影に集まっていた。


「ゴビー! 無事だったのね?」

「かーちゃん! かーちゃん!」

「ロッゾ、助けに来てくれたのか! ありがとう。勇者共に捕まった時、もう命はないものと諦めていたのに」

「今まで辛かっただろう。一刻も早く助け出したかったんだが、我々自身が逃げ隠れするだけで精一杯でな。お前達を助けに行けず、アリスティア様は時折泣いておられたんだよ」

「そうだったのか……」


 助けた者と助けられた者達は手を取り合い、抱き合い、あるいは互いの肌をこすり合って再会の涙を流した。

 ろくな食事も与えられていなかったらしく、囚われていた魔物達はみな痩せ衰えている。差し出された果実を彼等は貪るように食べた。


「おお、アリスティア様。ご無事でございましたか」

「ええ。みんな助かったのね。……嬉しい」


 助けられた者を併せると、総勢で二十余匹ほど……これが、かつてはこの異世界リアルリバーを支配し栄華を誇った魔族で生き残った全てだった。

 それでも無事を喜び合う彼等を見て、アリスティアは自分のことのように嬉しかった。一匹一匹が彼女にとって家族に等しい、大切な存在だったのだから。

 滲みそうになった涙を彼女は汚れたドレスの袖でそっと拭った。


「クオーナ。あなた怪我してるじゃないの。こっちへいらっしゃい」

「えっ、怪我なんて……あ、本当だ」

「逃げるのに夢中で気が付かなかったのね」


 足から血を流しているオークの子を呼び寄せ、彼女は傷口を水で丁寧に洗うと治癒の魔法をかけた。そして、躊躇うことなくドレスの裾を千切って包帯代わりに巻いた。

 今までも誰かが怪我をするたび、彼女はそうやって己の民を労わってきたのだ。

 もとは虹色に輝いていたボールガウンドレスの裾は、今では千切れたボロを引き摺ったようになっていた。


「アリスティア様……」

「いいの、気にしないで」


 アリスティアは屈託なく笑った。泣き出しそうになったオークの子は顔を歪めて懸命に微笑み返すと離れた場所に座り込み、大切そうに包帯を撫でさすった。

 ただの包帯ではない、何か美しいものを授けられた気がした。

 この包帯は姫様と同じだ、怪我が治っても肌身離さずずっと大切に持っていよう……と、彼は思った。

 救い出されたオークの一匹が「そういえば……」と、アリスティアへ話しかけた。


「魔王城で、我々に早く逃げろと一生懸命呼び掛けていた人間がいましたね。あれは誰なのですか?」

「それに、彼は巨大で奇怪な怪獣を従えていました。あれは一体……」


 アリスティアは口々に尋ねる魔物達へ静かに答えた。


「彼はテツオという名のマレビト、異邦人です。そして彼に付き従っていたのは『ティーガー』と呼ばれる不思議な神獣よ」

「マレビト……」

「神獣……」


 思いもよらぬ答えに、助けられた魔物達はどよめいた。


「テツオとティーガーは窮地にいた私達を救ってくれました。そして私の話を聞いて、みんなを助けたいと言ってくれたのです」


 アリスティアは助けられた魔物達へ、森の中で彼等が現われた時のことを語って聞かせた。

 彼がどこから来たのか、何故ここへ来たのかは分からない。

 だが、自分達魔族にとっては救世主以外の何者でもなかった。滅びるべき悪だと決めつけられた自分達に初めて救いの手を差し伸べてくれたのだ。

 この異世界に生きる資格があるのだから、と……


「彼等は今も戦っています。私たちの為に」


 そう結ぶと、アリスティアは風になびく髪をかき上げ、森の向こうをじっと見つめた。

 大砲と魔法の激しい応酬の音が彼方から断続的に聞こえてくる。

 と、青い空が急激に暗くなり、閃光が何度も瞬いた。そしてその光に照らされながら、黒く不気味な天体がゆっくりと浮かび上がった。


「不吉な月……チート勇者が呼び出したんだわ」


 きっと少年と神獣を屠る為に、その恐ろしい力を解き放ったのだ。

 この世界の全てを思いのままにする強大なチート勇者に、あの少年と神獣は打ち勝つことが出来るのだろうか。

 同胞の命を救出する為の盾となって、彼等はいま命を投げ出し戦っている。楽な戦いのはずがない。アリスティアの心は痛んだ。

 もし彼等が敗れ死んでしまったら……それは、自分達の為に犠牲となったことに他ならない。

 疲れた魔族達を労わって水を汲み、飲ませてくれた少年の姿が脳裏に浮かんだ。

 アリスティアは跪くと、彼等の為にそっと祈りを捧げた。


(やさしい人、どうか無事でいて……)


 ふいに、怪獣の咆哮にも似た音がこだました。

 ぎょっとして見た彼方の空に幾筋もの巨大な雷が柱のように突き立ち、どっと風が吹きつけてきた。

 風はたちまち強くなり、荒れ狂い始める。大地は巨大な槌で打ちつけられたように幾度となく震えた。

 そんな天変地異を前にしても、魔物達には為すすべなどなかった。怯えた目で空を仰ぎ、風に身をすくめて震えるばかり。


「さあ、みんな私のそばにいらっしゃい」


 嵐を防ぐ何の力もないけれど、せめてみんなの心の寄る辺になれるなら……

 彼女は努めてやさしい声で皆を招き、魔物達はアリスティアの傍に身を寄せ合った。


「母なる地よ、リアルリバーの大地よ、どうか希望の光をお与え下さい。我等と、我等の為に戦う者をお守り下さい……」


 滅びゆく運命に抗う一族の長として、彼女はひたすら祈り続けた。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。


 気がつくと、轟音も地響きも、とうに絶えていた。

 彼方からかすかに聞こえてくる軋んだ鉄の音には聞き覚えがある。彼女は顔をあげた。

 闇のように暗かった空は、元の青空へと戻っていた。荒れ狂っていた風も鎮まり、穏やかな風となったそれは、彼女の頬を優しく撫でて去っていった。

 やがて……鉄同士が擦れあい、くたびれ果てたというような音を立てながら、木々の向こうから鋼鉄の王虎がのろのろと姿を現した。

 激戦の痕を物語るように車体が汚れている。

 だが、強靭な装甲は最後までチート勇者の攻撃などものともしなかった。その迷彩塗装には掠った程度の傷しかついていない。


「ティーガー……」


 王虎は、駆け寄る魔族達の前でゆっくりと停車した。

 車体上部のハッチが開く。オーク達が硝煙で汚れた顔に疲れをにじませて、そこから這い出てきた。

 彼等は少年から訓練を受け、操縦手や砲手の役を務めていたのだ。


「みんな、おかえりなさい」


 ねぎらいの言葉を掛けながら、彼女は砲塔のキューポラから姿を現した少年に手を振った。


「テツオ、よくご無事で……」

「ただいま、アリスティア。チート勇者は……」


 呼びかけに応えかけた少年は、自分が砲塔の上から彼女を見下ろしていることに気がつき、慌てて戦車から降りた。さすがに非礼だと思ったからだった。相手は異国の高貴な血を引く王族の姫なのだ。

 そんな少年と戦車兵の代役を務めたオーク達の周囲に、魔物達がたちまち輪を作る。


「とても心配していました。無事でよかったわ」

「ありがとう。城にいたチート勇者はやっつけた。この異世界から消え去って、元いた世界へ還ったよ」


 おおー! と魔物達から歓声があがり、彼等は驚嘆と歓喜の眼で少年とティーガーを見つめた。


「でも、チート勇者は最後まで魔族を悪だと言って許そうとしなかった。最後の一人は仲間を呼んでくると言って逃げていったよ」

「そう……」


 最後まで許そうとしなかった……という言葉にアリスティアは悲しく目を伏せたが、彼の背後から「姫、姫様」と戦車のハッチから現れて呼びかけた声に、今度はその目を丸くした。


「お婆ちゃん!」


 ティーガーのハッチからヨタヨタと這い出たのは、メデューサ婆だった。

 てっきり自分の目の届かないところで魔物達の世話をしていると思っていたアリスティアは「一体どういうこと?」と、感謝と労わりから一転、少年に厳しい目を向けた。


「ご、ごめん。危ないって止めたんだけど、お婆ちゃんはどうしてもお城から持ち出したいものがあるから乗せてくれって……」


 非難するような目で睨まれた少年はしどろもどろで言い訳し、オーク達に支えられて戦車から降りたメデューサ婆は、慌てて「姫様、テツオ様を責めないで下され」と二人の間に割って入った。


「すみませぬ。婆が我儘を言ったのです。どうしてもと……」


 取りなす声と共に皺だらけの両手が彼女へ差し出された。

 そこには、小さな銀色のティアラが光っている。


「お婆ちゃん、これは……」


 尋ねかけたアリスティアは、それが何かすぐに思い当たったらしくハッとなった。


「これって、もしかして……」

「はい。お察しの通りです。苦労して探しましたが、ようやく見つけました。王宮のガレキの中にあったのです」


 事情が分からず訝しげに二人を見比べる少年へ、メデューサ婆は静かな声で答えた。


「テツオ様、これはリアルリバーの王位を示す半冠です。これをアリスティア様にお付けしたくて、婆はご迷惑をかけました」

「そうだったんだ」

「許して下さいまし」


 少年がうなずくと、メデューサ婆はそれまでの品の良いお婆ちゃんといった佇まいを改め、凛とした声で周囲へ告げた。


「一同、お控えなさい。これよりアリスティア様がご戴冠なさいます」


 輪になって見守っていた魔族達はその声を聞くや、まるで事前に打ち合わせていたかのように一斉に一歩下がり、跪いた。

 少年はまごついたが、魔族達の真似をして一歩後ろへ下がり、片膝を突いた。彼なりに魔族の格式へ敬意を表したつもりだったが、これでいいのかと問うような彼の視線にメデューサ婆はにっこり笑ってうなずいた。


「さ、婆がつけて差し上げます。お母様の形見ですよ……」


 静寂が辺りを包む。遠くで鳥の鳴く声がかすかに聞こえた。

 式場がしつらえてある訳でもなく、戴冠を讃える楽奏があるわけでもない。貢物もなく、祝賀の品もない。民の数は数えるほどしかおらず、着の身着のままで装いを改めることすら出来ない。

 一国の戴冠式というには、それは余りにも侘しくささやかだった。

 それでも二十余匹の魔物達は厳粛な気持ちで精一杯威儀を正した。

 俯いて涙をこらえたアリスティアの髪へ差し込むように、メデューサ婆はそっと王位の証を載せる。


「お婆ちゃん、ありがとう……。わたくし、アリスティア・アルデン・リアルリバーはこの世界の全ての魔を司る王族の位を、ここに継承いたします。知識も魔力も何もかも至りませんが、魔族の皆が幸せになれるように、この身を捧げます」


 魔物達と少年は項垂れたような姿勢のまま、静かにその言葉を聞いた。


「さあ、顔を上げて。どうか、みんなの顔を私に見せて下さい」


 身に着けたドレスは民と同様に汚らしげであったが、莞爾として微笑む少女の姿は、魔族達にとって紛れもなく敬愛を寄せるにふさわしい存在に他ならなかった。

 彼等は口々に祝福の声を掛けた。


「姫様」

「姫様」

「アリスティア姫、我らの忠誠をお受け下さい」

「これからも心を込めてお仕えいたします」

「姫君の治世に光あらんことを」

「みんな、ありがとう……」


 森の木漏れ日が差し込む中、魔族の民にかしづかれた王姫は一匹一匹から差し出された手を取り、両手で優しく包む。その様子は、少年の目にはいつまで見ていても見飽きることのない美しい光景に思えた。

 だが、無粋なことは承知の上で、彼は声を掛けねばならなかった。


「みんな。逃げた勇者がいつ戻ってくるかも知れない。いったん、ここから離れよう」


 躊躇いながら声を掛けるとアリスティアは少年に顔を向け、すぐに頷いた。魔族を統べる者だけに、彼等の安全をまず気にかけねばと真っ先に悟ったのだ。


「テツオの言う通りだわ。さあ、みんな立って」


 魔族の民達を優しく促し、子供のように素直に立ち上がる彼等を見守りながら、彼女はふっと顔を曇らせた。

 少年の言葉に従って安全な場所へ移動して。休息し、落ち着いて。


 そして……それからは……?



**  **  **  **  **  **



 魔物達がティーガーと共に小さな泉の畔へと戻って休息した、その翌日。

 陽は既に中天にかかり、気持ちの良い風が吹いているが、森の中で憩う魔族達を重く暗い沈黙が覆っていた。

 誰もがうずくまり押し黙ったまま、暗い想念に囚われた視線を虚空に彷徨わせている。たまに視線が合えば、慌てて互いに目を逸らした。

 彼らの間に諍いが起こった訳ではなく、チート勇者が追撃の手を伸ばして来た訳でもない。

 捕らわれた仲間を救出した歓喜とアリスティアの戴冠式の興奮が去って、そしてこれからどうするのか……先の見えない不安が彼等の中に広がっていたのである。

 だが、誰もがそれを口に出そうとはしない。言葉にしても答えられる者がいないことを皆、知っていた。

 彼等のその不安を何よりも敏感に感じ取って苦悩しているのは、他ならぬアリスティアだった。

 今までは逃げ隠れして、とにかく生きるだけで精一杯だった。

 チート勇者は撃退されたといっても逃げた者もいる。安心して生きる日々が訪れた訳ではないのだ。「仲間を連れて戻ってくる」と言ったのは負け惜しみかも知れないが、本当に連れてくるのかも知れない。

 それに、他のチート勇者もこれからもこの世界のどこかにまた転生して現れるだろう。自分達を滅ぼすために。

 戦って敵う相手ではない。

 だが、自分達はもう平和を脅かす存在ではないと言って認めてくれる相手ではない。聞くことさえ、してくれないのだ。


(……これからどうしたらいいの?)


 魔族を率いる王姫として出来ることはないのか……為せることはないのか。

 彼女は瞳を閉じ、心中の憂いを隠して思いを巡らせている。

 少年も押し黙った魔物達の陰鬱な様子に気がついてはいたが、黙ったままのアリスティアの様子から自分が口を挟むべきではないと悟り、同じように沈黙を保っていた。


 (アリスティア。今はわからないでしょうけれど覚えておきなさい)

(王位を受け継いだ時、貴女はどんな激しい嵐の夜も消えない「希望」を一族の心の中に灯し続けねばならないのです)


 幼かった頃、子守唄と共に母の胸で聞かされた言葉をアリスティアは思い出した。

 だが、毎日を怯えて生きる魔族達をどこへ導けばいいのだろう? 安全な場所など、この世界のどこにもないのに。

 しかしそれを彼等に告げてしまったら、そこにはもう「絶望」という闇しか残らないのだ。


「みんな、いますか?」


 ようやく、何ごとかを決心したアリスティアは静かに立ち上がると呼びかけた。


「はい。姫様の臣下はみな、ここに」


 メデューサ婆が応える。魔物達はアリスティアが話し始めたのを聞いて、みな思わず立ち上がった。

 これから先のことを指し示してくれるのは彼女しかいない。彼等はずっと待ち続けていたのである。

 不安と期待の入り混じった眼差し……と云うよりも、縋るような、祈るような眼差しで彼等はアリスティアを見つめている。

 だが、応えるべき希望はどこにもない。

 だから……



 ――みんなが生きる為の希望を。明日への希望を繋ぐために、私は……



 アリスティアは精一杯の笑顔を作って「では、これから……」と魔族達に告げた。


「西へ行きましょう」

「西へ?」


 自分が大きな背信を犯しているのだと気づかれぬよう、アリスティアは精一杯演技した。


「ええ、亡き魔王様、私のお父様から聞いていたのです。西に楽園があると。どんな邪悪な力も及ばない安住の地が西の果てにある。災害や戦乱でこの地を追われることがあったなら西を目指せと」


 笑顔で告げた言葉。

 それは、アリスティアが創った「嘘」という名の希望だった。

 魔族達は一様に顔を輝かせた。


「本当ですか! そんな楽園が……!」

「ええ、今まで囚われていた皆を助ける為にここから離れられなかった。だけど、ようやくこうして集まったのです。これで西へ行けます」

「おお!」

「西へ! 西へ行けばきっと……」


 アリスティアはうなずいた。

 まるで油でも飲んだような気持ちだった。胸の中に己を恥じる冷たいものが広がってゆく。悲しみで、心の中はいっぱいだった。

 アリスティアは、罪悪感に歪んだ顔を見られまいと前髪で隠した。


「西という以外はその……何もわからないの。ごめんなさい」

「……いいんですよ、そんなこと。西にさえ行けばいずれどこかに見つかるでしょう」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


(違うの、本当は何もかも嘘なの)

(きっと、どこへ行っても私達には、もう……)


 アリスティアは肩を震わせ、とうとう泣き出してしまった。

 メデューサ婆は「大丈夫、大丈夫ですよ、姫様」とアリスティアの肩を抱き、少年も心配そうに彼女に寄り添った。

 だがその優しさも今の彼女には辛く苦しかった。

 一匹のゴブリンの子が泣きじゃくるアリスティアのドレスに取りついて、懸命に元気づける。


「そこまでどんなに遠くても僕、絶対へこたれないで歩くから! 泣かないで姫様」


 魔物達はその言葉に口々に同調した。


「そうですよ。今までも助け合ってここまでこれたんだ。きっと何とかなる!」

「アリスティア様、一緒に参りましょう!」

「西へ行きましょう!」

「どこまでも、お供いたします!」


 彼女が嘘で紡いだ小さな希望。

 それを胸に灯した魔族達が笑顔で頷きあう。

 皆が、自分達に明日があると信じているのだ。

 これからの厳しい道のりの先にあるという希望、本当はどこにもない未来を。

 身を切られるように苦しく、気が狂いそうなくらい辛かった。

 それでもアリスティアはそれをこらえると、ドレスの袖で涙を拭いて「ありがとう、みんな……」と、魔族達へ健気に微笑みかけた。

 精一杯の、今にも崩れそうな笑顔で。


「さぁ、旅の準備だ」

「すぐにここを移動だ。チート勇者のいるこの地から少しでも早く遠ざかろう」

「慌てるな。でも急げ!」


 魔物達は立ち上がり、声を掛け合って協力し、旅支度を始めた。

 支度……と、いっても彼等のほとんどが着の身着のままである。身に着けているものは僅かしかなく、出来ることと言ったら道中に備えて食べ物を集めたり、足を痛めぬように藁や蔓で足袋を作って足拵えをするくらいだった。

 それでも彼等の表情は明るい。

 所在なげに立ち尽くし、ぼんやりと見守っていた少年へドルイド爺がそっと声を掛けた。


「テツオもその……わしらと一緒に来てくれるかね?」

「うん、もちろんだよ!」


 少年は声を掛けられたのがとても嬉しそうだった。照れくさそうに笑うと彼は頭の後ろを掻いた。


「僕もついてってもいいのかな? って実はちょっと心配だったんだ。あはは……」


 少年の周囲にいた魔物達は、それを聞いて思わず笑いだした。


「そんな水臭いことを! 一緒に来てくれよ」

「アンタとあの神獣が一緒に来てくれるならこんなに心強いことはないよ!」

「ぜひ私らと一緒に来ておくれ」

「そ、そっか。ありがとう」


 少年は「ティーガーには交代で皆を乗せよう」と申し出た。乗り心地は最悪だが、歩き疲れた者の足を休めるくらいの役になら立つだろうというのだ。

 無論、魔物達に異を唱える者などいるはずがない。


「道中よろしくな、テツオ」

「うん、よろしく」


 ドワーフから親しげに肩を叩かれた少年は頬を紅潮させ、「じゃあ、旅の前にしっかり点検しておかないと」と、張り切ってティーガーへ取り付いた。

 キャタピラのジョイントをハンマーで叩いて緩みを調べ、砲尾のレバーの具合を検める。エンジンの伝動系統までは分からないので多分大丈夫だろうと信じるしかなかった。この鋼鉄の王虎のことを彼はすべて知っている訳ではないのだ。それでも書物で知り得た知識の範囲で出来る限り見て回った。

 だが、あれだけの戦闘で激しく動き回ったにも関わらずキャタピラは緩んでいる様子はない。燃料計の目盛りに至っては少しも減っていなかった。

 満タンで百キロも走らないほど燃料を大食いすると聞いていたのに……と、少年は不思議そうに首を傾げるしかなかった。

 一方、少年とティーガーを仲間として迎え入れた魔物達は、付近の木々から果物を採取して袋に詰め、竹に似た木を切って水筒代わりに泉から水を汲む。

 虜囚だった身でまだ体力の回復していない者や足弱の子供はティーガーの車体の上に出来る限り乗せられた。

 巨大な戦車とはいえ全員を乗せるのはさすがに無理で、歩ける者は歩き、足を痛めた者や疲れた者は交代してティーガーに乗ることになった。

 少年は魔物を一人でも多く載せられるよう、自分は歩くことにした。

 やがて魔物達はティーガーの後ろに隊列を整え、アリスティアの合図を待った。


「西へ……」


 アリスティアはためらうように震える指を西へ向け、ささやいた。

 同時に、少年が高々と上げた右手を「戦車前へ!」と、振り下ろす。

 ティーガーは「ゴウンッ――」と、鉄のキャタピラを軋ませ、動き始めた。

 巨大な起動輪がキャタピラの一枚一枚を確かめるように噛み締め、人が歩く程の低速で鋼鉄の王虎は進み始める。

 魔物達はその後ろに続くようにして長い道のりを歩き出した。

 苦難に満ちた旅の始まり。

 アリスティアはティーガーの上で揺られながらその小さな胸を痛め、心の中で涙を流していた。


(本当はどこにも希望はないって皆が知った時、この旅は終わる)

(でも嘘の希望をみんなが信じてくれる今だけは……)


 彼女は前髪を直す振りをして、そっと涙を拭いた。


 この旅路の最後に魔族達は絶望を知るだろう。

 自分は、それまでの「偽りの希望」を与えたにしか過ぎないのだと彼女は思っていた。



 そう、そのときは……

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