クラブ・デニス

一晩身体を休めて、翌日の夕刻。





 俺とララは、セリアさんをバータルのいる馬宿で待機させて、いつでも街を離れることができる体勢を整えつつ、デニスが経営しているという酒場――クラブ・デニスへと足を向けた。





途上、俺はララに言っておく。





「なあ、ララ」


「何よ」


「一つ言っておくが――くれぐれも『キレる』なよ」


「解ってるわよ。酒場なんだから、少しくらい酔っ払いに絡まれることは覚悟してるわ」





 少しくらい、で済めばいいのだが……。





 俺はララの守人として当然それを願いつつ、また密かに『ララが酒場の正体を知った時、どんな顔をするだろう』とほくそ笑む。





 と、やがて、人通りの多い大通りの一角に、特に派手なわけでもない石造りの佇まいでその店――クラブ・デニスはあった。





まだ昼間のせいか、そこに出入りする人の姿は全く見えない。





 だが、その両開きの扉を開けて店内へ入ってみると、そこには全てを覆い隠すベールのように甘い紫煙が満ちていた。





入り口から右側の壁には、カウンターバーがある。





 それ以外のスペースには、それぞれコの字型のソファに囲まれた六卓のテーブルがあり、そのほとんどは既に客と、ほとんど下着姿の女性たちで埋まっているのだった。





と、そのうちの一組の男女がソファを立って、店の奥にあった紫色のカーテンをくぐって奥へ消えていく。





「あっ」





 それを見た瞬間、疑念が確信に変わる。俺が思わず声を上げると、





「な、何? どうしたの……?」





ここは何かおかしい。そう感じたらしく、ララはどこか怯えるような様子で訊いてくる。俺は小声で返す。





「……流石にもう解っただろ。ここはやっぱり危険な場所だ。今さら言うのもなんだが、嫌ならすぐにここを出たほうがいい」


「どうしてよ? 確かに変な雰囲気だけど、別に危険っていうほどでも……」


「いや、ここは危険なんだ。男にとっては天国のような場所かもしれないが……お前みたいなのにとっては、特にな」


「どういう意味よ? アタシみたいなの、ってどういう意味?」





 コイツ、勘が鈍すぎるだろ! 保護者として色々心配になってくるぞ!





「なんだい、お嬢ちゃん? ここで働きたいのかい?」





 バーカウンターの中にいた、白シャツと細身の黒いパンツ姿の三十代ほどの男が、カウンターを出てララに声をかけてきた。





 え? とララが戸惑っていると、男は短い顎髭を生やしたその顔をグッとララに近づけてきて、





「ほぅ……そのゴッツイ兜は気になるけど、お嬢ちゃん、もしかしてダークエルフ族? これはこれはなんと……むふ」





 あからさまに鼻の下を伸ばして、ララの引き締まった腰をそっと撫でるように触る。





 ヒッ! とララはビクリと背筋を伸ばしたと思うと――頭上の俺を引っ掴んで、





「なに触ってんのよ! 死ね!」





ガゴンッッ!





 一かけらの容赦もなく、俺を男の頭に振り下ろした。





 ぐっ、という微かな呻き声を漏らして、男はその場に崩れ落ちる。





 俺は声を潜めつつ思わず怒鳴る。





「おい! 俺を鈍器にするんじゃねえ! 俺は防具だぞ!」


「だ、だってコイツがいきなり触ってきたんだから、しょうがない――じゃ……」





 言葉を途切れさせて、ララはゆっくりと店内を見回す。





 ほとんどは唖然としたように目を丸くしながら、だがごく一部の男は興奮したように目を光らせながら、ララに視線を集中させている。当然だ。コイツは今、店員を鈍器でぶん殴って昏倒させたわけだからな。





「……一旦、退くか」


「……う、うん」





 ララは小さく頷き、強張った微笑を皆に向けながらそろそろと店を後にすると、ダッと全速力で店の前を離れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る