里長の屋敷part2

「じゃあ、お二人さんはこちらへ」





 ヤンは俺達を先導して屋敷のほうへと歩き始める。





「湿気でもう腐ってきちまってるもんで、ドアを開け閉めする時はゆっくりとな」





 そう言って正面玄関の両開きの扉を開けると、キィィィ……という耳障りなほどの軋みが広い玄関ホールに反響した。





 ホールの正面には二階へと続く折り返しの階段があって、廊下は左右へと二十メートルほど伸びてから、こちらから正面の方向へと折れていっている。窓が割れて風通しが良くなっているおかげか、意外に埃臭さやカビ臭さはない。





「あんまりフラフラ歩くと、腐った床が抜けちまうかもしれないから気をつけてな」





 と、ヤンは――こう言ってはなんだが、どこか不気味な微笑を浮かべてから正面の階段を上っていく。





 ヤンが管理をしているためだろうか、廃墟にしては割合、屋敷の中は小綺麗にされていた。





 外れている扉は所々あったが、割れた窓ガラスの傍にガラスの破片が散らばっていることもなく、石の床にもゴミ一つ転がっていない。





 だが、それでも空気が死んだような静寂と、窓から差し込む灰色の光はどこまでも陰鬱で、気味が悪い。





 と、不意に、





「ララちゃん?」





 セリアさんの前を歩いていたララが立ち止まり、額を抑えながら壁に手をついた。





「どうしたの、ララちゃん? 具合でも悪いの?」


「うん……なんだろう、この屋敷に入ってから、なんだか凄く頭が重くなって……」





 セリアさんはハッとしたようにララの額に手を当てて、





「大変、熱があるみたい……! あ、あの、ヤンさん、申し訳ありませんが、屋敷の案内よりも、わたし達が休める場所へ連れていっていただけないでしょうか?」


「……ちょうどそこに向かってたところだ。ついてきなさい」





 言って、ヤンは二階の廊下を東のほうへと歩いていき、廊下の中ほどにあった扉を開けた。





「ここは床もまだ大丈夫だし、この屋敷の中じゃ数少ない、『出ない』部屋だ。だから、ここを使うといい。……ヒヒッ」





しゃっくりなのか笑ったのか解らない声を最後に出して、セリアさんを暗い目つきで見上げる。





 ありがとうございます、とセリアさんはララの手を引きながら部屋へと入り、その全く何もないガランとした部屋の床、窓際の明るいところにララを座らせた。





「ララちゃん……大丈夫?」


「ふっ……心配しすぎだってば、セリア姉は。ちょっと疲れただけだろうから……少し休めば大丈夫よ」


「でも――」


「大丈夫。アタシはここで少し休んでるから……セリア姉は屋敷の様子を見てきて」





 ララ、と俺は囁く。





「この部屋に、エビル系のモンスターが立ち入れないように《サンクチュアリィ》の魔法をかけておく。だから、安心してここで寝てろ。セリアさんは俺がちゃんと守るから」


「……うん、解った」





 本当に辛いのだろう、いつもなら何か皮肉めいたことを返してくるのであろうララが、今はただ微笑みながら頷き、ふぅと息をついてうなだれる。





 セリアさんはその様子を心配そうに見つめて、しかしやがて立ち上がると、後ろ髪を引かれるように何度もララを振り返りながら再び廊下へと出た。





 俺はそれから、魔王ヴァン・ナビスから《学習》していた《サンクチュアリィ》で部屋に鍵をかけておく。





 と、その直後、





 ――ん?





正面階段の所に、何か影がよぎったような気がした。





 いや、『気』じゃない。今や、俺は常に三百六十五度を見られる目を持っているのだ。影は確かに現れて――そして、それは間違いなく人影だった。





セリアさんだけに聞こえる声で囁く。





「……セリアさん、いま階段のほうに人影が見えました。ヤンさんに、この屋敷に誰か人がいるのか訊いてもらえませんか?」





 え? とセリアさんは思わず狼狽えた様子だったが、すぐに表情を引き締めて、





「あの、ヤンさん。今、階段のほうに人影が見えたのですが……ここには誰かヤンさん以外の人も出入りしているのでしょうか?」


「いいや、誰も出入りなんてしとらんな」


「でも……」


「気のせいだろう。何せ、ここには本当に人はおらんのだから……」





 ヤンは笑うようにやや目を細めて、東へ向かう廊下を奥のほうへと歩き出す。





今の言葉は……『人は』誰もいない、でも『人じゃない』ものはいるっていう、そういう意味……なのか? やっぱり。





セリアさんもそう察したのだろう、不安げに階段のほうをちらりと振り返る。だが、ここまで来ればもう引き返すことはできない。





「……ハルト君」


「はい?」





実は、とセリアさんはゴクリと細い喉を鳴らして、





「わたしもララちゃんと同じで……こういう場所が苦手なの」


「そうなんですか。それは少し意外ですね。このクエストを引き受けようと言ったのもセリアさんですし……ある程度、怖さへの耐性は持っているのかと」


「ううん、そんなの、全く……。だから――ハルト君、わたしを守っていてね。ハルト君がいてくれないと……わたし、きっとダメになっちゃうから」


「……安心してください。俺はここでちゃんとセリアさんを見ています」





 そう言うと、セリアさんはわずかに表情の緊張を緩めながら「うん」と頷いて、決意したようにヤンの後を追う。





『あなたがいてくれないと、ダメになっちゃう』





 そのお言葉は、できれば夜、二人きりでいる時に聞きたかったものだ……。





 そうしみじみ思いつつ、俺は気を引き締める。





 今は――仕事の時間だ。何があろうと、俺はセリアさんとララを守り抜かねばならない。

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