第7話 年の差幼馴染ともやもや

「はい、紺君。これで拭ったら?」


 蒼は隣を歩く紺樹に手ぬぐいを差し出す。白い手に握られている布。柔らかな桃色に染められた布は、あたたかい陽を受け愛らしい色身を増している。


「悪いね。おや、今日は桃の香ですね」

「うん、今一押しの香りだよ」


 澄んだ空気を鼻腔に満たそうと、紺樹が大げさに深呼吸をした。その拍子にむせた紺樹の背を、蒼の掌が何度か滑る。

 紺樹は咳き込みながらも律儀に礼を口にする。その姿はまるで『幼馴染』だった時の彼を彷彿ほうふつとさせた。


(これでクコ皇国の皇族直属の魔道府の副長の一人なんだもん、ずるいなぁ。年が離れているのはわかってるけどさ。修行途中帰りの私とは大違い)


 承知はしていても、蒼からはため息が落ちてしまうのだ。

 それと同時、やはり、温かい気持ちになるから不思議だ。


「蒼一押しの香りだけあって、とても優しくて癒されます」


 紺樹は香りの焚き染められた手ぬぐいを顔にあて、大げさに香りを吸い込んだ。

 蒼はそんな彼の様子を小さく笑う。先程、紅に投げつけられた茶巾の匂いが、よほどきつく鼻に残っているのかと。


「紺君、茶巾が渋かったのはわかるけど、あんまりすーはーしていると変態みたいだよ」

「あいにくと、私は辛いことは多少誤魔化せても、幸せはあふれ出てしまう人間なので」

「私は幼馴染として、紺君の心情じゃなくって、客観的事実をお知らせしているんだけども」


 下手をするとただの変態に見えてしまうと、蒼は心配しているのだ。

 けれど、先ほどから、すれ違う女性たちの頬が染まっていくあたり余計な危惧だったようだ。


「大丈夫ですよ。私にとって蒼以外の視線なんて、無意味ですから」

「よく言うよ……まぁ、もてすぎて年下幼馴染の正直な意見が嬉しいのはわかるけど」


 いつものように、紺樹に注がれる女性たちの視線は熱を帯びている。中には急ぎ足を止めてまで、うっとりとした表情で彼を見つめる女性もいるくらいだ。

 童顔とはいえ、整った顔をしている紺樹。おまけに身長も高く、まくられた袖から覗いているのは、しなやかな筋肉だ。おまけに魔道府の上官用制服を身に付けているのだから、当然と言えば当然だろう。


「そんなことおいても、この花の道の香りを楽しめないなんて、紺君かわいそう!」

「まったくですよ。心葉堂から街に向かうこの長い距離を蒼と歩ける好機に」

「また、そういうこと言う。私を女性からの隠れ蓑にしないで欲しいなぁ」


 紅の八つ当たりを逃れようと、蒼と紺樹が店を出たのが一刻ほど前だ。紺樹は半分追い出されたようなものだが、蒼も魔除け用の焚染札たきしめふだを買いに行くと、言い訳をして出てきた。

 焚染札には、茶葉と同じく浄錬を施し花の香りで焚き染めた札で、魔物をよける効果がある。ほとんどの店の店頭に貼られており、縁起物でもあるのだ。


「蒼、拗ねないでください。こんな風に二人でゆっくり橋を渡るのも久しぶりなのですから」


 二人は、朱色の手すりを構えた長い橋を渡り続けている。渡り続けるというよりは、歩き続けると言ったほうが正しいかもしれない。前を見る限り、橋の端は見えない。

 国の四方を鎮守する場所のひとつに、心葉堂はある。心葉堂だけではなく、他の店や住居もあり、優れた職人が集まっている。中心部から他地区へ出るには、またその反対であっても、しゅがかけられている橋を通る必要がある。どちらかというと、出るためというよりは、溜まりの鎮守を担う地区へ入るためのモノ、と表現した方が正解なのかもしれない。


「拗ねてるけど、拗ねてないもん。私だって、紺君と桜橋を渡るのは久しぶりだし、ゆっくり話せて嬉しいんだよ? 例の事故のことでずっと忙しそうだったから、今日ひさしぶりに紅とのやり取りが見れて、なんかほっとした」


 橋の両側、桜の樹が等間隔で行儀よく立った並木道。街へ近づくと、今度は藤の樹が青々とした蔓を絡めあっている。

 蒼が小さく笑うのと同時、柔らかい風が淡い色の花びらを舞わせた。時折、悪戯に藤の花と交じり合い、人々の瞳に不思議な色をうつす。


「蒼。あの事故――ご両親を亡くした事故のことは」


 紺樹の指が頬に滑り込んできて、蒼の背が伸びた。かさついた指先と曖昧な温度を押し返すように、反射的に笑みが浮かぶ。この指は危険だ。ある意味、掌をあてられるよりも。

 半歩後ろに踵を滑らせ、距離をはかるようにびしっと人差し指を伸ばす。


「やだな、紺君! もう全然大丈夫だよ! お父さんとお母さんの死に目に会えなかったのはすごく残念だけど、私の目標はクコ皇国最高の茶師だから!」


 蒼はふわふわとした裙子スカートを伸ばした手を反対のではたく。


 地上へと降り立った花びらは、川に格子状にはられた水晶板の合間を縫って、水に落ち着く。太陽の光をうけて、また、直接浴びた時と水晶下に潜り込んだ時とで表情を変えるそれらは、人々を飽きさせることはなかった。所々に設けられた東屋で人々は思い思いに風情を楽しんでいた。


 紺樹もその空気に飲まれた振りをして、「そうですね」とだけ笑った。蒼はそれが嬉しくて悲しかった。

 そんな我儘を払拭するように、話題を戻す。 


「それにしても、紅もよりによって薬葉の茶巾を投げるなんてね」

「たぶん、無意識の選択なのでしょうけれど」

「それって、ある意味才能。紺君に対するいやがらせの」


 蒼は悪戯な笑顔を浮かべた。少し伏目に空笑いをする紺樹。

 わずかに見える、名と同じ紺桔梗の瞳。あまり見ない彼の表情に、蒼は居心地が悪くなり、空を見上げた。頭上では相変わらず、彩が弾み遊んでいる。空を漂う花びらたちに、心が安らいだ。

 蒼の心に気づくはずもなく、紺樹の顔には暢気な微笑が浮かぶ。おまけにと、


「良い天気ですねぇ」


と袖をまくって猫のように背伸びをした。確かに、陽だまりが心地よい。

 深呼吸をすると花の香りとは違う、おいしそうな饅頭の香りがした。いつの間にか、街との境にたどり着いていたようだ。橋の先までくると、店先で商品を売る人々の声も聞こえてきて、その活気に心が踊る。


「ほら、紺君。もう街に入っちゃうよ? 仮にも皇国の魔道府の副長なんだから、しゃっきりしないと!」

「今更ですよ、蒼。私がしゃっきりしたら、きっと部下たちは大騒ぎの大荒れです」

「まぁ、確かに紺君が魔道府で着用義務がある外套がいとうを身につけないうえに、袖まくりなんてしちゃったり、往来で欠伸やら伸びやらしちゃったりするのは、今更だけど」

「ははっ。蒼、なんだか説明口調な上に棘がある気がします。まぁ、ふくれた顔も可愛いですけどね」


 己のゆるさに胸を張る紺樹に嫌味のひとつでも言ってやるが、紺樹は全く堪えた様子がない。むしろ、笑みを深くされてしまった。言葉遊びが大好きなのは知っているけれど、心穏やかなものではない。


(困った顔して、全然なんだから!)


 年上の幼馴染を悔しく思っても、その差が埋まることはないし、『可愛い』の部類だって、微笑ましいという意味だろうけど。

 蒼は血色のよい頬を、さらに膨らませた。そんな自分を見ても、「困りましたね」と、やはり軽い調子で頭を掻いている紺樹が変に恨めしくて、歩幅が広がった。口ばかりで、そんな素振りは欠片も見せないくせに。

 緩やかな石階段を一段抜かしながら歩くと、自然な流れで紺樹が後ろについてくる。こうなると意地でも足を滑らせるなんてことないようにと、石段を踏む足に変な力が入った。


(駄目だなぁ。私、子どもみたい)


 そう反省はしながらも、やはり悔しくて。蒼は拗ねたように、わざと唇を尖らせた。と、ふいに東屋で弦を弾いている、厚みのある絹性のゆったりとした長袍チャンパオを身に着けた老人と目が合った。


「よう! 蒼嬢じゃないかい。大将も一緒じゃないか。2人して仲良く散歩なんて、いいねぇ」

「下世話なこと言ってんじゃないよ。これだから爺はって若いもんに嫌われるんだよ」

「そうよ、あたしたちみたいに枯れた年寄りは茶でもすすって、詠っていればいいのよ」


 声をかけておきながら、東屋の中だけで話を進めている老人たち。蒼は顔を輝かせて、彼らに駆け寄った。

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