04

 最後に食べるのを楽しみに、大事に取っておいた好物の玉子焼を、無遠慮に咀嚼するこの女との付き合いは、大学時代に始まった。


 私は子供の頃から、放っておけばどこか隅っこでぼーっとしている、家の中に居ながらにして行方不明になれるほど、静かな子供だった。特別他人と一緒に居ることが苦痛なわけでも人嫌いなわけでもない。ただ、気がつけばひとりでぼーっとしていたのだ。


 やれ風変わりだ、やれどこか問題があるのだ、と、大人たちの声は聞こえていたが、自分にとってそれはごく普通のことで。物心ついてからもそれは変わらず、世間で言うところの『ぼっち』の子供時代を過ごした。


 唯一の趣味はパソコン弄り。


 あの頃、何がそんなに楽しく、何をしていたのかも、すでに記憶に無いが、毎日何時間もモニタの前に座り込んでいたことだけは覚えている。


 大学に入ってから初めて、友人と呼べる人たちができた。

 佳恵はその中心人物で、いつも彼女に引きずられ、いつの間にかグループの輪の中に入れられた。


 そんな佳恵との付き合いは卒業後も続き、私が以前勤めていた会社を退職後には、引きこもっているのを心配した彼女が、ことあるごとに我が家へやってきて、ありがたくも説教をしてくれた。


 都会の真ん中で、まるで無人島暮らしをしているがごとく、ほぼ三百六十五日部屋に閉じこもって、いったい何をやっているのだ。そんなことでは、ある日あんたに何があっても誰も気づかないぞ、いい加減外へ出て、少しは他人と関わるべきだ、と。


 確かに、それも一理あるだろう。


 あの頃は、ぼちぼちと在宅でできる仕事らしきことをしていたため、経済的に困窮していなかった。しかし、佳恵に力説され、いつまでもこの生活を続けるのは、将来的にまずいのかも知れないとの考えも芽生え始めた。


 そして、揺れに揺れた挙げ句、最終的に佳恵の説得を受け入れ、佳恵の勧める会社であればと、勤め人に戻る決意をしたのだ。

 だから、いまの私があるのは、佳恵のおかげだと言っても過言ではない。しかし、その親友であり恩人でもある佳恵の面倒くさい説教は、その後も止むことはなかった。


 私としては現状で十分満足しているし、幸せだと思っているのだが、彼女に言わせればまだ足りず、次のステップへ進めということらしい。


 しかし、私にだって私なりの考えもある。


 私は、なんとなく専攻した学科の教授に勧められて、なんとなく出入りしていた研究室の先輩に誘われるまま、なんとなく以前のシステム開発会社に就職した。

 そこは、金は稼げるが残業百時間は当たり前。年休消化率ゼロ、手厚い福利厚生は絵に描いた餅という、勤務実態が超ブラックな会社だった。


 異常ともいえるほどの慢性的な忙しさの中、ポジションはプログラマーだったが最下層の私は、朝から日付が変わる頃まで雑用に翻弄されるだけ。さらには絶対的な上下関係でがんじがらめにされ、上司や先輩の気分次第で右往左往振り回される毎日を過ごした。


 さすがに三年目になると、やっと私の下にも新人が入り、少しずつ簡単なプログラムの仕事も任せてもらえるようになった矢先、その彼はあまりの過酷さに出社を拒み音信不通。せっかく手放せると思った雑用までをも上乗せされ、肉体的精神的に限界を超えていたらしい。


 そして、ある朝、川の向こうにお花畑が見え、気づいたときには病院のベッドの上。


 あの日、ベッド脇に吊るされた点滴の袋を眺めながら、悟った。


 人の一生は、長いようで短い。


 平均寿命が八十歳だ九十歳だと言われたって、誰でもがそれを全うできるわけではないし、人なんていつ何があるかわからない。たとえ全うできたとしても、その一生の中で、自分自身のために使える自由な時間も限られている。


 だから、何も考えず、ただなんとなく流されるままに生きていてはいけない。自分の身を守れるのは自分、そのためには、強くならねばならない、と。


 そして私は、自分自身を常に最優先。人生における無駄、つまり、興味の無いもの、必要としないものごとを、徹底的に排除しようと誓った。


 もっとも、誓いはすれど、現実はけっして思いどおりにいかないのが世の常で、ささやかに抵抗しては、後悔し反省をする、その繰り返しである。



「ねえ歩夢! ひとの話、ちゃんと聞いてるの?」

「あー、聞いてる聞いてる。って、ちょっと待って? なんだろ? メール来た?」


 携帯電話の画面に表示された文字を読み、思わずううぅと唸り、顔を顰めた。


「なによ? どうかしたの?」

「美香さんが、仕事終わったらみんなでご飯食べに行こうって。あんたも誘えってさ」

「今日?」

「うん」

「あー、私、今日はダメだわ。夜は予定入っちゃってるんだよね。それで? あんたはどうするの? 行くの?」

「うう……ご飯は気になるけど、会社終わってからまであの子たちの相手するのも面倒なんだよねぇ……、あ、まただ」


 メールの文面を一目見て、思わずふにゃっと顔が綻んでしまった。


「なによ? 嬉しそうな顔しちゃって」

「ほら、これ見て?」


 ——とり二郎予約完了です。田中



「とり二郎? フフフッ、さすが田中先輩。あんたの扱い方、よーく心得てるわねぇ」


 佳恵は呆れ顔でため息をついた。


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