第46話

「ただいま」


 泰滋が自宅は木戸を開けると、台所に直行して井戸の水を汲み上げた。柄杓を口に当て直接京都の水を飲み干す。


「泰滋ちゃん。コップで飲みぃといつも言うてるやろ」


 泰滋は、各地に旅をする経験が少ないので、確かなことは言えないが、水の美味しさにおいては京都に勝る地は無いと考えている。井戸から汲み上げてさらさらと流れる水を見ると、もう喉が鳴ってコップに移し替えるももどかしくなるのだ。

 母親の小言にも笑いながら返事も返さず、居間の畳の上にごろんと寝転がった。腕枕をしながら木造りの天井のシミを眺める。確か今日は、千葉の女子高生と会う約束の日だった。会いに行かなかった自分を責める気にはならなかったが、会いたいと言っていたミチエの手紙を想うと多少心が痛む。


「泰滋ちゃん」


 母親がそばに座って話しかけてきた。


「さっきな、あんたのお友達が来てな、これ置いていったで」

「そこへ置いといて」

「なんやらな、今日会った人が泰滋ちゃんに届けて欲しいて言うたそうや」


 泰滋は黙って返事もしなかった。


「はよ、あけてみいや」

「なんでや。あとでええやないか」

「そやかて、生ものだったら腐ってまうし…」


 泣きそうな母親の言葉に泰滋も動かざるを得ない。


「わかった。あけるよ」


 仕方なく泰滋は半身を起こし、包みを開けた。中身を覗き込んだ母親は、顔をしかめた。


「なんやそれ、気色わる」

「焼きハマグリや」

「なんやそれ?」


 泰滋は、母の問いに答えもせず焼きハマグリが入ったビニールを取りだすと母に渡す。


「今夜の晩酌に、良い肴になる。おとうはんに食べさせて」

「これ、食べ物かいな…おとうはんもよう食べへんと思うわ…」


 母親が指先でビニールをつまんで台所へ持って行こうとすると、ビニールにメモが付いていることに気づいた。


「泰滋ちゃん。これなんやろ」

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