第99話
「京都は盆地で、海がないでしょう。時々広い海が見たくなるんです」
「そうですか…」
「それに、海に来なければわからなかったこともあるし」
「例えば?」
「例えば…風です」
「風?」
「ええ、京都の風は、樹々を揺らしてその音を発するのですが、風自体に音があるなんて、海に来なければ気づきませんよ」
「そーなんですか…」
「それに、風の表情」
「表情?」
「ええ、盆地の風は無表情ですけど、浜辺の風は時に安らぎ、時に怒り、時に悲しむ。実に様々な表情を見せますよね」
「でもそれは、風の表情ではなくて、風を受ける人の気持ちが風に写っているだけじゃないんですか?」
「うっ、女子校生の割には結構深いこと言いますね」
ミチエはコロコロと笑った。
「要するに、いままで風に表情が感じられなかったのは、盆地のせいじゃなくて自分の感受性が乏しかったからだと?」
「そこまでは言いませんが…泰滋さんは、怒ったりしないんですか?」
「そりゃあ、怒ることもありますが…」
「そんな時はどんな顔になるんですか?」
「えーっと…」
しばらく顔の筋肉を動かしていた泰滋だったが、諦めたようにため息をついた。
「わかりません。京都人は感情を顔に出す訓練を受けてないんで」
「そんなことはないでしょう。泰滋さんの笑顔は素敵ですよ」
「あ、ありがとうございます」
屈託のないミチエの言葉に、泰滋が頭をかきながら赤面する。
「でも、実はその笑顔がくせもので、色々な感情に襲われながらも、京都人はその笑顔の下にそれをひた隠すんです」
「あら、怖いことを…」
「ええ、それでよく言われることなんですが、京都人の本心は寝顔に現れるんですって」
「ならば泰滋さんは安心ですね。泰滋さんの寝顔は、その笑顔よりも何倍も可愛くて素敵ですから…」
ミチエは泰滋に見つめられて、自分言った言葉の意味に気づき、赤面しながらうつむいてしまった。泰滋も視線を水平線に戻し、しばらく黙っていた。
「今夜、親戚のうちに戻ります。母親に言い付かった用がありまして…。母の実家…山梨県の塩山なんですが…行かなければならないのです」
「そうですか…」
「明日、塩山で1泊したら、また親戚の家に戻り…その次の日には京都に戻ります」
「はい…」
「本当にお世話になりました」
「いえ、十分にお構いもできず…」
ミチエも泰滋も、お互いに溢れてくる気持ちに手を焼いていた。ふたりとも、どうしたらいいか分からず、ただ黙って水平線を見つめていた。
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