黄泉道中
胡蝶蘭
第1話
同じ年に生まれ違う土地で育ち巡り合った英子と正英は小さな街で暮らしていた。
子供にも恵まれて娘と息子が出来た。
下の息子が高校生に上がった時、妻である英子はこの世を去った。夫の正英は泣く暇も無かった。
あれよあれよと言う間に家事を覚え、仕事もこなして月日が経った。
そして寂しさに気がついたのは二人の子供が成人して結婚して家を出て孫を見た時だった。
英子に孫を見せてあげたいと思っても写真に写る英子は澄ました顔でこちらを見ているだけだった。
「こんなにも家は大きかっただろうか。」
年金生活を迎えた正英はある日、家の玄関を掃いているとふとそう気がついた。
2人で暮らすには大きいが子供がいるから二階建てでは無いとダメだとお腹に息子がいる時に建てた家を見て正英はため息をついた。
妻がいなくなって40年。泣く事さえ出来なかった40年前はつい最近のことのように感じていた。
「もう、お前の所に行きたいなあ。」
妻がいない悲しみを感じる暇もなく、子供の成長を見守ってこの世に後悔はない。だから早く妻の元へ行って40年溜まっていた話がしたいと思った。
その日の夜、いつもの様に7時に布団に潜り込んだ正英はうつらうつらとし始めてすぐに夢を見た。
広い海に溺れる夢だ。はじめはなんだか息が苦しくて必死にもがいたが、段々沈む感覚が心地よくてもがくのをやめた。しばらく何も考えずに身体を手放すような感覚だった。
目が覚めて気がつくと目の前に一本の道があった。ずっと真っ直ぐ続いていてその先は見えない。
道の脇は草で覆われていた。
「わしは死んだのかえ。」
誰に問うにも誰もいない。
仕方が無くなって歩き始めると道の脇に沢山の出店が並んでいた。
お祭りに出るような出店ばかりだった。
長い間祭りに参加していなかった正英は片っ端から惹かれていった。
「林檎飴、如何ですか。」
飴屋の店主が正英に言った。
顔が見えない店主は林檎飴をずいっと正英の前に押し出した。光沢のある真っ赤な林檎は丸々と大きく受け取らずにはいられなかった。
そこで正英はハッとした。お金が無いのだ。胸ポケットにもズボンのポケットにも。
断ろうかと林檎飴を前に出した時、店主が左腕の時計を指差した。
「これと交換でいいよ。」
正英は時計を見せると店主はうんうんと言った。
時計を外して渡すと店主はまいど、と小さく言った。正英はまた歩き出した。
歩いては林檎飴をかじって、また歩いてはかじってを繰り返すうちに何となく左手首の違和感を感じた。今は何時だろう。だけど正英は時計をしていなかった。
「何時だっていいか。」
そう呑気に呟いた時また出店から声がして近づくとソースの焦げた匂いがした。
「ほぅ、これは美味しそうだ。」
野菜がたくさん入った焼きそばが鉄板の上で踊っていた。店主が透明なパックに入れて割り箸をゴムに挟むとビニール袋に入れてずいっと突き出した。
受け取ろうとした正英は少し考えてから言った。
「ネクタイと交換というのはどうだい。」
うんうんと頷いた店主は正英の首にかかったネクタイをさらりと解いた。ボタンを1つ取った正英は頭を下げてまた歩き出した。
焼きそばをどこで食べようかと考えている時、今の季節はなんだろうと考えた。祭りの時期だから夏か秋。だけど暑さは感じない。まあいいかとまた1人で歩き出した時、甘い匂いがした。
「カステラか。」
出店の店主は紙に何個か包んだカステラをずいっと正英に出した。
少し考えた正英はこう言った。
「カステラは英子の好物だったなあ。」
カステラを受け取って代わりのものを探すと店主が左手の指輪を指した。
正英は指輪を半分まで抜いてその手を止めた。
「これは大事な物なんだったが。はて、何で大事なんだか思い出せないなあ。」
指輪を元に戻した正英は何となく後ろを振り返った。さっきまで歩いていた道の脇に出店はもうなく、ただ道があるだけだった。
正英は戻ろうとは思わなかったが、何か忘れ物をしているような気分だった。
カステラ屋の店主にカステラを返そうとまた店を見るとそこに店はなかった。
不思議に思いながらもまた道を歩き始めた正英はカステラを食べる気にはなれなかった。飴と焼きそばとカステラをもった正英はまた足を止めた。
お面屋だった。お面をいくつも並べた所に着物を着てお面をつけた女性が立っていた。
「お面、いかが?」
その声に聞き覚えのあった正英は足を止めた。
そしてすぐに妻である英子だと思った。
「英子、なのか。」
その質問に女性は動かなかった。
正英は1つ、ひょっとこのお面を取って自分に付けた。手を伸ばした女性は交換するものを望んだ。
正英は迷いなくカステラを差し出した。
「英子ならきっとこれが1番好きだからなあ。」
女性はカステラを受け取って進む道を指差した。
正英は何も言わずにその方向へ歩き出した。
数歩歩いたところで後ろを見たが屋台も女性もどこにも居なかった。前を向いて歩いて行くと次第に屋台は減っていき、1つも無くなった。
正英は歩いた。何も考えず、お面をつけ、林檎飴と焼きそばを持ったまま。
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