ANTHEM 中


「おはよう、メル。目が覚めた?」


 頭の上から声が降ってくる。寝ぼけた頭で、なんとかそれがシノの声であるとことを理解するまで数十秒かかった。


「寝坊助さん。ようやく起きたね」

「あ……」

 

 昨日のことを思いだして急に恥ずかしくなった。あのままシノに抱きしめられたまま泣いて、それで電車の中で寝て、シノにおぶってもらって帰ったのだろう。

 窓の外はとっくに日が昇っていた。どれくらい寝ていたんだろう……。ほとんど意識が飛んでいて、帰り道の記憶はほとんどない。


「学校、午後から出よっか。もうお昼だし」

「うん……。ごめんなさい」

「謝らなくていいって。シノのお世話するの、好きだしー」


 シノと私は一緒の家に住んでいる。厳密にはお互いの家を行き来しているだけなのだけど、一緒に住んでいるといっても言いすぎじゃないだろう。

 私たち2人ともの両親が出張なんかで家をあけることが多いから、自然とお互いの家に泊まって、一緒に御飯を食べたり、そのまま寝てしまうことが多くなった。

 とはいっても、家事はほとんどシノがやってくれるから、私はその手伝いをしているだけになってるけど。

 お世話するのが好き、とは言うけどたまに申し訳なることがある。私もせめて料理が上手になれればいいんだけど……。


「よっし、お昼ご飯も食べたし、学校いこ。全部サボっちゃうよりマシだよね、たぶん」

「うん……。私も準備できたし、行こうか……」


 こんな平日の昼間に外を出歩くなんて少し新鮮だ。

 街なかの人はまばらで、営業マン風のサラリーマンとか、大学生っぽい人とか、主婦っぽい女の人とかちらほら歩いているぐらいで、静かなものだ。

 

 少し歩くとちょうど昼休みが終わるころの学校についた。騒がしい生徒の群れに紛れながら登校したからか、あまり目立たずに登校できたっぽい。まぁ、クラスの人たちには当然バレたけど。


「おいおい、午前の授業フルですっ飛ばすとか、不良だなーお二人さん」

「まぁちょっと。寝坊してね」

「メルさんが寝坊するとは考えられないし、シノ、お前だろ」

「えぇー、メルだったらどうすんの?」

「ないない。絶対ない」


 いつもの光景だった。私みたいな引っ込み思案な人間でも、クラスに溶けこめているのはシノのおかげだ。

 私はシノに頼りっぱなしだ。シノはそれでいいって言ってくれるけど、それでいいのかな。本当に、そうだったのかな……。

 ふと視線をズラすと、一人の生徒が私を見ていることに気づいた。

 他の生徒と何ら変わりないように見えて、その人は私の方を見つめている。だけど、その顔が誰なのかよく分からない。

 女子の制服を着ているからたぶん女の子。私のほうを見つめている、いや私だけを見ているのに、その顔がよく分からない。

 少女は私を手招きしているようだった。


「え……」

「――」

 まばたきをした瞬間、もうその姿は消えていた。一体誰だったんだろう……。いや、気のせいかもしれない。幻覚かなにか、きっと疲れているんだろう。


「シノ、大丈夫? またぼーっとしてる」

「あ、うん、大丈夫、大丈夫。もう授業始まっちゃうし席につくね」

「はいはい。具合が悪くなったら……」

「我慢せずに、ちゃんと言う……だよね?」

「シノはほんとに過保護ねー。メルちゃんかわいいから仕方ないか」

「ちょっとー、メルに変な気起こさないでよ」

「シノがいるのに、起こすわけないでしょー」


 他愛のない会話を聞きながら、なんとなく頭のなかのモヤモヤを忘れようとする。だけど、結局そのモヤモヤも、不思議な少女の視線も、私の意識から消えることはなかった。




「来て」

「え……?」

 放課後、私はシノを誘って帰ろうとしたところを、誰かに掴まれて教室から引っ張り出されていた。

 少女だった。


「ちょ、ちょっと。離して! 私これから……」

「メル。このままではいけない。あなたも気づきつつあるはず」

「それ、は……」


 そう。やっぱり私はこの世界にどこか違和感があった。変わらない毎日、静かな街並み、私には決して話しかけないで、シノにだけ話すクラスメイト。だけど、クラスの人たちは別に私のことが嫌いではないみたいだった。

 そして昨日のライブ。

 

 気になったことが服に広がる染みのように、私の思考のなかに広がっていて、消えてくれない。

 忘れようとしても、目を背けようとしても、やっぱりそれは私の思考の片隅に確かにあって、なにかもっと大切なことがあるはずだと囁きかける。


「メル。率直に言う。この世界はシノによって作り出された世界」

「なにを……?」


 廊下を歩いて、どんどん階段を上がっていく少女に連れられて、私は視聴覚室まで来ていた。

 人気はまったくない。それどころか生徒たちの喧騒すら聞こえない。隔離された場所のように静かだ。


「私はようやくこの世界に侵入することに成功した。メル、あなたを元の世界に帰すために私はやってきた。昨日は失敗したけど。今度はもっと確実な方法でいく」


 何を言っているのか全く分からない。眼の前の少女の顔はやっぱりよく認識できなかった。誰なんだろう。知っているようで、知らないような懐かしいような、そんな曖昧なイメージでしか認識できなかった。


 視聴覚室には1台のスクリーンとPCと映写機が用意されていた。


「あの、この世界がシノによって作られた世界ってどういうことなの?」

「そのままの意味。この世界はシノの空想の世界。貴女とシノのために作られた世界」

「何を言ってるのか全然わからないよ」

「ではこれを見て」


 少女がそう言うと、スクリーンにどこかの風景が映し出された。

 誰かが歌っていることは分かる。誰かが誰かに向かって歌っている。その誰かは、色んな人のために歌っていた。

 不思議なことに見覚えがある。その中には、シノもいた。誰かがシノのために歌っているんだ。誰が、これは誰。これは……。


「なんなのこの映像。一体歌ってるのは誰なの?」

「まだ、分からないか。あなたの記憶は厳重に封印されているのね。分かった。もっと強引に行く」

「え。ちょっと、なに……」


 一瞬で距離を詰めたと思った次の瞬間には見知らぬ少女にキスをされていた。

 唇と唇が触れ合う不思議な感覚。何をされたのか理解するのに数秒かかって、気づいたら少女を突き飛ばしていた。

「ん……っ!?」

「ぷはっ……。これで、どう?」

「どうって! いきなりなに、を……」


 眼の前には私の顔をした少女が立っていた。私と全く同じ。そしてスクリーンにも私がいた。私が歌っている。そうか、私は――。


「なに、してるの? 私とメルの前から消えてくれない?」

「見つかったか……。メル、あなたは早急に元の世界に戻るべき、そうしないと――」

「消えろ」


 聞いたこともないような冷たい声が、シノの口から聞こえてきた。見たこともないような怖い顔で、私の顔をした少女を

 それは間違いなくシノがやったことで、そして私にはもう分かっていた。なんでシノがそんなことができるのかを。

 そう、シノがこの世界を作った、神様だからだ。


「シノ。私、何となく思い出したよ。私のこと、シノのこと、世界のこと。だけど、まだ思い出せないことがあるの。シノと出会ったときのこと、そしてこの世界に来た時のこと。シノ、私思い出したいの。だから……」

「……。誤魔化せないか……、もう。仕方ないなぁ……。じゃあ見てもらおうか。ちょうどスクリーンもあるしね」

 

 シノは観念したようにPCを操作して、スクリーンに写し始めた。私とシノの出会いの時を


 

 

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