06

 家に入ってからも、私に抱きついたままわんわんと泣き続ける玲子のおかげで、着替えも食事もままならない。甘く優しい声音で、言葉を尽くして宥め賺しても、それは変わらず。ただただ床に敷いたラグに座って子供をあやすように慰め、気の済むまで泣かせるしか方法が無かった。


 ようやく落ち着きだしたのは、小一時間も経った頃だろうか。抱きつく腕をやっとの思いで引き剥がして着替えをし、飲み物を入れている間も、玲子はティッシュボックスを抱えてグズグズと泣き続け、ティッシュの山を築いている。


 新しい箱を開けたばかりなのにもう使い切るよ。在庫、まだあったかな。


 在庫切れのほうが、玲子よりはるかに重要だ。かさばる雑貨購入は面倒な上、あれは肌触りにこだわった、ちょっとお高めティッシュなのだから。


「隼人さ、えっえっ……、残業だって嘘ついて、ぐすっ、女の子とカラオケ、ぐすぐすっ、行ってたんだよ……」

「隼人が? 女の子とふたりきりで?」

「ううん、ちがうー。会社の人たちと一緒だって」

 くだらない聞きたくない。またいつもと同じだよこれ。

「会社の人たちと一緒だったら、べつにいいんじゃないの? 女の子とふたりっきりだったわけじゃないんだからさあ」

「だってぇ、嘘ついたんだよ?」


 玲子はスッと音をさせ、また新たなティッシュを引き抜く。紙の色が青い。そろそろ本当にラストだ。


「嘘ついたんじゃなくて、残業が終わってから行ったんじゃないの?」

「残業終わったら帰ってくればいいでしょ? あたしはひとりぼっちで家でご飯作って帰り待ってるんだよ? あいつ、あたしよりカラオケが大事なんだよ?」

「…………」


 泣き腫らし、鼻も頬も真っ赤にしてティッシュを無遠慮に消費しているこの女も、佳恵と同じく、大学時代から続く友人。


 彼女は、卒業とほぼ同時に、これまた友人のひとりである安藤隼人と結婚した。その後も仕事を続けていたが、一年ほど前、子作り宣言をして退職し、専業主婦に。それ以降、ほぼ毎月のように家出しては、独り暮らしの私の所に転がり込んでくるのだ。


「それにさ……夜ご飯唐揚げだったのに、お昼に食べたって言うんだよ? 酷くない? なんで自分だけ勝手に唐揚げ食べてんの? あたしだって一緒に食べたいのに……グスッ」


 あんたが夕飯に何を作っているかなんて、ふつー知らんがな。


「それはさ、たまたまでしょ? 隼人だって悪気があってお昼に唐揚げ食べたわけじゃないし……」


 わざわざ唐揚げ食べたなんて報告しなければいい。


「そんなの、悪気が無くたってダメでしょ? だってね、唐揚げだけじゃないんだよ? その前はカレーだったし、その前はハンバーグでしょ、その前は餃子、その前はオムライス! ね? 絶対違うでしょ? そんな偶然あるわけないもん!」

「…………」


 この女、惚気に来たのか。


「とにかく! あいつにご飯作るのもう嫌なの! 今度こそ別れる! もう家帰んないっ!」

「帰らないって……どうするの?」

「とーぜんここに住むに決まってるでしょ? 家事はあたしがやってあげるから、任せてねっ!」


 玲子は、高らかに居座り宣言をし、盛大に鼻をかんだ。


::


「すっかりお疲れだわねぇ」

「今度こそ別れるって散々泣いたくせに、翌日にはもうなにごともなかったみたいにケロッとして遊びまわってるよ……」

「やっぱりね」


 営業に飛び回っている佳恵をやっと捕まえられたのは、金曜日のランチタイム。


 帰宅後は毎晩寝るまで、玲子の愚痴に付き合わされる。佳恵を相手にストレスを発散したくとも、本人を前にして電話で愚痴るわけにもいかず、私の忍耐ももう限界だ。


「家の中はきれいになるし、自分で作らなくてもおいしいご飯が食べられるのはいいんだけどさ。帰ってから遅くまでずーっとしゃべり倒されてるからもう寝不足で……やっと寝かせてもらえても、夢の中でまでしゃべられるんだよ?」


 頬杖をつき、玲子作のいちだんと豪華なお弁当を、ツンツンと箸で突きながらため息をついている私を、佳恵はフンッと鼻で笑った。


「それはさ、あんたが相手するからでしょう? 放っておけば自分から家に帰るんだから! 私があんただったら、正座させて説教して叩き出してやるわ」

「それ、言うのは簡単なんだよね……」

「あんたは甘いからねぇ。ホント、お人好し」


 眉を下げ呆れ顔でため息をつかれ、情けなさに身が縮む。


「やっぱり、お人好しなのかな?」

「だいたいあんたはね、他人に振り回されるのは懲り懲りだって言ってるくせに、言ってることとやってることが違い過ぎるわよ! はっきり言うべきことを言わないから、あの子だってあんたに甘えるのよ? わかってる?」

「だって……」

「だってじゃないでしょ!」


 大学時代、いつも一緒に遊んでいた五人の中で、甘え上手な玲子は末っ子妹の立ち位置だった。もちろんそれは、隼人と結婚したいまも変わらない。


 私はといえば、存在感の薄い次女といったところだろうか。佳恵は当然、長女だ。いつでもその行動力と切れ味の鋭い口で、私たちを引っ張ってきた。


 そういえば、五人組のうち残るもうひとりの男子はどうしただろう。あの頃、佳恵と付き合っていたはずだが、どうなったのか。ちっとも話を聞かなくなった。


「まあいいわ。それで? 隼人はなんて?」

「隼人ねぇ……。水曜日の夜、玲子が寝てから連絡したんだけど、忙しくて迎えにいけないから、週末まで預かってくれって」

「はぁ? 迎えにってなによ? 玲子にだって足があるでしょ? 足が! 隼人も隼人だわ情けない! 自分の嫁でしょう? ひと言ガツンと言って帰らせればいいだけじゃない?」

「そんなこと私に言われたって……」


 佳恵は全くどうしようもない人たちだと盛大にため息をつき、空になったコーヒーのカップをトンとテーブルに置くと、怒りを込めた声で告げた。


「わかった。あんたに訊きたいこともあるし……ちょうどいいわ。玲子は、明日帰るのよね? だったら今夜は説教大会ね! 二度と面倒かけるなって泣くまで叱ってやるわ。六時に総務まで迎えに行くから、あんた、ちゃんと待ってなさい!」


 私に訊きたいこととはなんだ。改まってなんだろうと、少々不気味に思いながらも、説教大会という名目の宅飲みを了承した。


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