赫焉たるアーステア

天P

第一部 忍道編

序ノ段

 燃え盛る炎に焼かれ、木造りの伽藍は火の粉を巻き上げながら夜空を照らしていた。

 咆哮と断末魔が交じり合う戦場で流れる血を炎が焼いていく。

 寺を襲撃した軍勢は圧倒的な兵の数に物を言わせ、周囲を完全に包囲した。その彼我兵力差は一万以上。

「蘭丸、地獄で会おうぞ」

 抱きかかえたまだ幼さの残る臣下の瞼を伏せると、綺麗に整えられた髭の男は紅蓮の炎で揺らめく周囲を見渡しながら立ち上がった。

 しゃりしゃりと髭をいじりながら、崩れていく建物と己の野望を重ねて男は呟く。

「死のうは一定、忍び草には何をしよぞ一定……語り起こすよの」

 その小唄を聞き終えた黒装束の男は、血に染まる小刀を構え髭の男の背後からにじり寄った。

「伊賀の忍か……」

 髭の男は振り返ることもせずに、自らの命を狙う者の素性を暴く。しかし、そのことに対し動揺する素振りさえ見せず、黒装束の男もまた答えた。

「第六天魔王、織田信長……その命貰い受ける」

「フッ、フハ……フハハハハハハハハハ!! 面白い。貴様如き大儀の何たるかも知らぬ、下賎な忍風情がこの信長を討つと申すか!」

 嘲笑し白刃を抜いた信長は、炎より紅い瞳を鈍く光らせながら振り返った。

 身が切れそうになるほどの威圧感に晒され、荒くなる呼吸を落ち着かせるように、黒装束の男は口元の布を抑える。辺りから聞こえる木の焼ける音と、むせ返るほどの黒煙の中で、光無き瞳が見据える先の魔人が醜く表情を歪ませていた。

「破ッ!!」

 掛け声と共に放った四本の苦無。それと同時に駆け出した黒装束の男は、胸の前で印を組んだ後に口布を下げると、口内から紫煙を吐き出した。

 紫煙に遮れた視界の奥で、苦無が刀に弾き落とされる金属音が聴こえた。身を屈ませた男は床を這うような低い姿勢のまま、背に括り付けていた大型の手裏剣を投擲する。

「小癪だなッ! 伊賀者!」

 小刀で切り裂いた煙の先には誰の姿も無く、手裏剣を躱した信長が上空から渾身の斬撃を振り下ろす。床板から前方の壁にまで傷跡を残すほどの一撃に、黒装束の男は戦慄を覚えつつ距離をとった。

「それで終いか? 光秀も忍を遣すとは見下げ果てた男よ」

「違う……これは、これは拙の復讐だ」

 その言葉に信長は眉根を上げ、黒装束の男を見定める。

「貴様、幻波げんぱ……百地幻波の」

「……いかにも、拙は百地幻波が弟子、一子相伝の天凪あまなぎ流忍術伝承者也」

「伊賀流の開祖である百地丹波の兄・幻波が創りし幻の忍術と聞く。その伝承者がこの俺に復讐とは、それは逆恨みというのではないか?」

 百地幻波の創りし天凪流は、筆舌し難いほどの修行の末に編み出された秘伝中の秘伝忍術だった。その強大さから伊賀の里でもその存在は一部の者しか知らず、時代の闇から闇へと葬られたまさに幻の忍術。

 天正九年。忍を脅威と感じた信長は大軍を率いて伊賀の里を強襲した。これが俗に言う〝天正伊賀の乱〟である。

「黙れ、貴様等と伊賀の和睦の為に命を差し出した師の無念、今ここで晴らす!」

「くだらん! 心を滅し羽虫が如く任務を遂行する事こそ忍の本分ではないか。復讐などに身をやつす未熟者めがぁ!!」

 鬼の形相で迫り来る信長。同時に駆け出した黒装束の男は再び胸の前で印を組むと、辺りに燃え広がる炎を掌に集めた。

「妖術の類か!」

 信長はその火炎に驚いた表情を見せつつも怯まずに突っ込んでくる。

 ――天凪流火遁術〝双夙双飛そうしゅくそうひ〟!

 燕の形を模した炎の塊が信長めがけて一直線に飛んでいく。

「所詮はただの火に過ぎん! シャアッ!」

 炎を真っ二つに斬り裂きながら、黒装束の男の間合いに入った信長は猛々しく叫んだ。

「この身を焼きたくば地獄の業火でも持ってくるのだなぁ!」

「その必要はない!」

 信長が再び白刃を振り上げた瞬間――。

 切り裂かれた筈の火燕が二鳥に分かれ信長の背中から突撃した。炎は身に纏う白小袖へ一瞬にして燃え移り、その身を焦がしていく。その直後、黒装束の男は小刀を信長の腹部に深々と突き刺した。

「ぐっ……貴様ぁ」

 小刀を引き抜くと大量の血を噴き出しながら信長は膝をついた。

「首は取らん。その存在自体を無に帰す……盛者必滅」

 ――天凪流忍術奥義……。

 先に組んだ術の印よりも複雑なそれに気を集中させている時だった。

「この第六天魔王織田信長が、忍如きに命をくれてやる道理などないわぁ!!」

 末期の叫びと共に懐から取り出した物が、黒装束の男の背筋を凍りつかせた。

「――短筒ッ!?」

「フハハハハハッハッ――――――!!」

 次の瞬間、信長の手にしていた小振りの火縄銃から放たれた弾丸が男を貫く直前だった。

 目の眩むような光の渦が両者の間に現れ弾丸を消し去る。その渦に引き込まれる形で、黒装束の男は忽然とその姿を消していた。

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