影野アンズという女part2
天城ハルト、中学三年生(十四歳)、五月某日。
班ごとで行動する自由時間に、俺たちの班は遊び心も何もなくひたすら由緒正しい神社仏閣ツアーをしていた。
それでも、普段は感じられない京都の空気は新鮮で神秘的で、俺はそれなりにそのツアーを楽しんでいた。
すると、その先で行ったとある有名な寺で、俺は偶然、アンズの姿を見かけた。
「おい、アンズ」
声をかけると、アンズはハッとしたように俺を振り返る。その手には、鳩の餌である豆の袋。
アンズは縁なし眼鏡越しの目を丸くして俺を見たが、何も返事はせずにキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「どうした?」
「みんなが……」
「みんなって……」
言いかけて、俺はその言葉を呑み込んだ。……訊かなくても解る。アンズは班から置いてけぼりにされたのだ。
アンズはどうしてよいか解らないような顔で、周囲に班の顔ぶれを捜し続けている。まるで捨てられた子犬のような顔で。
俺はそんなアンズの手から鳩の餌袋を取って、言った。
「……班の連中なんて別にどうでもいいだろ。俺たちと一緒に来ればいいだけの話なんだから」
「ハルト君たちと……?」
「ああ。それより、鳩に餌やろうぜ。俺もこれやってみたかったんだ」
「ハルト君……。でも、私……」
「俺の班に入るのがイヤなのか」
「そ、そうじゃないけど、でもハルト君の班のみんなは、わたしのこと――」
「お前さ」
と、俺はアンズのか細い声を断ち切る。
「そうやってコソコソ、キョドキョドすんなよ」
「え……?」
「お前が女子の輪に入れなくて、それで色んな鬱陶しいことになってるんだろうけどさ、だからなんだってんだ? お前がそうやって周りに怯えてキョドキョドしてるから、余計にナメられてこんなことされるんだよ。あんなヤツらに見下されるんだよ」
「…………」
アンズは息を呑んだように何も言わない。
別に、アンズを叱りたかったわけじゃない。俺は嘆息して、
「好きなんだろ?」
「……えっ」
「鳩が」
「は、鳩……?」
アンズは妙に声を上ずらせて言う。その顔はやけに朱かった。
「お前、昔、カラスが好きだって言ってたもんな。あと、ヤモリも」
「あ、ああ……う、うん……」
「なら、別にそれでいいじゃねえか。興味のあることが――好きなことが周りにいる人間と違うからなんだ? それが悪いことなのかよ?」
「…………」
「俺は、そうは思わない。っていうか、お前のほうがよっぽど面白くて、一緒にいて楽しいヤツだと思うぜ」
「一緒にいて、楽しい……?」
「ああ。でもだからこそ、最近のお前を見てると腹が立ってくるんだ。――もっと堂々としてろよ。お前がそうやって周りに怯えてコソコソしてたら、まるでお前の好きなものまで恥ずかしくて情けないものみたいになっちまうじゃねえか。
俺たちが狩りまくったあのカブトムシも、俺とお前がバケツで飼ってたヤモリも……俺たちの輝かしい思い出が全部、情けないものになっちまう。――違うか?」
そう言って、俺は足元の鳩たちの上にバラバラと豆を蒔く。
「……ううん」
クルックー、クルックーという暢気な鳩の鳴き声にまぎれるような小さな声で言い、アンズはその顔を横に振った。そして、
「うん……解った。もう、キョドキョドしない……」
その返事を聞いた時は、俺も中々いいことを言ったと我ながら惚れ惚れしたものだが、いま思い返せばこの時の会話が、アンズの中にいる『獣』を呼び覚ましてしまったことは間違いない。ああ、間違いない。
天城ハルト、高校一年生(十五歳)、九月某日。
高校生活を満喫するために帰宅部員となった俺は、その日も授業が終わると適当に掃除を済ませて校舎を後にした。
高校に入りたての頃は、通り抜ける度になんとなく『高校生』という誇りのようなものを感じたものだった校門を出て、さてコンビニで肉まんでも買って帰るかと思っていると、数メートル先の電柱からぬっと人影が出てきた。
「アンズ……?」
俺がその姿を見て唖然とすると、中学の頃とは打って変わって垢抜けた(髪型はセミロングのストレート、眼鏡はやめてコンタクト、制服の上には派手なピンク色のカーディガンを羽織っている。)アンズは、ショルダーバッグを肩にかけ直しながら、
「待ってたよ、ハル君……。一緒に帰ろ?」
頬を朱に染めながら、はにかむように微笑む。
「い、いや、『一緒に』って……お前の高校は俺たちの家のすぐ傍だろ……?」
うん、とアンズは萌え袖にした手で口元を少し隠しながら、
「でも、一緒に帰りたかったから迎えに来ちゃった……。ごめんね? 迷惑だった……かな?」
それから週に最低三度は、こうしてアンズは俺の下校を待ち伏せし始めた。それから逃れるために、俺は翌週から高校近所のコンビニでアルバイトを始めた。
天城ハルト、高校三年生(十八歳)、十月某日。
朝、学校へ来て自分の席に座ると、机の中に折り畳まれたノートの切れ端が入っていた。
――まさか、ラブレター?
大学の入試勉強に早くも疲れ果て始めていた俺は、予期せず到来した春の気配に思わず胸を高鳴らせたが、そこに書かれていたのは――最近のことだから鮮明に覚えている――こんな言葉だった。
『来ちゃった♡ ハル君はこの席に座ってるんだね。隣で一緒に授業受けたかったな。なんてね! アンズ♡』
その日、俺の前と右隣の席にいた女子の机の中から、何者かに入れられたカミソリの刃が見つかり、全校を上げての大問題になった。
何も確証がないから、俺はそれについて何か声を上げることはしなかった。が、それを後悔していないと言えば嘘になる、かもしれない。
そういえば、こんなものもあった。時は前後して、
天城ハルト、高校二年生(十六歳)、六月某日。
バイト先に出勤して、更衣室の専用ロッカーを開けると、なぜかそこには見覚えのない一枚のファンシーな便せんが置かれてあった。見てみると、
『制汗剤が切れてたから、新しいのに取り替えておくね♡ それと、ハル君に色目を使ってイヤがらせをしてたメスブタは私が辞めさせておいてあげたから、今日からは安心してお仕事頑張ってね! アンズ♡』
まだあった。
天城ハルト、高校二年生(十七歳)、二月十四日。
夜中、コタツに入りながらゲームをしていると、不意にスマホが鳴った。見てみると、アンズからのメッセージ(執拗に迫られてスマホ番号等を交換させられた)が来ていた。見てみると、
『今日はバレンタインだね! チョコを入れておいたから、ポストを開けてみて♡』
…………去年もあったから、まあ今年も来るとは思っていた。
あらゆる意味で外になど行きたくなかったが、家族に見られるのはイヤだからしょうがない。俺は冷える身体をさすりながら外へ出て、そのブツを取りに行った。
ポストの中にあった、綺麗にラッピングされたチョコレートの箱を持って部屋に戻り、学習机の上に置く。
さて、どうするか。悩んでいると、再びスマホが鳴る。メッセージ。
『どうしたの? 美味しいから食べて?』
「……え?」
まるで俺のことを見ているようなそのメッセージに俺は驚いて、そして部屋のカーテンが少しだけ開いていたことに気づく。
そっと外を見てみると、冬の夜の冷え切った空気の中、電柱の影から俺を見つめる人影――アンズと確かに目が合った。
俺は思わず呻き声を漏らしながらカーテンを閉めて、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。
翌日、怖いもの見たさ半分、食べ物を捨てることへの罪悪感半分で、そのチョコレートの箱を開けてみた。
中には、綺麗に作られたショコラチョコレート(のように見える)が並んでいた。
見た目には問題ないが……嫌な予感がした。
その予感に従って、それを定規で割って中身を検あらためてみると、割れ目からは細かい繊維のようなものが数本、飛び出していた。
目を凝らしてよく見てみると、それは細かく切られた黒い髪の毛だった。しかも、鼻を近づけてみるまでもなく、そのチョコレートの箱全体からは何か生臭いニオイが立ち上ってきていた。
このままじゃ、アンズはどこまでもエスカレートしていく。それは、俺のためにもアンズのためにもならないだろう。
俺は地元から遠く離れた大学を受験することを、この時に決意した。
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そして『忘却の剣』編へ参ります。
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