呼ぶものpart1

 薄暗い廊下に、セリアさんとヤン、二人の足音だけが染み入るように響く。





「あの……どこへ向かっているのですか?」





二階、東側の廊下を突き当たりへと向かって歩いていくヤンの背中に、セリアさんが恐る恐ると尋ねる。





「ここだ」





 ヤンは足を止めて、廊下の左手に並んでいる扉を開けてその部屋へと入っていく。そして、奥にある窓から下を見た。





「この辺りに来るとな、どういうわけか一番よく見られるんだ」


「……?」





 セリアさんは怪訝そうに窓へと寄って、ヤンのように外を見下ろして――





「――――」





 息を呑む。





 そこにあったのは、裏手を塀に閉ざされた、さほど広くはない裏庭。





 その真ん中には一本の立ち枯れた樹が生えていたのだが……その痩せ細った枝の下に、何かがボンヤリと浮かんでいた。霧を集めたような、白い何かが……。





 なんだ……?





 俺は目を凝らして――やがて気づく。





 その白いものはどこか人のような形をしてて、そしてそれは浮いているというよりも、重たげに揺れながらぶら下がっているのだった。まるで、木の枝にかけたロープで首を吊っているように……。





「あれは……」





 セリアさんの声は震えている。対して、ヤンは平然と、





「あそこの樹でな、奥さんが首を吊って亡くなったんだ。それ以来、夜も昼も関係なく、たまにあれが見えるようになった。たまたま、あそこに霧の吹きだまりができるのか、それとも奥さんがまだあそこに『残ってる』のか……それは解らんがね」





 言って、踵を返して部屋の外へと出ていく。どうやらヤンは、俺達にわざわざアレを見せたかったらしい。いや、まあ確かに見ておく必要のあるものだろうが……。





 だが、セリアさんは大丈夫だろうか。顔はもうほとんど蒼白で、まるで怯える小動物のように周囲を窺いながら、ヤンのすぐ背後をオドオドと歩いている。





 と、ヤンが不意に口を開いた。





「セリアさん、と言ったかな」


「え? は、はい……」


「あんたは姉だそうだな」


「はあ、そうですが……」


「なら、気をつけたほうがいい。あんたは『呼ばれる』可能性があるからな」


「呼ばれる……?」


「ああ。病気で亡くなった妹がな、姉のマルセルを捜して屋敷の中をよく歩き回ってるんだ。だから――決して勘違いをされるようなことは言わんようにな。もし呼ばれても、返事はしちゃいかん」


「……で、でも、わたし達はここで起きる現象をなくすためにここへ来ているので、そのためには――」





 ふっ、とヤンは鼻で笑うような声を出す。





「無理だよ、そんなことは……。神父様でもできなかったことが、どうして冒険者にできるというんだ……。たとえマルセルの骨を掘り起こして弔ってやったとしても……それで全てが解決するようには思えんな」





……確かに、霊が多い場所にはさらに霊が集まってくると言うし、一つの問題を解決したからといって全てが解決することにはならないのかもしれない。





 なんて考え事をしているうちに、本拠地とすることになった、ララが休んでいる部屋の前に近づいてきていた。のだが、





「ん……?」





 俺は遠くに耳を澄ます。今、何か妙な音が聞こえたような気が……。





「ハルト君、どうかしたの?」





 セリアさんが声を潜めて訊いてくる。





「……何か、音がします。誰かがドアを叩いてるような……」





 え、とセリアさんは足を止めて、





「……確かに。何かしら……?」


「じゃあ、ワシは屋敷の隣にある小屋にいるんでな」





 本拠地の前で足を止めたヤンが、こちらを振り向く。





「見たとおり屋敷の中はなるべく綺麗にはしてあるから、どこでも好きに調べればいい。食事は、頃合いになったら何か持ってこよう。大したものではないがな」


「あ、あの」





 と、セリアさんがヤンを引き止める。





「何か、音が聞こえるのですが、この音は……?」





 音? とヤンは眠たげに目をしょぼしょぼさせて、





「……ワシには何も聞こえんよ」


「でも……ほら、三階からでしょうか? ドアを叩く音と……何か声も……」





 確かに、ドンドンとドアを叩くような音に混じって、女性の声らしきものも聞こえる。





 しかしヤンはその音のほうへ全く顔を向けようとしないまま、セリアさんをじっと見つめてニヤリと笑い、





「何も聞こえんよ、ワシにはな……。だが、どうしても気になるなら、まだ外が明るい今のうちに行っておくがいい。夜には……決して行かんことだ」





 言って、ヤンは階段のほうへと足を向けて、だがすぐに立ち止まってこちらを振り向き、





「ちなみに、怖いのなら正直にさっさと逃げることだ。あの伝説の冒険者と呼ばれるブレイクでさえ、ワシが晩メシを持ってきた時にはいなくなっていたんだ。何も恥ずかしがることはない」





 そう笑って、階下へと姿を消していった。

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