第3話
「細かいことを……あれ、あの目つき悪い先輩は?」
言われて周りを見渡す。
確かに先ほどまで後ろを歩いていたはずの万丈が姿を消していた。それで注意深く探してみると、道の端っこで突っ立っているのを見つける。
「先輩ッ! 何やっているんですか?」
大きめの声で呼びかけてみるが、万丈は振り向かない。よく見れば、何かと向き合い、にらめっこしている状態らしい。
仕方がないので、凪達は万丈に近付いていく。
「もう! 何しているんですか、こんなところで……勝手に付いてきた上に迷子になるなんて、いい迷惑なんですけどっ!」
美樹が再び悪態をつくものの、万丈は無反応だった。
その態度に顔を真っ赤にする美樹は、掴みかからんばかりの勢いだったが、凪は間に入って止める。
止める凪にまで食ってかかろうとする美樹だが、万丈が何かを見つめているのを察知した。
「なんで……自販機なんて見てるんですか?」
「えっ! お前、これが何なのかわかるのかっ!?」
万丈の驚いた様子に、美樹は呆れた顔をしてみせる。
「自動販売機……知らないんですか? うわぁ、まじめにドン引きですよ、それ……」
「し、仕方ねぇだろうが! 俺はこういう場所に……来たことがねえんだよ!」
かつてはどんな田舎にも設置されていたと言われる自動販売機だが、現在ではよほど人通りが多い繁華街やレジャー施設でなければ置かれなくなった。
理由は簡単で、『歩行者の減少で利用者も減ったから』である。
「で?」
「なんです?」
「だから、これはいったい何なんだ?」
「だから、自動販売機ですって」
「だからっ! その『じどうはんばいき』ってのは何をするもんなんだよ!」
見たことがないものなら、使い方もわからない。
よく考えれば当然だが、美樹にはその発想がなかったらしい。あまりにも予想外の返事を耳にして、口を開けたまま固まってしまった。
「まさか、この先輩も記憶喪失なんじゃ?」
「うーん、否定できないのが悲しいなぁ」
凪と美樹は大きくため息を吐く。呆れたような視線を向けられ、さすがの万丈も苛立ったんだろう。
「俺だって知らないことくらいあんだよ! それとも何か? お前らには知らないことなんてないっていうのかよっ! ええっ!?」
まるで小さな子どものような言い分である。見ていて、流石に哀れに感じた凪。
だから、手にした荷物を一旦地面に置くと、一歩前に出る。
「これは飲料を提供してくれるハードウェアですよ」
凪はほとんどが自動販売機と呼ばれる黒いボックスの前に立つ。
特別な表示は何もない。漆塗りにでもしてあるかのような漆黒の直方体は、凪の動きに反応して緑色の光を浮かべる。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
女性の声が聞こえてくる。凪はその問いかけに答えた。
「お茶を」
「承りました。少々お待ちください」
すると自動販売機から赤い光がライン上に放たれる。それは凪の体を上から下へとなぞるように動く。
「デバイスをかざしてください」
促され、凪は腕のデバイスを機械に向ける。
「どうぞ、お召し上がりください」
真っ黒な直方体の中央部分が開くと、そこには紙コップがあり、中から湯気が立ち昇っている。
それを手に取ると、凪はゆっくりと飲んでみせる。
「ん……ちょうど良い渋さだ。これが自販機です」
「なるほど、飲み物を買うための機械なのか」
「そういうことです」
万丈が感心したように頷いていると、美樹が再び呆れた顔を見せる。だが、今回はバカにするというよりも、どこか憐れんだような様子である。
「先輩……普段は休日、何して過ごしているんですか? 自販機を知らないって……」
「そんなのはお前……仲間とダベったり……ダベったり……べ、別にいいじゃねぇか、そんなことは! よし、俺も飲み物を買うぞ!」
自販機を前に鼻息を荒くし始める万丈。
凪は入れ替わるように、美樹の隣へと歩いていく。
「ツミキ……さすがに、からかいが過ぎるだろ。誰にだって知ってることと知らないことがあるんだ」
「そんなのはわかってるけどさ。でも、さすがに自販機を知らないってのは……」
「だから、そういうのをやめろって言ってるんだよ」
凪が強めに諌めると、美樹は「はいはい」と生返事をする。
知らないことがあるとしても、それは責められるべきことではない。もし「無知」が罪だというのなら、世の人々は等しく罪を背負っている。
ふと余計なことを考えてしまった凪だが、すぐに正気を取り戻した。なぜなら、万丈が大声を上げたからだ。
「なんだこれっ! 全然何も出てこないぞ!」
自販機の前でジタバタしている万丈。
「なにやってるんですか?」
「だってよ、こいつ……全然何も出してこないだよ」
「いや……そもそもきちんと前に立ってないですし。そこじゃ遠すぎます」
「なら、これでいいか」
万丈が少し前に進むと、自動販売機から声が響いてくる。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
「おう、なら……クリームソーダをもらおうか!」
ブッブー!!
警告音が響く。
「ご注文をどうぞ」
「いや、だからクリームソーダをだな……」
「ちょっと待った」
凪が止めに入る。後ろでは美樹が腹と口元を抑え、必死で笑い声をこらえている。
「それ、飲み物じゃないですよね。ていうか、なんでクリームソーダなんですか」
「飲みたいからに決まってるだろうが」
「うーんと……あくまで飲料だけですから、自販機で買えるのは。サイダーとかじゃダメなんですか?」
「……じゃあ、サイダーでいい」
万丈は納得がいかない様子だが、凪に促されると改めて自販機に告げる。
「サイダー!」
「承りました。少々お待ちください」
自動販売機から赤いライン状の光が万丈の体を上からなぞる
ブッブー!!
再び警告音が響く。
「ご注文をどうぞ」
「はあ!? ふざけんな! 俺は……注文しただろうが!」
苛立ちがピークに達したらしく、万丈は自販機を叩こうとし始める。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「止めるな、一条っ! 俺は機械にバカにされて腹が立ってるんだ!」
「バカにしてるんじゃないですよ! ただ、健康状態に合わなかっただけです!」
「け……健康状態?」
「この自動販売機は注文された飲料を、購入者の健康状態に合わせて抵抗するんです。でも、炭酸飲料っていうのは、あまり健康に良くないですから……先輩、普段からかなり飲んでるんじゃないですか?」
「まあ……」
「だから、これ以上飲むのはよくないって自販機が判断したんですよ。だから、別のものを飲むようにって」
「ふ、ふざけんな! 何で機械に指図されないといけないんだよ!」
「いや、そういうルールですから! そういう手順で飲み物を提供する機械なんですよ、これ」
「いいや、気に入らん! 俺は、何がなんでもこいつからサイダーを買ってやる!」
「いや、だから無理……」
「サイダーだ! サイダーを寄越せ!」
自動販売機から赤い光が伸びる。
ブッブー!!
「ご注文をどうぞ!」
「さ・い・だーッ!」
そしてまた警告音が響く。凪と美樹はひたすら同じことを繰り返す万丈に冷たい視線を送る。
「あれでも……からかうなって?」
「うん。むしろあれは『関わるな』って感じだけど……帰るか」
「うん! フィリア帰る!」
鳴り止むことのない警告音に背を向けて、凪達はそそくさとその場を後にした。
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