捌ノ段

 コルンの背中からひょっこりと顔を出したのは一人の少女だった。年の頃は一〇代の前半だろうか。イメツムよりもさらに幼いその少女は、ハロウィンで使われるようなカボチャ型の帽子を目深に被り、服は黒色と橙色を基調とした革のフードコートを着ている。

 そして背中には身の丈以上の巨大な黒い箱を背負っていた。

「よっと! っとっとわぁ!」

 コルンから飛び降りた少女はひらりと地面へ着地した。が、背負う箱の重さに耐えられずに亀の様にひっくり返ってしまった。その無様な格好に毒気を抜かれたフィアナは、溜め息交じりで彼女の箱を持ち起こそうとした。

「重っ! ちょっとあなたこれ何入ってるのよ!」

 何とか少女の身体を起こしたフィアナは、ぜぇぜぇ息を荒げて両手を地につけていた。

「いやはやスマンでつね、おっぱいちゃん」

「へ、変なあだ名つけないでよ!」

 少女は箱を地に降ろすと、お尻に付いた土を払い落とす。

「おい、娘っこよ。お主は何者だ? 何故コルンと共にいる」

「ん? んんッ!? おおおおお!?」

 イメツムに気付いた少女は、彼の姿を見るやその大きな瞳を輝かせはじめた。

「お、お前! なんだその目の色! 髪も! その変な服なんでつか!?」

「あ、いや拙は……」

 嬉々とした眼差しを向けられたイメツムは反応に困りながら顔を背ける。

 少女はイメツムの周りをくるくると回りながら、あらゆる角度から観察している。

「コルン、あの子誰なの?」

 フィアナがコルンの顔に手を当てさすりながら訊く。するとコルンはその問いに答えるように顔に巻かれた包帯をフィアナに見せた。

「そう、あの子が手当てしてくれたのね」

 そのやり取りに耳だけ傾けていた少女が自慢げに腰に手を当て語りだした。

「あぁ、そのワン公な。僕が川でオシッコしてたら流されてきたから、引き上げてついでに治療しておいたでつよ」

「あ、ありが――」

 フィアナがお礼を言いかけた時、少女は彼女に手を差し出した。

「え?」

「治療代」

「あ、あぁそうね。いくらかしら?」

 少女の不躾な態度に戸惑いながらも、治療代金を聞き返したフィアナは腰に下げた袋から硬貨を取り出そうとした。

「五〇〇万バッツ」

「ごっ!?  五〇〇万!? あなたそれどう考えてもぼったくりじゃないッ!」

「無いのか? それなら身体で払ってもらうしかないのでつが」

 イメツムはこのアーステアの貨幣価値が分からないため、少女の要求した金額がどれ程のものか理解できていない。ちなみに五〇〇万バッツはアーステアに住む一般市民が手に入れたならば、生涯働かずに食べていけるほどの大金である。

「ば、馬鹿げてるわ。感謝はしてるけど、そこまで払えるわけないでしょ」

 仮にも皇女である彼女に払えない金額ではなかった。しかし、手持ちはない上に、この法外な金額に見合うほどの働きだったのかと聞かれれば当然答えはノーである。

「ケチンボ。ケチンボおっぱい」

 少女の態度にキレたフィアナがその頭に拳骨を振り下ろした。

「いだっ! ……冗談なのに、ちぇっ」

(ちょっと身なり良さそうだったから、ふっかけたけど駄目でつかぁ)

 恨めしそうな顔している少女を見て、フィアナは眉間に手をあてながら嘆息した。

「はぁ、五〇〇万はさすがに無理だけど、お礼はちゃんとするわ」

「ほ、ホントでつか!」

 一転して笑顔を取り戻した少女はフィアナの手を握り再び目を輝かせた。

「それで、あなた名前は?」

「名前? ………………言いたくないでつ」

「「いやお前は言えよ!」」

 イメツムとフィアナから同時に同じツッコミを受けた少女は目を丸くした。

 ここにいる人間の三人が三人共、本当の名前を明かしていない可笑しな状況だった。

「だって、僕の名前変だから……言いたくないんでつ」

「別に人の名前で笑ったりしないわよ、ねぇ? イメツム」

 フィアナの言葉にイメツムは黙って頷いた。

「ホントに? 絶対笑わないでつか?」

「笑わないってば」

 微笑みながら答えたフィアナは少女の言葉を待った。

「――――オ……オマル、オマルカ・ドラゴニャ」

 自らの名前を恥ずかしそうに告げた少女は二人の顔を見た。

 フィアナは目をこれでもかというぐらい目の前の少女から逸らし、口をモニュモニュさせている。一方、イメツムは明後日の方向に身体を向けながらプルプルと震えていた。

「そ……そうか、拙はイメツムだ。よろしくなオマル」

「ぶふっ!」

 イメツムの返しにフィアナは思わず吹き出してしまった。

「やっぱり笑ったじゃないでつか! あぁ、だから言いたくなかったんでつよ!」

「だ、だってオマルって、ぷっ……イメツム反則よアナタ。あ、私はフィアナね」

「せ、拙のせいにするな。大体お主は最初から笑いを堪えていたであろう」

 頬をぷくぷくと膨らませながら二人を睨み付けるオマル。

「それで、二人はここで何をしてたんでつか? それにお前、大ケガしてるじゃないでつか」

 オマルはイメツムの腕を指差した。

「これは少し前に敵の襲撃を受けてな。拙もまだまだ未熟」

 イメツムは傷ついた腕を押さえながら歯噛みする。

「私たちは旅の途中よ。行き先は言えないけれど、コルンを助けてくれてありがとう。オマル」

「オマルカでつ! 略すならルカにして欲しいでつ!」

「はいはい、それでこんな山奥で何してたの? まだ小さいのに危険じゃない」

 フィアナはオマルの視線まで腰を下ろし尋ねた。

「僕は仕事終わりでグノームに帰るとこでつ」

 地の帝国グノームはこのオウギュスト山脈を越えた先、アジダハカの森の南西に位置する国家。豊富な鉱物資源で独自の魔導兵器を作る軍事国家である。

「そう……グノームに行くのね。じゃあこれを」

 フィアナはそう言うと、持っていた小さな袋をオマルの手に乗せた。

「おぉ! お金!」

 その袋に入っていたのはフィアナが現在所持していた全財産、一〇万バッツ。

「イメツム、そろそろ行きましょう」

「うむ」

 フィアナはすっと立ち上がると、険しい表情をしながら歩き出し、イメツムもその後に続いた。

 五〇〇万バッツという高額な治療費を請求したオマルに対し、法外だとは思っていたフィアナだったが、コルンを救ってくれたことには心から感謝していた。

「ちょっと待つでつ」

 オマルは去ろうとした二人を呼び止めた。

「何? お金ならそれで全部よ」

「そうじゃないでつ! これじゃあ貰いすぎでつので、そこの、えっと……イ、イメツム?」

「なんだ?」

「その腕、それじゃあ不便だと思うでつので僕が修理するでつ」

 そう言うと、オマルは近くに置いていた黒い箱の蓋を開けて何かを探し始めた。

 その様子を眺めていた二人は顔を見合わせると、お互いに首を傾げた。

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