1-6
「フレクト、少しいい?」
学生寮の中の特別に役割の決まっていない空間、いわゆる談話室で一人テレビを眺めていると、年上の女性の声に呼びかけられた。
「休日に頻繁に先生方と顔を合わせるのは、ここの学生寮の難点ですね」
「それは当の先生を目の前にして言う事じゃないなぁ」
「それを言うって事は、会いたくない中にトキトー先生は含まれてないって事ですよ」
俺のクラス担任を務めるハル・トキトーは、従者育成専門学校には比較的珍しい女性教師だ。年もまだ若く、見た目は二十代の前半と言ったところだろうか。若さゆえか考えの柔軟なトキトー先生は生徒からの人気が高く、俺もどちらかと言えば好いている。
「そう? ありがと。でも、私に他の先生の愚痴とか言わないでよ。なんて返していいかわかんないから」
「黙って聞いててくれれば大丈夫ですよ」
「それはそれで問題だと思うんだけど……」
「それで、何か用事でも?」
トキトー先生が難しい顔をしているのはさておき、俺に声を掛けてきたのには理由があるはずだ。それが面倒な用事なら早く済ませてしまいたい。
「ああ、いや、用事ってほどじゃないんだけど。フレクト、明日模擬戦でしょ。準備とか大丈夫かと思って」
「それなら、多分大丈夫ですよ。従器の調整も済ませてもらいましたし」
「そう? ならいいんだけど」
手早く会話を終わらせた、つもりだったが、先生はこの場を離れようとはしない。
「模擬戦の前日なのに、随分と落ち着いてるのね」
「模擬戦なんて、これからいくらでもやるのに、一々緊張してられませんよ」
「でも、最初の一回目じゃない?」
「そうですね、だから本当は出来るだけ頑張って平常心でいるようにしてます」
少しだけ本音を漏らすと、トキトー先生は少しだけ呆けたように口を開けた。
「そっか、フレクトもやっぱり緊張するんだ」
「そんな異常者みたいに言われても。そりゃあ、緊張する時はしますよ」
「うんうん、そうだよね。そっか、緊張するか」
なぜか嬉しそうに言う先生の期待を裏切るようだが、実際のところ今の俺はそれほど緊張してはいなかった。もちろん、それは努力の結果という部分もあるが。
「私に出来る事があったら何でも言ってね。もちろん、何でも出来るわけじゃないけど」
続いたトキトー先生の言葉は、しかしその半分以上が頭を素通りしていた。
『――ノーラ・アトリシアさん、北東地域にはトム・ウィネルさんとなります』
テレビのスピーカーから流れてきた名前に、反射的に首がそちらを向く。既にそのニュースは終盤に差し掛かっていた為か、俺の目がその少女の顔を捉えた次の瞬間には画面が切り替わってしまったが、それでも俺がその名と顔を間違えるはずもない。
「ん、どうしたの? 何かあった?」
頭の後ろから、トキトー先生の声が響く。先生の位置からなら、テレビの画面が見えていたかもしれない。
「先生、さっきのニュース見てましたか?」
「さっきの? ああ、もしかして、フレクトもノーラちゃんのファンだったりするの?」
トキトー先生の直接の生徒である俺が姓、知人ですらないはずのノーラが名で呼ばれている事に妙な感覚を覚えるものの、それが有名人というものなのだろう。
「なら、嬉しいんじゃない? ノーラちゃんの担当地区、この辺りも入ってるみたいだし」
「そう、なんですか?」
ノーラ・アトリシアは、現在世界最年少、女性に限れば歴代でも最年少の国家特別王石保持者として有名な、俺と同年代の少女だ。
国家特別王石保持者とは、読んで字の如く国家によって特別に王石の保持を許された従者に与えられる肩書きであり、実質的には国内で最も優秀な従者の内の一人であるという意味を兼ね備えている。
そもそもが王石のエネルギーの有効活用の為の研究から派生して生まれた従器は、王石を動力源にする事で従来のそれを大きく超える性能を発揮する。
その力を国の戦力として活用する仕組みが国家特別王石保持者、本来なら王石を守る為にある従者が、王石を専有するという逆転現象だ。電気、熱、他にも如何様にでも活用できるエネルギーの永続的な生産を犠牲にしても、その存在と働きが上回ると判断されるほどの並外れた技量の従者にのみ与えられる役職は、現在この国には十三人しかいない。
そんな国内最高峰の従者であるノーラ・アトリシア、熾天使セラフの二つ名でも呼ばれる稀代の従者は、俺にとっては無二の幼馴染でもあった。
彼女が、ノーラが国家特別王石保持者としてこの地区の警護を担当する。それは、幼い日に別れて以来、一度も顔を合わせていないノーラとの再会が近付いているという事を意味するのだろうか。
今、この俺が?
国家特別王石保持者にまで昇り詰めたノーラと、今の俺が顔を合わせるのか?
「どうしたの、顔、怖いよ? もしかして、ノーラちゃん嫌いだった?」
「そう、ですね」
トキトー先生の言葉が耳に入らず、ただ空返事を返す。
「そ、そう? でも、流石に担当地区は広いし、そうそう目にする事も無いんじゃない?」
「あっ……そうですね」
狭まっていた視界が、一気に広がっていくような感覚。
国家特別王石保持者、その特別の文字は伊達ではない。国でも十三人しかいないその役職に割り振られる地域は、当然この学校の周囲だけには留まらず、彼女の担当地区にここが含まれているからといって、すぐにノーラと顔を合わせる事になるわけでもない。
「すいません、やっぱり少し疲れてるみたいで」
「そっか、そうだよね。もしあれだったら、保健室とか連れて行こうか?」
「いや、大丈夫です」
適当に理由をでっち上げると、トキトー先生は納得したのか気を遣ったのかそのまま去って行ってくれた。
「ノーラ、か」
呟いた名前は、予想通りまたわずかに心臓の鼓動を跳ね上げた。
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