第8話 東屋の翁たちと華憐堂の娘、あとおじい

 駆け寄った老人たちの輪の中に意外な人物を見つけ、蒼は思わず声をあげてしまった。


「あっ! 萌黄もえぎさん!」


 飛び跳ねそうない勢いで驚いた蒼へ、一斉に視線が注がれた。その一呼吸後、今度は萌黄と呼ばれた女性に集中してしまう。びくりと萌黄の華奢きゃしゃな肩が震えた。

 悪いことをしたかと、蒼は慌てる。

 しかし、蒼の予想に反して、萌黄は顔をあげた途端、目を輝かせた。しかも、その黄緑に近い勿忘草色わすれなぐさいろの瞳は、潤いを増していくじゃないか。


(え?! そっそんなに喜んでもらえる登場だった? 紅はいないのに)


 陽気よりも熱すぎる歓喜の空気に押されてしまい、蒼は後ずさりをした。が、それを追いかけるように、萌黄は風を切る勢いで立ち上がった。胸の前で手を組み、きらきらと瞳を煌かせている。

 あまりの反応に、黙って茶を啜っていた石翁いしのおきなが、好奇心旺盛な様子で尋ねてくる。


「なんだ、蒼嬢ちゃんの知り合いかいな」

「うっうん。ほら、中央通りに大型の茶葉店が出来たでしょ? その華憐堂のお嬢さんだよ」


 萌黄の勢いに押されながら、蒼がなんとかといった調子で答えた。

 それに驚きの声をあげたのは、紺樹だった。


「ほぅ、貴女が。というか、翁たちは知らない女性を、無理やり井戸端会議いどばたかいぎに巻き込んでいたのですか?」

「あらやだ、大将。茶瓶を持って所在なさげにしてたから、てっきりどこかの東屋に入りたいのかと思って、お誘いしただけよ」

「……所在なさげではなく、どこかへ行かれる道中だったのでは?」


 紺樹に呆れたように溜息をつかれ、老人たちは数回瞬きをした。顔を見合わせた老人たちを見る限り、本気で良かれと思って誘ったようだ。目じりの深い皺が、溝を深めていく。

 たっぷりと空気を吸い込んだ後、がたんと大きな音が鳴り響いた。


「なんとっ!!」


 近くの東屋にいる人間たちが、何事かと振り返る。しかし、東屋の中にいる人物たちが確認できると納得したようで、すぐに興味をなくし各々の会話へと戻っていった。


「あっ危なかったよ」


 彼らが立ち上がった衝撃で、危うく煮水器が倒れそうになる。蒼は慌てて手を伸ばし、それらを押さえた。机の反対側にある煮水器に両手で掴みかかったので、上半身が机に乗りかかってしまう。腹部あたりがわずかにだが痛むけれど、大事には至らなかった。

 蒼から安堵の息が漏れた。

 

「いやっ! まっことすまんかった!」


 蒼の頭の上から、木爺もくじいの大きな声が降ってくる。


「お嬢さん、あたしはてっきり。いやだよ。そりゃ、お嬢さんのような若い娘さんなら、好きな人の下へ行こうとしていることくらい容易に想像つきそうなものの」

水婆みずばあ様、それも極端な話ですよ」


 紺樹が井戸端会議の発想を、あきれた口調で押し流そうとする。それと同時に、蒼が起き上がるのを手伝ってくれる。蒼は遠慮なく伸ばされた手をとる。が、あまありに強く握り返してしまったせいだろう。紺樹の腕がわずにだが揺れたように、蒼には思えた。


「いっいえ。あの、わたくし……」


 水婆の想像は、あながち間違いではなかったようだ。石爺が糸目をさらに細めて、前を指差す。

 しわしわの指先にいるのは、艶々に火照った萌黄だ。耳は火が出そうなくらい赤く染まっている。


「大将、そうでもないようだぞ?」


 いつの間に動いたのか。蒼は自分の後ろに隠れ袖を握っている萌黄を振り返る。真っ白な肌を上気させ伏し目ではあったが、はっきりと「そうなのです」と肯定の言葉を口にした。


「春だねぁ……うらやましいのう」

「安心おしよ。あんたの頭は年がら年中そうさね」


 水婆が、木爺の肩を裏手で叩いた。相変わらず、漫才のようなやりとりだ。

 しかし、萌黄はそのやり取りを気に留める様子はない。おどおどした態度とは反対に、彼女の語気は少しばかり恨めしさが、込められていた気もする。


(翁たちが気にしてないならいっか)


 わずかにだが、蒼よりも身長の高い萌黄は、猫背になってしまっている。自分の腰帯を掴んでくる萌黄を振り返り、蒼は頬を緩めた。

 よほど人見知りなのだろう。萌黄は、変わらず下を向き誰とも視線を合わせようとしない。的外れな方向を見ているわけではないが、わずかに目が合わない分、余計気になるのかもしれない。


(なのに、どういうわけか紅に対しては、やけに積極的に想いをぶつけてるんだよねぇ)


 ぶつけているとは言っても、影から見ていることがほとんどだ。

 かなりばればれな上に、差し入れなどしてくることもあるので、そう表現しても間違いではないと、蒼は思う。

 蒼が一人心打ちで頷いていると、ぽんと頭上で紺樹の手が弾んだ。


「蒼、そろそろ行きますか」

「あっ、うん。翁たちもまたね」


 紺樹に声をかけられ、蒼は我に帰った。

 そうだ、お使いの途中だった。自分が勝手に出てきたとはいえ、あまり遅くなるのは好ましくない。紅の怒りが覚める時間をとったというのに、逆効果になってしまいかねない。蒼は見て明らかに焦りだす。

 慌てて手を振った蒼に、三人の老人は微笑み返してくれた。


「おぉ。蒼嬢たちも気をつけてな。最近人が増えたせいか、街中が歩きにくくなっておるから」

「そうそう、はくのじいさまにも『久しぶりに顔を出せ』とでも伝えておいておくれよ。まだ落ち込んでいるようなら、ひっぱっ――」


 水婆が扇をゆらしながら、ため息混じりにぼやく。そこにかぶせるように、萌黄が不思議そうな声をあげる。


「え? 落ち込んでいらっしゃる?」

「おい!」


 老人二人がぎょっと目を見開き、水婆の肉厚な腕を叩いた。ぼんっと、まるで銅鑼どらのような良い音が鳴り響く。結構な衝撃だったはずだが、叩かれた水婆は怒ることなく、ただ、バツが悪そうに蒼を見つめた。

 蒼には三人が自分を労わりの眼で見ているのがわかった。それに対してどう返していいのか、一瞬浮かんでこなくて。蒼は口の中が急に乾いていくのを感じた。動悸が激しくなる。


(人を心配させてはいけない。もう何ヶ月も前のことだし、今更涙を流したところでどうしようもない)


 わかっているのに、心の外側から来る刺激にはどうにも弱くなってしまう涙腺が恨めしい。原因なんて重々承知だ。

 落ち込んでいる。

 それは、祖父である白龍はくろんにとって娘と義息子――つまり、蒼にとっての両親が亡くなったことを示すに他ならない。


(おじいは普段飄々ひょうひょうとしているから余計に心配になるよね。私も最近のおじいはちょっといつもと違うって思うし)


 下を向いてしまった蒼の頭に、温かさがしみてきた。ついで、数度熱の元が軽く弾む。それにあわせて、蒼は心臓がとくんとくんと鼓動を打つのを、全身で感じた。

 慰めるのでもなく、鼓舞するのでもない。昔から紺樹がくれる、ただ寄り添ってくれると感じる不思議な律動リズム


(大丈夫、私は大丈夫だよ)


 心の中で数度呟くと、蒼は徐々に平常心を取り戻していった。

 それを察したように、頭を撫でていた紺樹の手が動くのをやめる頃には、「大丈夫だよ」とにっこりと笑うことができた。


「翁たちも、ご自分たちで師傅しはくにお会いになればよいものを。老人の心配の照れ隠し姿なんて全くもって、かわいくないですよ」

 

 紺樹の悪戯な声が空気をほぐしていく。年配の者に対して失礼なくらい不遜な態度に思えるが『かわいくない』という言葉選びで帳消しになっていると、蒼はさらに笑いを零してしまう。

 翁達も声を揃えて、


「てっ照れてなどおらんわ! 加えると、断じて照れてなどおらんが、老人だってツンデレというやつで可愛くてなにが悪い!」


と空気を割く勢いで声を重ねて空気を震わせた。

 どっと周囲の東屋からも大きな笑い声がさらに被さった。「悪くないです。そーいうの大好物です」だとか「許されるのは若い美男美女だけだぞー」などとヤジも飛んでくる始末だ。


「私は悪くない派だけど、おじいは間違いなく『そんなにわしのことが好きか、そうか、しょうがないから好きでいさせてやるかの』って、にやつくね」


 蒼は自分で言いながらも笑ってしまう。苦しそうに飛び出て来る笑いを抑えようと、口を押さえるがどうにも収まってはくれない。

 腹を抱える蒼を見て、紺樹は微笑を浮かべた。そうして、もうひとつおまけにと言わんばかりに、わざとらしく澄ました表情をつくり「そうですか」と肩をすくめた。


「おじい? 師傅?」


 萌黄はひとり、きょとんと大きな切れ長の目を瞬いている。

 それに気がついた蒼は目じりを拭いながら、萌黄に向き直った。


「萌黄さん、置いてけぼりになってごめんね。えっと、私と紅の祖父は――私たちはおじいって呼んでるんだけど、こっちの幼馴染の紺君の体術や学術の先生でもあって、『師傅』って呼ばれていたり、翁衆には『白』って呼ばれていたりするから、ちょっとわかりにくいかもだけど。あっ、本名は『白龍』っていうの」

「そうなのですね。お見かけしたことはありますわ。紅さんによく似ていらっしゃる」


 紺樹と翁たちを交互に示し説明すると、萌黄は納得いったように頷いた。受け止め方がどこまでも紅中心だが。

 あははと空笑いをする蒼にこそりと顔を近づけてきたのは水婆だ。からかう様子はなく、萌黄の言葉の強さから何かを察したようで心配の色が濃い。蒼は女性特有の感かなと、何か通じるものを感じた。


「なんだね、このお嬢さんは紅に惚れとるの?」

「そうみたいなの。結構、押し強め」


 萌黄には聞こえないようにと、小声で会話が交わされる。けれど、『紅』という単語に敏感な彼女が気づかないとも限らないので、蒼は早々に話を打ち切ることにした。

 情報通の水婆も特に追及してくることもなく、軽く腰元を数度叩いてきただけだった。


「翁たち、ありがと。おじいにみんなが心配してくれていたことは、ちゃんと伝えておくね。あと翁たちも、たまには望月もちづき朔月さくづき以外の日にも茶葉を買いに来てね」


 いつもどおり、くしゃりと目を細め笑った蒼に、老人たちは胸を撫で下ろしたようだった。

 足を動かした蒼と紺樹、それに萌黄に向かって老人たちは軽く手を振った。

 

「えぇ、あたしの得意な練り菓子持っていくからねぇ。楽しみにしておいておくれ」

「そちらのお嬢さんも、おいしいお茶ありがとよ」

「いえ、その、よければお店のほうも、覗いてくださいまし」


 そう言いながらも、すでにかなり後退し始めている萌黄。その姿に一同は顔を見合わせ、やがて、柔らかい笑い声を響かせた。

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