第62話

 泰滋が思わずそうつぶやいたのも無理はない。


 何も自分の姿が知れることを躊躇したのではない。当時、写真は貴重品であったのだ。気軽に写真を撮って送る時代ではない。今でこそスマホで写真を撮り、メールで送るなど簡単にできるが、当時は、まずカメラが貴重品。フィルムも高価。撮ったら写真館へ持込み現像、そして焼きつけ。これも決して安いものではなかった。しかも、デジタル写真ではないので、何度も撮り直しができない。綿密に計画を練り、背景と構図を何度も確認した後に、必殺のワンショットを決めなければならない。

 しかし泰滋は幸いにも、カメラ、フィルム、そして大学の部室に現像設備を持っている。しばし考え込んだ後、彼は腹を決めて友人達を招集した。ポートレイト撮影プロジェクトが始動した。


 ポートレイトのコンセプトは、知性、清潔、躍動、どれでいく?どの背景で、どういう構図で、どんなポーズで…。顔のどちら側から見たら写真映えがするのか。おい、服はどないするんや。などなど、喫茶店で喧々諤々話しあった結果、天気を見計らってチームは北大路橋が望める賀茂川の河川敷に集結した。


 河川敷に立つ松の幹に寄りかかり、遥か川面を、若干薄目にしたすずしい眼差しで望む。いくらみんながポーズを注文しても、友達に委ねた自分のカメラの扱いが気になって、ついカメラを見てしまう。友達がふざけてカメラを落とす真似をしたら、泰滋は本気で気絶しそうになった。

 夏も間近なのに、肌の露出は野暮ったいと、長袖のシャツとVネックのセーターを着込まされて、撮影が終了した時には、もう汗ぐっしょり。もちろんプロジェクト打ち上げのビール代は、泰滋が出した。


 現像、焼き付けは泰滋の個人作業。現像液にひたす時間を若干短めにして、写真全体の雰囲気をソフトに仕上げる…。かくして、入魂のポートレイトが完成したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る