20

「関口さんっ! 無事かっ?」


 デスクにファイルを広げたまま物思いに耽っていると、突然、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。驚いてドアを振り向くと、額に大粒の汗を浮かべて肩で息をする、血相を変えた大沢が。

 バタンと大きな音を立て、重い扉が閉まる。


「大沢さん? どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもない! 助けに来たんだよ!」

「た……すけ、に?」

「外回りから帰ったら、小林統括が関口さんを倉庫に監禁したって聞いて! 行こう! 小林統括だってきっと、血も涙もある人間だから、ちゃんと謝れば許してくれるよ」

「へっ? 監禁?」


 こいつは……いったいなにを言っているのか。


「なにのんきにしてるんだよ? ぐずぐずしてたら、間に合わないっ!」


 つかつかと歩み寄ってきた大沢が、デスクの端に肘をかけ斜めに顔を向けただけの私の腕を、強引に引っ張った。

 おい、そんな方向に人間の腕は曲がらんぞ。肩が外れてしまう。


「痛っ! ちょっと、手、離して!」

「あ? ごめん……」

「大沢さん、ちょっと落ち着きましょう。とにかく座って? 何があったのか、聞かせてくださいませんか?」


 痛みの残る右肩を摩りながら、壁に立てかけてあるパイプ椅子を運ぼうと立ち上がる。頭に血が上った様子の大沢でも、私の意を汲んだらしく、ムッとしたままさっさとそれを取り、向かい側に設えギシッと音を立てて座った。


「何があったのか訊きたいのはこっちだよ」


 興奮気味に私を責めるがごとく吐き捨てる大沢の、普段と違う口調に、内心おもしろくない。


「何がって、べつに、何も無いですよ?」

「何も無いって? だったらなんで、小林統括があんたをここに監禁したりするんだよ?」

「ですから、監禁なんてされてませんが?」

「されてないって……ああ?」


 やっと気づいたか。


「ここの鍵は、内外どちらからでも開け閉めできます。つまり、出入りは自由。ちょっと冷静に考えればわかるはずですよ? それなのに、なんで監禁されたなんて……」

「いや、だって、上で……。さっき、外回りから帰ったら、小林統括が怒って関口さんを倉庫に監禁したって、事務の女の子たちに教えられて……、それで、俺……」

「それで、助けに来てくれた……と?」

「…………」

「だいたい、どうして小林統括が私を監禁なんてそんなこと」

「あ、いや、あの人ならやりそうかと……」


 どこまで悪人なのだ、小林統括さんは。笑いを怺えるのがつらい。


「小林統括がいくら厳しい人だからって、そんなことするわけないでしょう?」

「いや、違う。それどころじゃないんだ! 小林統括の逆鱗に触れて関口さんのクビが切られるって。早く行きましょう! 頭下げて許してもらわないと大変なことになる」


 怺えきれずに、アッハッハと、大声で笑ってしまった。


「ないない! それはないですよ。バカバカしい」


 コホコホと咽せ、目尻の涙を拭いながら、大沢を見た。


「違うんっすか? でも、上で……」

「コホッ。あのですね、上でどんな話になっているのかは知りませんが、私は別に小林統括を怒らせるようなこともしていませんし、首切りなんて絶対にあり得ません」

「ホントに? でも、じゃあ、なんで?」

「そんなの……私が知るわけがないでしょう?」


 大沢の聞いた話は、こうだ。


 会議室で私と小林統括が口論を始め、怒鳴り合いに発展。怒り狂った小林統括が、即刻クビを言い渡すが、私がそれを納得せずに大暴れしたため、小林統括自ら叫び暴れる私を引きずって、書類倉庫に監禁。その様子を見た総務の女の子たちが、これはただ事ではないと騒ぎだし、社内に知れ渡ることとなった。


 小林統括も、いまだ怒り収まらず、九階の自室に立て籠もったまま。とばっちりを恐れ、誰ひとりとして近づくものはいない。と。


 噂って、コワイ。どこまで尾ひれがつくんだこれ。


 「たしかに、小林統括と少しだけ意見の相違があったのは、事実ですが、倉庫勤務を命じられただけで、それ以上のことは、なにもありませんよ」

「ホントにホントっすか? はぁー、良かったぁ。俺、マジで心配したんっすよ」


 大沢が露骨にため息をつき、肩の力を抜いた。


 心配してくれたその気持ちは嬉しいが、方向が明後日だ。

 状況がわかり、やっと安心したのか、大沢は上の連中が勝手な噂を立ててと、自分を棚に上げてひとくさり文句を言ったあと、それでもひとりで倉庫なんて心配だから、時々様子を見に来ます、と言い残して、仕事に戻っていった。


 ああ、もう今日は……、いや、違う。昨日から、色々あり過ぎだろう。

 そろそろ定時。ファイルを片付けて、帰り支度をするとしますか。





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