第56話

 賢明な読者はすでにお気づきかと思うが、佑樹がバンナと言っている人物は、汀怜奈である。汀怜奈は、福岡からの帰り、羽田空港から浜松町に出て、山手線で渋谷へ向かう途中、このギターを抱えた若者に出会った。


 佑樹を見た最初は、汀怜奈は怒っていた。ギターをビニール袋に包んで持ち歩くとは…。透明ビールから見えるギターは、ガットギターであるのにもかかわらず、ピックガードが貼ってある。ホールの形状とピックガードのエッジがあっていないので、後から張り付けたのだろう。ご丁寧に、ギターの尻にストラップピンまで打ってある。


 ガットギターをフォークギターに変形させ、立ちながら弦をピックで掻き鳴らして弾くだとぉ。これはガットギターへの冒涜だ。この若者のギターに対する無神経な感性が我慢ならなかった。


 ギターを目で追っていくうちに、若者がギターを持ちあげた角度でサウンドホール内に貼ってあるラベルを垣間見ることができた。汀怜奈は愕然とした。そのオレンジのラベルに『マルイ楽器製造 HASHIMOTO GUITAR 1956年製造』と書いてあったのだ。


 それからというもの、汀怜奈はギターと佑樹から目が離せなくなってしまった。なぜあのギターをこんなド素人が持ち歩いてるのか?。そしてサングラス越しに探っているうちに、あのチンピラ騒動に参入することになったのは前述の通りだ。


 やがて汀怜奈はこの若者が、なぜか自分を男だと思い込んでいることに気づきはじめていた。通常なら即座に若者の誤解を打ち消すシチュエーションだが、汀怜奈も途中から、ギターと若者との謎を解くためにはこのままが良いと判断したようで、特に訂正もせずカフェの席についた。


「とりあえず先輩は、ビールでいいですよね」

「えっ、ビール?」

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