がんじがらめ爆発

生気ちまた

がんじがらめ爆発

 ちんすこうが、また爆発した。

 幸いにして軽い火傷で済んだものの、もしちんすこうではなくサーターアンダギーだったとしたら……考えただけでも身の毛がよだつ。

 私はトイレから机に戻り、水で冷やした手をズボンでぬぐった。溜まっている仕事を再開しなければならない。水ぶくれしなければ良いのだが。


 私が働くオフィスには《お菓子箱》がある。社員が持ち寄ったお菓子が集められており、誰でも好きなときに食べることができるという便利なシステムだ。

 最近、その《お菓子箱》が、どういうわけか沖縄のお土産により占領されている。

 布細工で彩られた、おおまかに炊飯器くらいの木箱の中に、シークワーサー味のハイチュウとちんすこうと袋入りのサーターアンダギーなどが、溢れんばかりに堆積しているのだ。

 もちろん、私が手を出せば、会社の入っているビルごと吹っ飛ぶのは間違いないだろう。それゆえ私はこのところ甘いものにありつけていない。

 今日こそは大丈夫だと思ったのに、やはり爆発した。


 そもそも、どうして触れただけで爆発するのだろう。初めはお菓子の中に火薬でも仕込まれてるのかと思った。残念ながら犯人に思い当たる節が無いわけでもない。

 しかし、中身を調べようにも、私が触ればドカン。

 目の前の川村さんが、もくもくとちんすこうを口に含んでいるのを考えると、火薬の線は薄いと思われる。ちなみに川村さんは「眼鏡を外すと可愛い小柄な女性」という、とてもベタなお人であり、私の憧れの的だ。34歳。


 ちんすこう爆発……響きはシュールだが、実際問題、これはとてもとても怖ろしいことだ。

 なにしろ、私の勤める会社には、全身がちんすこうで形成された『ちんすこう人間』が在籍しているのである。

 加えて、経験上サイズと爆発力は比例する。約45キロのちんすこう……つまり、私がそいつに触れた瞬間、この近辺は壊滅するはずだ。


「やあ栗山くん、元気かね」

「ぼちぼちです」


 ウワサをすれば影とばかりに、女性特有のフェロモンとは異なる、甘ったるい匂いがオフィスに充満する。

 ちなみに栗山とは私のことだ。

 申し遅れましたが、栗山史郎と申します。


「げっ、もうお昼休みじゃないか。社会人失格だなあ、こりゃあ」


 オッサンみたいな口調で頭を掻いている、このお菓子くさい女性が、例の『ちんすこう人間』清水である。

 見た目は完全にパーフェクトに普通の人間であるものの、時折砂糖の塊が見える絹のような肌から、ポニーテールに至るまで全てちんすこうでできている。さすがにフレッシャーズスーツは洋服の青山で買ったらしい。


「清水、遅刻に理由はあるんかえ」


 やる気なく主任殿が聞いた。


「寝坊です。大変申し訳ないです」


 彼女はぺこりと頭を下げる。本当は賞味期限切れが近いので中枢部分以外を焼きなおしてきただけである。話によると4日に1回は作り直しているらしく、そのためか今日もちょっぴり湯気が立っていた。

 ところで『ちんすこう人間』清水の会社内での立ち位置はあくまで社員である。別にマッドサイエンティストに作られたわけでもないし、社運をかけた次世代型商品でもない。

 むしろ我が社はただの建設会社であり、この人(?)は普通に入社試験を受けて、普通に会社に入ったきたのだ。

 社長殿の「差別のないように」との一言とともに。


「くーりーやーまーくーん!」


 ちんすこうの塊が忍び寄ってくる。遅刻したわりに反省の色がないのはバグなのだろうか。何の混じりっけもない明るい笑顔を見せてくれる。


「何ですか清水さん、とりあえずあっちいってくださいよ」

「最近ちょっと冷たいねえ、キミ」

「……そうですかね」


 そりゃ触れた瞬間ドカンですから。

 いやドッカーンかもしれない。どちらにしろシャープな音ではないはずだ。


「まあいいや。今日は何を食べようかね、考えといてね!」


 そう言い残して、清水は香ばしい匂いとともに自らの机へ去っていった。今日も昼ごはんを一緒に食べないといけないのか……。


 このように、私は爆発の危険と隣り合わせの生活を続けている。

 慎重に過ごせば大丈夫だと私は思う。とにかく沖縄産のものを敬遠すればいい。本州ではそうそう見ることはないはずだ。

 問題は、たまに物陰からシーサーを投げてくる謎の存在と、どうもお菓子の分際で清水は私に好意を持っているらしいということだ。男の思い込みではない。ミニマム眼鏡・川村さんのお墨付きだ。彼女のお局力をなめてはいけない。


     × × ×     


 昼休みの社員食堂は常にガラガラである。ここの定食はお世辞にも美味しいとはいえないため、社員達はこぞって北浜や天満橋のランチセットを漁りに出かける。

 そんな社員食堂で、私は《ある男》とコンタクトを取っていた。


「ありえないな」


 ミリタリージャケットを着こんでいる《ある男》は、私の悪友であり、その名を名原健太という。若くして『世界爆破発破大好きクラブ』の副会長を務めていたが、モサドとかいうどっかの警察みたいなやつに国際手配されたため、現在流浪の身である。

 こいつとは大学のサバゲー同好会で知りあって以来、不思議と縁が途切れない。

 そんな爆弾のプロ曰く、ちんすこうに爆発するような力はないらしい。


「食べた時に変な味はしないんだろ?」

「川村さんは何でも美味しいって言うけど、たぶんそうだな」


 もちろん私は食べられない。死ぬ。


「無味無臭の火薬か? でも信管は……」


 名原が一人でぶつぶつ言っているので、私はうどんをすすることにした。

 でも良かった。こいつは犯人じゃなさそうだ。

 ずるずるずる。

 麺のコシもスープの味もいまいち。実家の香川なら開店休業ものだろう。


「くーりーやーまーくーん!」


 急にうどんが甘くなった気がした。

 そういえば一緒に昼食をとる予定だった。完全に忘れていた。


「なんで約束やぶるかなあ、私は悲しいよホント」


 目を伏せ、腕を組んで、呆れたようなポーズをとる巨大なちんすこう。


「すみません、急用ができたもんで」

「急用ってそちらの方との食事かい? 先客は私のはずなんだけどねえ」


 その次はジト目でにらみつけてきた。だからこの人は苦手だ。


「大事な話なんですよ。他人には話せないくらいの」


 早くどこかに行ってくれ。私はしっしと手をやる。


「ほう、私も話を聞かせてもらおうか」


 目を輝かせる彼女。逆効果だったようだ。

 まあ、名原にこの人のことを説明するのが面倒くさかっただけのことだが……当の名原は、未だ爆発に使われる信管についてぶつぶつと考察を重ねている。

 もはや、ちんすこう=爆発物のイメージが染みついている身としては、ちょっぴり滑稽に見えてしまう。


「なあなあ。なにか困ったことでもあったのかい? なあなあ!」

「今ちょうど困ってますよ」

「そう言わずに教えてくれよお。私とキミの仲だろう?」

「……わかりました。では清水さんにもお話しましょう」


 そんなに気になるなら、この際、きちん話してやろう。

 私が彼女を避けていた理由でもあるわけだから、話してしまえば、この人もおちおち近寄ってこれなくなるはずだ。

 私は思いきり息を吸い込んだ。

 隣に座った清水もマジメな顔になる。普段の演技じみた表情とうってかわって、こう見ると意外に整っているというか……可愛らしい気もしてきた。無論、ちんすこうなど好み以前の問題だが。


「最近、私が触れると沖縄土産が大爆発するんです」

「ふざけんなーーっ!!」


 彼女の叫びと共に、大空にぶちまけられる天ぷらうどん。

 塗装の剥げた安物のお鉢は、ちょうど対面の名原にクリーンヒットした。


「触れたらすぐ作動して、かつ対象の識別装置が付いている可食の超小型信管となると……熱いな」


 天ぷらうどんを浴びていながら、まるで動じていない名原。

 さすがは中東の死線をかいくぐってきた男だ。

 対して、清水はめちゃくちゃに動じている。


「ならアレか、私がキミに触れたら……そ、その……ドーンってなるのかい?」

「そうなりますね」

「ありえないというか、キミもフツーに考えてみなよ、常識って奴を!」


 それをちんすこう人間のあんたが言うか。


「そんなの、無い、無いだろよお……うぇええ……」


 メソメソと泣き出す清水。どうしたんだ全く。感情の起伏が激しいお菓子だな。

 あ、そうか。こいつはそうだった。ああ……。


 私は清水にハンカチを渡し、名原にティッシュを差し出した。

 うどんまみれの男と、涙するちんすこう。ずいぶんバラエティ豊かなテーブルになってしまったものだ。


 その時だった。

 いきなり、こちらにマーライオンが飛んできた。


「いや、あれは……!」


 私はとっさに席を立ってそれを避けた。

 安物なのか、床にぶつかり粉々になるシンガポールの象徴はフェイク。


「本命はこっちか!」


 同じ方向から飛んできたシーサーを左手の携帯電話で打ち返す。あらぬ方向に飛んだ守護神は名原の頭に激突して、そのまま床に落ちた。一般的な赤いものではなく緑色をした土産用の陶器だったので、あっさり2つに割れている。


「今のシーサーが、例の奴なのか?」


 頭をさすりながらも平然としている名原が少し怖い。


「たぶん、そうだろうな」


 飛んできた方向に目を戻すと、犯人はもう姿を消していた。


「追いかけないのか?」

「前にそうしたら罠にハマった」


 私は肩を落とす。

 床が大量のちんすこうで敷き詰められ、靴が1足台無しになったことがあるのだ。


「まるで殺気が感じられなかった……あれはプロだな」

「たしかにいつも不意打ちだ」

「むう……それにしても何者だ、さっぱり意味がわからん」


 意味不明といえば、清水!

 そんな思考回路の短絡回線の導きで隣の席を見ると、そこに等身大ちんすこうの姿はなかった。私は慌てて席を立つ。


     × × ×     


 清水は犯人を追いかけていた。


「申し訳ない。シーサーを投げつけられて立ち往生してるうちに逃げられてしまった」


 その言葉にウソはなく、エレベーターホールには割れたシーサーが散乱していたし、清水も下を向いたままだった。

 なぜか、いつもの甘い匂いが引いた気がした。

 たまたま主任殿に見つかり、床がシーサーまみれでは見栄えが悪いので掃除するように命じられるまで、私にはその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 とても複雑な気分にさせられたのだ。


「あの……大丈夫ですか、清水さん」

「心配することはないよ、栗山くん。次は捕まえてやるさ」


 清水は右腕に力こぶを作ってみせる。


「いや、身体壊れたりしてません……?」

「えっ」


 彼女は一瞬驚いた顔を見せてから、穏やかに微笑んだ。


「私は大丈夫だよ。いくらでも身体なんぞ作りなおせるからね。キミにも教えただろう。家に来れば焼きたての私に会わせてあげると」


 そう、この人はちんすこう。中枢部分以外は、ただのラードと小麦粉と、甘い砂糖だ。

 だから迷惑をかけたとか、危険な目に遭わせたとか、私が気に病む必要はない。

 所詮お菓子なのだ。


「清水さん、もし触っても爆発しなくなったら、そのポニーテールに触らせてくださいよ」

「フェティズムかね。大歓迎だよ」


 でも、お菓子と仲良くなって悪いなんてことはないはずだ。

 それも身を挺して私を襲った奴を捕まえにいくような、最高のスイーツだぞ。

 しかも、私はこのところ甘いものにご無沙汰なんだ。だから、その時には髪の先でも食ってやろう。

 しばらく清水は『ハイサイおじさん』をエンドレスで歌っていた。


     × × ×     


 清水にはよくないところが2つある。

 1つはお菓子で出来ているところ。

 もう1つは、どんなことでもすぐに他人に話してしまうところだ。

 犯人を捕まえる作戦は川村さんが立ててくれた。

 決して暇なわけではないが、至急の仕事もなかったので、係のみんなで話し合い、すぐに案はまとまった。


「あんまりお菓子食べないなーと思ってたら、そういうことだったのね」


 川村さんが心配してくれた。ちょっと嬉しい。


「あのシーサーもそういうことだったのか……」


 主任殿もうんうん頷いている。

 他のみんなも近頃の《お菓子箱》には疑問を抱いていたらしい。たまにはあっさりしたお菓子を食べたいと文句を言っていた。


 さて、名原の調べによると、私の謎の能力(?)はどうやら琉球王国の伝統的な呪いらしい。

 歴史的に中原の王朝に従属していた琉球には、大陸からいろんな文化が流れ込んでいた。豚便所の分布からもわかるとおり、その影響は日本本土よりもはるかに大きかったそうだ。

 古代の中国に炮烙という刑罰があった。これは火を使った刑だった。

 やり方としては、まず、とてつもない業火の穴の上に油を塗った丸太をかける。

 次に囚人たちに「丸太を渡りきったら罪は取り消しにしてやる」と宣言する。

 だいたいの囚人は油のせいですべったり転んだり、火の海に落ちてしまうのだが、そんな様子を楽しむのが中原の皇帝の嗜みだったらしい。


 それが琉球に伝わり、火薬で囚人を焼き殺す《爆殺刑》となった。

 しかし、小さな島国に無限の火薬があるわけもなく、困った国王はユタと呼ばれる祈祷師に解決策を求めた。

 そして、この呪いが誕生したのである。

 琉球――今の沖縄の産物に触れた瞬間に、爆風が吹き荒れる呪い。つまり現地なら呪いをかけられた瞬間、地面が爆発したのだろう。怖ろしい話だ。


「ぜひとも呪いをかける方法を知りたいもんだ」


 説明を終えてからも、佐原は興味深そうにしていた。

 何をする気なのかは聞かないことにする。

 それよりも犯人の話だ。


「シーサーを投げてくるってことは、犯人がその呪いをかけてきたんでしょうね」

「だろうねえ。まあ、とっ捕まえて呪いを解く方法を聞けば済む話だよ、栗山くん」


 どこから自信が湧いてくるのか、ヒューマノイドちんすこうはやる気十分である。


「そして解けたら……ね」


 彼女の意味深な微笑みに、妙な汗が出てくる。

 まさかポニーテールの件でフラグが立ったとでも思われたのだろうか。

 言っておくが、私はこのお菓子に一切そんな気はない。そもそも私は既婚者なのだ。


     × × ×     


 午前中の仕事を終えて、私は小林ビルから外に出た。

 今日の天満橋は暑くもなく寒くもなく。蚊もいない小春日和だ。

 私は昼食を食べに、近くのインド料理店へ向かった。


「Bセット1つ」

「かしこまりました」


 サリーを着ている日本人の店員が応対してくれる。

 この店は川沿いの地下にあるため、窓からは大川が間近に見える。そこに異国の色はない。

 有線のBGMと奥でナンを焼くコックだけが、わずかにインドの匂いを醸し出していた。都会的で清潔で健やかな印象を受けるこの料理店は、私のような賃金労働者にとても人気がある。

 安くて美味しいのはこの街では当たり前であり、あとは付加価値での勝負になるのだ。


「どうぞー」


 さっそく料理が来た。

 2種類のカレーとライス、サラダにタンドリーチキン。

 全て鉄製の皿に盛ってあり、その上を大きくてアツアツのナンが横たわっている。このナンがなんと食べ放題なのだから信じられない。

 私は思わず見とれてしまった。

 その隙を犯人は突いてきた。


「栗山くん、甘いわね」

「そうですか?」


 犯人を追い詰めるために、わざわざ地下レストランを選んだ。

 1つしかない出入り口を張っておけば必ず捕らえられる。

 もちろん、店内に私だけなのは不安なので、味方を1人――そう、味方を。


「お菓子箱を沖縄まみれにしたのはアナタですよね?」

「あら、最初からわかってたの?」

「作戦会議の時、店内要員に立候補した時点で特定できました」


 川村千秋。

 彼女はミミガーチップを私の背中に触れないように突きつけていた。

 テーブルの間に立っている形なので、他のお客さんや店員の往来の邪魔になっているが、川村さんはまるで気にしない。


「じゃあ、主任や清水さんも知ってるわけ?」

「いいえ……」


 私は首を振る。

 だって、信じたくはありませんでしたから。私が新入社員だった頃からマドンナとして憧れていた川村さんが犯人だなんて、私にはとうてい認められなかった。


「馬鹿ねえ、それじゃどうしようもないじゃないの」


 このままミミガーチップをぶつけてしまうと自らも危ないからか、川村さんは自分の席に戻っていく。

 そして、彼女はカバンの中から大量のミミガーチップを取り出した。


「ブタの耳よ。シーサーだと爆発が強すぎるから。それにこのサイズでも数撃ちゃ当たるわ。なぶり殺しって奴かもね」

「どうしてなんです、川村さん」


 私には理由がわからなかった。川村さんが私に呪いをかけた理由が。

 私は何もしていない。


「そんなの、ひとえに栗山くんが……憎いからよ!」


 窓からの光で眼鏡を白く染め、川島さんはその小柄な身体からは想像もつかないほどの大声をあげた。

 それこそ私のほうが、外で待っている清水さんや主任に聞こえてしまうんじゃないかと心配してしまうほどに。


「なんで……なんで、あなたは結婚したのよ、どうして!」


 彼女は叫んだ。


「えっ、だって、でも川村さんは私を振ったじゃないですか!」

「それで諦めてどうすんのよ! 馬鹿じゃないの! もっともっと男を上げなさいよ!」

「はい?」

「そして私に見合うぐらいの男になって、私を迎えに来てよ! お願いだから!」


 ますますもってわからない。何が言いたいんだ川村さんは……。

 激高して泣き叫ぶ川村さんを見て、サリーを着た店員さんが駆けつけてきた。対応としては当たり前である。


「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」

「うるさいわね、あんたも爆破してあげようか?」

「は、はい?」


 ミミガーチップを顔に突きつけられて怪訝な顔をする店員。これまた当たり前である。


「そうか、先に呪わなくちゃね……中枢部分はあるし、これならどうかしら?」


 川村さんはカバンからヒモのようなものを取り出した。

 これがウワサの中枢部分なのか。あんなヒモだったとは。


「待てよ……中枢部分!?」

「そうよ栗山くん……勘がいいわね。ほらほら、できてきたわ、呪いの人形が!」


 見れば、川村さんのヒモに店中のナンが集まってきている。暖かいもの・冷めたもの・半分しかないもの・カレーに浸されたもの、多種多様なナンが飛んできては合体していく。

 最後に彼女がヒモを手放した時には、どう見ても中年男性にしか見えないナンの人形が完成していた。

 その時、私は全てを理解させられた。

 だが助けを求めるにはあまりに遅すぎた。


     × × ×     


 呪いの、人形は、食べ物で、作ること。

 もし、囚人が、外国に逃げたら、追いかけるのが、人形の、仕事だ。

 人形は、意志をもって、囚人を、追い、続ける。

 それは、怖ろしい、光景でも、あるし、微笑ましい、光景でも、ある。

 ところで、大和では、心中ものが、流行している、らしい、よ。


   《おもろさうし第二十三巻/人形おもろの御さうし》より訳文


     × × ×     


 とにかく白い。白すぎる。

 目を覚ますと病院にいた。それは白い天井やベッド、機器類・点滴ですぐにわかった――が、病院独特の薬臭さは感じられなかった。


「おお、お目覚めかね栗山くん」


 案の定、清水がいた。

 腹のあたりの縫ったと思しきところが痛い。できるなら二度とこんな経験はしたくないが、年をとれば自然と増えていくのだろうな。


「大丈夫かね、ナース・コールしてやろうか」

「結構です」


 そんなことよりも彼女には聞きたいことがあるのだ。

 清水は何かを察したのか、おもむろにスーツのポケットに手をつっこんだ。


「これを見るといい」


 A5サイズ、4つ折の印刷用紙を渡された。

 どうやら名原の書き置きらしい。姿を見せられないとなると、またFSBとかいう組織に追われているのだろうか。


「呪いを解く方法だそうだよ、私も見せてもらってねえ」

「へえ、あいつ、どこで調べたんでしょう」

「いやいや、そうじゃなくてね……」


 それから、清水が事の顛末を話してくれた。

 地下レストランから爆発音がしたので、急いで見に行ったら、私が新しい人形の生成を止めようとしたせいで、川村さんのカバンの中に入っていたちんすこうにより自爆。川村さんが勝ち誇った顔で謎の中年男性を羽交い絞めにしていたそうだ。

 口にミミガーチップを含みながら。

 佐原たちの呪いの説明により、あっさり御用となった川村さんだったが、呪術で立件はできず釈放されたらしい。

 話を終えた清水はポンと手を叩いた。


「それで、栗山くんに良い話なんだけどね。あの女、許せないだろう?」

「いや、そうでもないですよ。やっぱり今までお世話になってきましたし、私にとっちゃマドンナみたいなもんですから」


 さすがに今回はやりすぎだと思うが。


「え、そうなのかい? 今となりの病室にいるんだけど」

「……何をしたんですか?」


 私の質問に、清水は人差し指を唇にあてて、豊かなアルカイックスマイルを見せてくれた。

 もはや聞くまい。

 なんだか、全部どうでもよくなった。


「あ、そうだそうだ。呪いの解き方だけどね……これを読めばわかるらしいよ」


 清水は私の手から4つ折の手紙を抜き取り、きちんと開いてからまた手に戻してくれた。私の右手が包帯まみれなのを気にしてくれたらしい。

 相変わらず出来の良いお菓子だ、全く。作った人を褒めたい……って川村さんになるのか。


『栗山へ。

 マイクロウージーを持った男を見たので台湾に逃げることにした。

 そのうち整形して戻ってくる。心配するな。

 呪いを解く方法だが、川村が吐いた。

 その根本である人形を食えばいいらしい。簡単でよかったな。

 なんか、行き遅れの私は結婚のハードルもなんたらとかブツブツ言ってたけど、どうしたんだ?

 おっと、誰か来たようだ。また会おう』


 しばらく病室には気まずい空気が流れた。

 清水を食べる。名原はさらりと書いているが、それは――。


「いいんだよ。キミなら食べてくれても」


 それは――。


「味は保障するよ、牛乳と一緒だと、なお良いだろう」

 それは――!


「まあ45キロも食べたら飽きるかもしれないけどねえ」

「食べられません!」

「……わからないかね、キミは」


 彼女は静かに目を閉じる。


「私は呪いの人形として作られた、哀れなちんすこうなんだよ。そして、お菓子にとって食べられることは幸せなんだ。キミはいつも冷たかったが、最後くらいお菓子らしく消化してくれたっていいじゃないか、そうだろう、キミ」

「お菓子が涙を流したり、ご飯を食べたり、消費者を助けたりするもんですか」

「最近のお菓子はすごいんだよ……さあ」


 目をつむったまま、顔を寄せてくる清水。

 今の私では逃げられない。全身が包帯で巻かれ、なおかつ足は吊るされている。とても動ける状態ではない。


「……! やっぱりダメです清水さん!」

「奥さんも良いって言ってくれたよ」

「な……!?」


 あの馬鹿、何考えてるんだ。

 そんなことしたら、そんなことしたら。


 ちゅっ。


 とてもちんすこうとは思えぬ、柔らかさと暖かさ。


「栗山くん、ずっと好きだったよ。そういう呪いなのかもしれないけど……私は」

「そんなことしたら爆発するでしょ清水さん!」


 ドーン。

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