22

 昨夜の夢は、ウニ丼を目の前で奪われる悲惨なもの。


 丼から溢れんばかりのバフンウニに生醤油を垂らし、生唾を飲み込みつつ箸を持つ。いざ、丼に手をかけたところで、向かい側からにゅっと手が伸びてきて、丼を奪われた。大口を開け、私の大切なウニを光り輝く銀シャリとともに頬張る、にっくき野郎はなんと、勝ち誇り黒い笑みを浮かべた、小林尊。


 手に残った箸で刺し殺すくらいでは気が済まない。食べ物の恨みは怖いのだ。この恨み、晴らさでおくものか。


「関口さん、怖い顔してなに考えてんっすか?」


 怪訝そうに私の顔を覗き込むのは、大沢智成。


「……今度はいったいなんのご用ですか?」

「だからぁ! さっきから何度も言ってんじゃないっすか。行きましょうよ、映画。プレミア試写会なんっすよ! ナマ葉月ちゃん、舞台挨拶っすよ!」


 プレミア試写会がどうした。舞台挨拶のナントカちゃんがそんなにかわいくて気になるなら、同じ嗜好の男子でも誘って行けばいいではないか。


「それでしたら、何度もおことわり……」

「せっかくのお休みなんだから、俺とデートしましょうよ。どうせひとりで暇なんでしょ? だったらいいじゃないっすか。ねっ?」


 小首を傾げ、笑みを浮かべて懇願する様は、さすが王子と唸りたくはなる。だがこいつのその口、何気に失礼だな。

 一瞬俯き、ふっと息を吐いて顔を上げ、大沢を見つめた。


「わかりました。でしたら、なぜご一緒できないのか……、私の秘密をお教えしましょう」


 クイクイと人差し指で合図すると、大沢が嬉しそうに目を輝かせて身を乗り出した。誰に聞こえるわけでもないが、故意に声を落とし、その耳元でささやく。


「じつは私、結婚してるんですよ」


 一瞬仰け反った大沢が、目を見開き、口をポカンと開ける。数秒の間のあと、顔をくしゃっと歪めた。


「ちょっ……やだ、そんなわけ……わっはははははは」


 体を揺すり大爆笑して目に涙を浮かべている大沢を見る私の目は、完全に冷めきっている。


「…………」


 私が結婚しているのがそんなにおかしいか……。


「クックッ……、関口さんが結婚してるなんて、そんな見え透いた嘘、誰も信じないっすよ」


 大沢に笑い飛ばされた結婚の事実。自分だっていまだ信じられない気持ちもあるにはあるから、理解はできるが……。ほかの誰もが同じ反応をするのであろうと容易に想像が付くところが、なんだか悔しい。


 本当のことなんだけれども。


「ねえ、関口さん、いいかげんOKしてくださいよー」

「申しわけないんですが、本当に無理なんですよ」


 しつこいぞ、大沢。


 怒鳴りつけたい気持ちを怺え、わざとらしい笑みを張り付けていることに、いいかげん気づけよ。


 こんなはずではなかった。静かな環境でのんびりできるはずの倉庫勤務が、上に居るより騒がしくて疲れるなんて。

 ガチャッと小さな音を立てて、ドアが開く。まただよ。次は誰だよと顔を向けるとそれは、怖い顔をした、佳恵である。


 一難去って……ではなくて、さらにまた一難追加。


「佳恵?」

「大沢あんた、余裕ね? 報告書と見積もりはもうできたんだ?」


 瞬時に顔色を変えた大沢の口から「げっ」と、小さいがはっきりとした声が聞こえた。弁解にもならない弁解をブツブツと並べ立てながら、佳恵の脇をすり抜けていく大沢のその慌てようはおかしいが、次の矛先は私。のんきに笑っている場合ではない。

 大沢の姿が消えると、ドア枠に寄りかかり腕組みをして私を睨んでいた佳恵が、姿勢を戻しゆっくりと近づいてきた。


「出張はどうしたの? 週末帰りじゃなかったっけ?」

「て、ん、ご、く、の住み心地はどうよ?」


 いきなり本題、しかも、すべてお見通しです。


 傍らに仁王立ちし、えも言われぬ美しい笑顔を浮かべる佳恵の鬼気迫る様子は、普段説教をするときの百倍、いや、それ以上の迫力がある。


「いや、その……」

「上じゃ、あんたが小林さんに反抗して監禁されてるって噂になってるけど?」

「それは……、まあ、そう……」

「ねえ、定時で、か、え、れ、る、監禁ってなに? どうせあんたのことだから、罰として倉庫番をしろとか命令されて、渡りに船とばかりにホイホイ乗ったんでしょう?」

「いやぁー、ホイホイは……」


 追い詰められる。狙った獲物をいたぶるがごとく少しずつ逃げ道を塞ぐ佳恵の手管に、苦笑するしかない。


「ヘラヘラしないのっ! 私があんたをこの会社にねじ込んだのは、常識的な社会生活をさせるためでしょう? こんな所にいたら、家で引きこもってるのとなんにも変わんないじゃない!」

「……まあ」


 佳恵はどうしようもない奴だと大きくため息をつき、音を立ててパイプ椅子を引き寄せ、どっかりと腰を下ろした。


「……ったく。それで? あんた、いったいなにやったの?」

「そ、それが……ですねぇ、小林統括さんが、私にアシスタントをしろと……、前職のことも言われて、それで」

「なによ? あの人、あんたに目を付けたの?」

「まあ……」

 少々状況が違うが、強ち間違いではないが。いまここでさらに、じつは小林統括は自分の夫でしたなんて言ったら、それこそ、何をされるかわかったもんじゃないから黙っていよう。


「開発が万年人手不足なのは知ってるけど……そっか、困ったわね。前のことがあるから、あんたがやりたくない気持ちもわかるし、無理にやれとは言えないけど。でも、小林さんが諦めるとは思えないし、だからって、あんたがいつまでもここに居ていいってわけでもないし」


 私はいつまででもここでいいのですが。


「……でも、まあ、いくら小林統括でも、そのうち諦めるか忘れるかしてくれるんじゃないのかな?」

「そうかな? 小林さんの性格だったら……それは、あり得ないと思うよ?」


 仰るとおり。ありえないのもよく知っております。


「だったら、どうすればいいと思う? 何か、方法あるかな?」

「うーん……そうねぇ」

「やっぱり無いよね?」


 お願い、無いと言って。佳恵が下手に刺激したら、逆襲が怖い。

 と、佳恵がしたり顔でポンッと膝を打った。


「いいわ! 私が言ってあげる」

「へっ?」

「なに驚いてんのよ? 私が小林さんにちゃんと話しつけてあげるって言ってるの!」

「いや、それは、いくらなんでも……」


 勘弁してください。それ、一番マズいヤツです。


「グズグズしないの! 行くわよ!」


 すくっと立ち上がり私の腕を掴む佳恵に抵抗は虚しく。引きずられるように倉庫を出た。




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