第128話

「佑樹さん…いい加減、機嫌直してくださいな。奮発してカプチーノをご馳走しているのですから」


 楽器店を出たあと、へその曲がった佑樹のご機嫌とろうと、汀怜奈は駅の近くのエクセシオールカフェに彼を誘っていた。しかし、そう言いながらも汀怜奈の笑いがいっこうに収まらない。


「先輩、ホントなんだから…自分はその人に会ったんですから。内緒にしてたけど、先輩へって、サインも貰ったんだから…そんなに笑うなら、あげませんよ」

「わかった…クックックックッ…もう笑わない…キッキッキッキッ…」

「だいたい先輩が女言葉なんか使ってるから、女の人に間違えられるんですからね」


 佑樹がそっぽを向いてカプチーノのカップを口に運んだ。汀怜奈は、まだ口元に手を当てて笑いを噛み殺している。


「先輩!笑いすぎです」


 口をへの字にして汀怜奈に抗議する佑樹。汀怜奈がその顔を見てまた笑いがこみ上げてくる。佑樹の唇にカプチーノの白い泡がヒゲのように付いているのだ。


「本当に佑樹さんは、子どもみたいですね」


 そう言いながら汀怜奈が取った行動は、プロのギタリスタの指の使い方としてふさわしいものではなかった。汀怜奈は自分の指を直接佑樹の唇に添えると、その白いヒゲを拭ったのだ。


 可愛らしい佑樹に、正真正銘『思わず』の行為であったが、汀怜奈はすぐさま後悔した。普通プロのギタリスタたるもの、ギターの弦をつま弾くための細くてしなやかな大切な指を、他人の肌、特に唇などに直接触れないものだ。自分のプロ意識はどこへ行ってしまったのだ。


 そんな自分への自己嫌悪に忙しい汀怜奈は、自分が引き起こしたことについての相手への気遣いを全く忘れていた。実際、佑樹が声を発しなければ、目の前に彼がいることさえ忘れていたほどだ。


「わかった。先輩はわざと女言葉を使ったり、女っぽい仕草をして、自分をからかってるんでしょ」

「別にそんなつもりは…」

「もういいです…急に用事を思い出しました。今日のレッスンはこれで終わりにしましょう」

「えっ、でも…」

「カプチーノごちそうさまでした」


 佑樹はいきなり席を立つと、さっさとカフェを出て行ってしまった。

 その後姿を目で追いながら、佑樹が急に怒り出した理由が、全く分からずにいた汀怜奈だった。

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