第7話

「……はい、確認しました。これで全部返却ね」

「時間遅いですけど、少し見ていってもいいですか?」

「もちろんよ! ここに来てくれる人なんて、あなたを除けば、どこぞの古書マニアくらい。それも高値で売れる本を探しているって類ばかりだから。きちんと本を読みに来るのはあなたくらいだわ」

 凛子の言葉に、凪は少しだけ笑ってみせる。そして、そのまま本棚の合間へと姿を消していった。

「ここ、なに?」

「あら、あなた……お名前は?」

「フィリア」

「そう、フィリアちゃんっていうのね。私は凛子、よろしくね!」

 凛子が握手を求めると、フィリアは首を傾げた。

「あら、ヨーロッパ系の人かと思ったけれど、そうじゃないのね。握手……シェイクハンド、知らない?」

「……わからない。ねえ、ここはなに?」

 凛子の問いに短く答え、再び同じ質問をするフィリア。

「ここは図書館よ。と言っても、個人の書庫を開放しているだけなんだけどね。公的機関からは図書館が消えてしまったから。今は何でもデバイスを通して調べられることばかり。情報は脳に直接インストールするのが一般的だもの。本で知識を得ようとする人なんて、滅多にいないわ」

「ほん? それがホン?」

 フィリアが指差したのは、凪が返却したものである。

「そう、これが本よ。デバイスが生まれる前は、誰もがこれで勉強をしていたわ。と言っても、私もおじいちゃんから話を聞いただけだけどね。一文字ずつ、なぞるように目を通していく作業は、少し面倒だけれど……とても楽しいものでもあるわ」

「そう、なの?」

 二人が話していると、凪が戻ってきた。五冊の分厚い書籍を抱えて。

「今日はこれだけ借りていきます」

「あら、今回もまた随分と難しそうな本を。勉強家よね、一条くんは」

 『デジタル世界の終わり』、『量子コンピュータの可能性』、『不確定性原理の応用について』など、科学や科学技術関連の書籍ばかりである。

「いえ、これは趣味みたいなものですから。勉強とかでは……」

「フィリアも読みたい」

 後ろから抱きつくように、フィリアは凪に身を寄せる。

「はあ? 読みたいって本を?」

「うん、本を読みたい」

「って言っても……柔らかい……じゃなくて。読めそうな本なんて」

 フニンッとした感触に気を取られそうになるが、気の緩みは一瞬だけ。すぐさま正気を取り戻し、借りようとしている書籍を眺める。とても記憶喪失の少女に読めそうなものではない。

「フィリアちゃん、あんまり日本語が上手じゃないのかしら?」

「あ、そうなんですよ。最近、こっちに来たみたいで」

「なるほどね! それなら良い物があるわ。たしか、この辺りに……あった!」

 凛子はカウンターからほど近い本棚に目を向ける。そこから一冊の本を見つけると、そっと手に取り、差し出した。タイトルは『にほんのどうわ』となっている。

「子ども向けの昔話を集めたものなのよ。六歳児くらいでも読めるようになっているから、フィリアちゃんにちょうどいいんじゃないかしら?」

「なら、それも……ああ、でも週に五冊まででしたよね、借りられるの」

 凛子は首を横に振る。

「気にしなくていいわ。おじいちゃんが作ったルールだから。それに、一条くんが返し忘れたことのない人だって知っているし。信用しているもの」

「……ありがとうございます」

 正面から『信頼している』などと言われると、凪もどこか気恥ずかしさを覚えてしまう。凛子から手渡された童謡集を受け取ると、フィリアに渡す。

「これならお前にも読めそうだって。良かったな」

「うん! 読む! フィリア、読む!」

「あらあら、喜んでくれたみたいね」

 ゴーンゴーン!

「あら、もう七時だわ。夕飯の支度しないと……そうだ!」

 凛子は手をパンと叩く。

「何なら、二人も一緒に食べていかない? せっかくだから!」

「あっ……いえ、それは。また、今度にさせてください」

「あら、そう? うん、なら今度ね。フィリアちゃんには、本の感想も聞きたいし!」

 凪はちょうど、借りる本をカバンにしまう終わるところだった。凛子の誘いに、軽くお辞儀だけして屋敷を後にする。

 フィリアも真似してお辞儀をし、凪の後を追いかけるのだった。

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