比翼の退魔師

ぶるぶる

エピソード1

第1話 依頼者

1《七瀬》


 部屋の中を暖かな風が吹き抜ける。春の匂いとともに桜の花びらが窓から入ってきて、くるくると旋回したのち机の上に落ちた。七瀬かがみななせはそれを見て思わず自らの口角が上がるのを感じた。春は好きな季節だ。なんとなくわくわくするからだろうか。


 どうやら七瀬の同僚にして同居人がちょうど今起きてきたようだ。目にしなくても踏む度にぎーぎーとなる寿命寸前の階段が彼の到来を教えてくれる。彼の名前は彼方伊吹かなたいぶき。七瀬より2つ年上の17歳で、黒い髪に黒い瞳の純日本人的な見た目をしているらしい。優しい性格は彼の長所のひとつだが、逆におせっかいが過ぎるのが玉に瑕だ。


 らしいというのも、七瀬の目は先天的に光を失っており、他人の髪や瞳の色を判断するのは伝聞を用いるほかはないからだ。


「七瀬、何やってるんだよ」

 伊吹が七瀬の手元を見て慌ててかけよってくる。おそらく七瀬が包丁を使って料理をしているのを見咎めているのだろう。


「危ないだろ」

 先ほども言ったように七瀬の視界は良好とは言えない。そのことを慮っての発言であることは承知している。だが、

「大丈夫。色がわからないだけで、形はわかるっていつも言ってるでしょ。そういうの逆に傷つくんだから」


 伊吹は渋々といった感じで引き下がった。

「それに伊吹に任せてたらいつまで経っても朝食にありつけないわ。この前だって目玉焼き1つ作るのにどれだけの卵を無駄にしたことか」


 伊吹もまた本来なら高校に行っているはずの年齢だが、わけあって学生ではない。それは七瀬も同様である。


 2人はある仕事を稼業としていて、ここは事務所兼住居なのである。その仕事というのは、有体にいえばいわゆる霊能者のようなことを仕事としている。


 心霊現象や怪異の類など、不思議な体験・現象で頭を悩ませている人はなんでもござれという具合だ。


 七瀬が、目が見えないにも関わらず、特に何の問題もなく料理が可能であるのもそうした不思議な能力があるためだった。


 七瀬は俗に千里眼と呼ばれる能力を持っている。もっとも七瀬には千里先を見通すほどの能力はないし、分厚い壁の向こうを透視するような能力もない。彼女の千里眼の有効範囲はほとんど人間の視界と変わらず、透視できるのも紙一枚程度、色彩もモノクロだ。ただし眼球を通さずに見ることができる。


 そのため彼女は先天的に目が見えなくても、目の前の世界で、どこに何があるのか、誰がいるのか、その物や人がどのような造形をしているかということは大体わかるのだ。そういう意味では七瀬には視覚がある。


 それは普通の見え方とは違うのだろうが、相手の背格好程度のことはわかる。


「今日久しぶりにどこか出かけないか」

 伊吹がそう言った。

「どこかって?」

「具体的な案があるわけじゃないけど。レジャー施設とか」

「提案そのものは魅力的だけど、しばらくは節約しないと。また電気とか水道とか止められちゃうよ」

「そっかー。なかなか生活安定しないなあ」

 伊吹は溜息を吐いた。


「やっぱり建物の概観が悪すぎるんじゃないかな」

 それは間違いなくそうだろう。なんせ七瀬たちの事務所兼住居であるこの建物は、近所の子供からは幽霊屋敷と噂されているボロ屋敷だから。


 とはいえこのボロ屋敷もこの近隣に住む地主さんからタダ同然の価格でお借りしているものなので、あまり文句も言えない。


「でも今日はこれから依頼者のかたが来るよ。だからどのみち遊びに行くのはなしだね」

「そうなんだ。昨日はそんなこと言ってなかったよね」

「うん。今朝電話があったんだ。向こうは昼過ぎに来るって言ってたんだけど、緊急を要すると思ったからすぐ来てもらうようにお願いした」


++


 午前8時50分ごろにその依頼者は訪れた。到着する5分ほど前に再び電話があって、今から伺うが大丈夫か、という確認があった。どうやら几帳面な人のようである。


「お電話のほうでお話させていただきました。哀座加奈あいざかなです」

 事前の電話で依頼者が大学生であることは知っていた。聞いてみれば有名私立大学――七瀬は知らなかったが――の翠銘大学に在籍しているという。


 加奈は年齢の割には少し幼い印象の顔立ちをしているが、清楚な印象の美人だった。しかし肩口まで伸ばしたロングヘアの毛先の乱れや目の下のクマから隠しきれない疲弊感が伺えた。


「わざわざお越しいただいてありがとうございます」と伊吹。「僕は彼方伊吹。こっちにいるのは鏡七瀬と言います。電話でも概略をお話くださったみたいなんですが、改めて詳しい話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」


 加奈は七瀬と伊吹がせいぜい高校生程度にしか見えないことに面食らっている、というか不信感を持っているようだった。ただでさえ怪しげな看板を掲げているのに、この年齢の人間が出てくれば子供の悪ふざけと思われるのは珍しいことではない。


 それでも加奈は口を動かすほかなかった。もはや頼るものなどほかにはなかったのだから。

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