第六話【応援】
「ポイント。イレブンシックス(11対6)」
審判のカウントと共にインターバルに入った美緒は、タオルに顔を埋めながら息を落ち着かせる。
まだ一ゲーム目の折り返し地点だというのに試合時間は一試合分をしているのではないかと思えるほど、一つ一つのラリーが長かった。
美緒の相手はデータがない一年生。一日目の試合の様子を簡単に庄司に説明してもらったところでは、自分から攻めずに粘ってミスを誘い、得点を重ねていくタイプのプレイヤーということだった。それを聞いて、あえて美緒は序盤から攻めていったが防御が思ったよりも厚く、どうしても突き崩すことができなかった。そのため、体力がつきないようにバランスを崩させてから点を決めるように作戦を変更し、結果として相手の術中にはまって試合の長時間化が起こっている。
(しんどいけど……これで気持ちが折れた方が負けるわね)
ミスを誘う防御型のプレイヤーならば、体力には自信があるだろう。美緒が勝つには、相手の体力を上回る必要があった。自信があるかと言われると半々。体力はつけてきたが、それがどこまで持つのかは、ここまで試合時間が長くなったことがないため分からない。
(とりあえず。このまま最後まで続くって考えたほうがいいわね)
相手に期待をし過ぎない。もし相手が先に体力が尽きてしまったなら、状況は勝手に美緒優位となる。大事なのは、この現状の打破の方法。
審判の声がかかり、タオルを顔から離す。ラケットバッグにタオルを置いてコートへと進み出ると、視界にラインズマンをしている高山が見えた。その瞳からは「頑張れ!」と声援がはっきりと送られている。
(二人の分も、っていう気はないけど……負けてられない)
高山と栄塚。二人のダブルスは二回戦で終わった。
全道大会二日目。ダブルスの部で二人は第一シードと対決。為すすべもなく破れていた。ラインズマンを務めた美緒から見て、もう少し隙を突けたとは思えるのだが、結果は変わらない。
(結果は結果。今のように相手の策にはまってるのも)
体力勝負を仕掛けてくる相手に体力で勝負するのは勝算が薄い。美緒は冷静に分析し、ラリーを出来るだけ早く終わらせるようなショットを打つことへと頭を回転させ始めた。
「一本!」
高く遠くへとロブをあげ、相手はそれを追っていく。次に来るのはストレートのハイクリア。そう予測して一歩早く足を動かす。
相手はそれに気づいているのかいないのか、予測通りにストレートのハイクリアを放つ。踏み出しが早かった分、美緒は早くに追いついて、ラケットを力の限り振り切った。シャトルは相手のいる場所の逆サイド。スペースが空いている場所に打ち込み、あえて取らせようとする。案の定、シャトルは取られてストレートにドライブを返されるが、すでに美緒は前に詰めてネット前に落としていた。
「ポイント。トゥエルブシックス(12対6)」
思い通りの展開で得点出来たことに一つ胸を撫で下ろす。しかし、それでも疲れが思ったよりも溜まっていくことに、美緒は違和感を覚えた。
(……なんだろ。でも些細な違いなんてあるし。いつも同じってわけじゃないし。酷い時はもっと酷い)
毎月何日かは確実に体調不良の日があるのだから、日々の微妙な変化を一つ一つ気にしていても仕方がない。今日は少し疲れる日というだけ。そう判断して、美緒はシャトルを構えて意識から違和感を吹き飛ばす。
「一本!」
美緒は更に分析をしていく。
シャトルをコート奥に。これは大前提。
そこから相手はハイクリアかドロップでコートの前後どちらかに移動させようとする。スマッシュは今まで打ってきたことはない。自信がないのか勝負所に取っているのか。どちらにせよ、ある程度警戒はしつつ、ラリーを終わらせる隙を探していく。
「がんばれー! 千坂ー!」
相手選手への声援は激しいものがあった。本来ならば選手しかいないはずだが、応援団でも組んできたのか十人くらい客席に陣取っている。その中でもひときわ大きな声で応援している男子がいた。
「はっ!」
その声に後押しされたのか、初めてのスマッシュは威力があり、咄嗟に取るには美緒は体勢を整えきれず、アウトにしてしまった。
「ポイント。セブントゥエルブ(7対12)」
「しゃー!」
当人よりも声を上げた男子のほうが喜んでいる。それを迷惑そうに見てから、美緒のほうに戻した顔がかすかに笑っていた。
(……なんか、ムカつく)
彼氏か。あるいは、遊佐と同じく男子の方が好意を向けているのか。逆に女子――千坂のほうが好意を抱いているのか。応援された千坂の動きはその前と比べて格段によくなっていたのだ。自分の展開に美緒を引き込んでいるというのにリードされ、更にラリーまで崩されようとしている状況は精神的に落ち込ませるには十分だっただろう。それが、自分を応援する一声だけで覆された。
「一本!」
千坂がシャトルを打ち上げ、コート中央に構える。それまでどこか小さくなっていた体が今や堂々として大きく見える。どこに打っても取られそうな錯覚に陥る美緒だったが、高く飛び上がってジャンピングスマッシュを放つ。
シャトルを千坂のバックハンド側。更に前方に鋭く切れ込むように打ち落とす。千坂はそれをドライブ気味に打ち返したが美緒はすでに前に飛び込んできていて、逆サイドにカウンターで叩き込んだ。
「しゃ!」
着地して威圧するように叫ぶ美緒。
相手が調子を上げかけたその時を狙い、出鼻をくじく。反撃ムードを一瞬で断ち切るにはこのタイミングしかないと狙っていた。何度も強者と戦ってきた経験を生かした美緒の戦術。千坂にはない、二年の経験の差だ。
(応援されることの力は分かってる……だから、全力でいかないと)
自分も、何度も部活の仲間や地区の仲間に応援されて、力が沸いてくるのを実感していた。中学一年の時には他人に構わず、一人で強くなろうとしたこともある。その時と比べると、美緒はたくさんのものを背負ってきた。
この場にいない仲間達。
そして、ここに一緒にいる仲間達。
全てが、今の美緒の力になっている。
「一本!」
13対7。スコア的には差をつけ始めているが気を抜けない。千坂の顔を見てもまだまだ心は折れていない。美緒はショートサーブでシャトルを前に落とし、相手のロブを誘う。しかし、それまで後ろに打ち上げるだけだった千坂は、クロスヘアピンで美緒の逆を突いた。思い切り上半身を前に倒してラケットを持つ手を伸ばし、シャトルに何とか触る。そのまま手首のスナップでシャトルを奥へと飛ばした。千坂もクロスヘアピンを打つことに集中したのか動き出しが遅れ、慌ててシャトルを追っていく。後ろを向いて完全に取れないかと美緒は思ったが、千坂は一気にシャトルを追い抜くと股の間からラケットを振り、打ち返した。
(!?)
弾道自体は低く、身構えていた美緒はネット前でシャトルをインターセプトし、コートへと叩き落とす。ポイントをまた一つ稼ぎ、千坂の応援席からは「ドンマイ」と声がかかる。相変わらず大きな男の声を聞きつつ、美緒は千坂に油断なく視線を送った。
(あの体勢で打ってくるなんて……ほんとにシャトルが床に落ちるまで油断できない)
股抜ショットは美緒にも出来ない。それをしなければいけない状況に追い込まれたことがないからということもあり、練習してはいない。逆に言うと、練習よりも試合の中でとにかくシャトルを打とうと考えていった結果、土壇場にとっさに出るものだ。それだけ、千坂はシャトルへの執着を持っている。そんな相手にはいくら体勢が崩れてようと関係なく、シャトルが落ちるまで集中は逃さない。
「一本!」
シャトルを飛ばしてコート中央に陣取る。ある程度、サーブ後の相手の打ち方は分析出来ている。後は、変化に対抗するだけ。
「はっ!」
そしてその変化は、唐突にやってきた。
ストレートのハイクリア。その軌道が脳裏にあった美緒に、スマッシュが放たれる。シャトルは胸元――最も取りづらい所へと向かってきた。サイドに散らしてくることしかしていなかった千坂が満を持して中央に攻め込んでくる。
(それも……予測してる!)
シャトルの速度自体は速くない。ラケットをバックハンドに持ち変えて、美緒はネット前にヘアピンで落とす。そこに飛び込んできた千坂はラケットを前に出してヘアピンの体勢を整えている。美緒もそのまま前に落とすと判断して飛び出したが、一瞬目に映った千坂の瞳の光に前へと出る足を少しだけ弱めた。
千坂は踏み込みと同時に手首のスナップを使ってロブを飛ばした。ふわりと頭上を抜けるようなものではなく、しっかりとしたロブ。フェイントのためとはいえ、手首だけでコート奥まで飛ばす千坂に美緒は心の中で素直に驚いた。
それでも切り替えしてバックステップでシャトルを追う。急激な動きに体が上げる悲鳴を力で蓋をして押さえ込む。
「――ぁああ!」
自然と漏れ出た咆哮と共にスマッシュを叩き込む。ハイクリアでもドロップでもなく、スマッシュ。緩やかな動きだと千坂ならば取る。しかし、スマッシュなら動きに追いつけないはず。その意図を込めたシャトルはしかし、ネットの白帯へとぶつかった。
(――!?)
着地した左足をそのまま踏み込んで、前に体を押しやる。またフェイントで後ろへ飛ばしてくるとしても、前に詰めなければネット前のシャトルには届かない。だから前に行くしかない。
シャトルは白帯にぶつかってから勢いを殺されて、それでも千坂側のコートへ落ちていく。千坂もまた考えていたスマッシュの軌道と異なったことでタイミングを外された。それでも、け着弾までの時間は長くなり、遅れを強引に取り戻させる余裕を与える。千坂のラケットはシャトルの下に届き、跳ね上げればヘアピンになる。美緒は体勢からロブはないと判断して更に前に急いだ。
この間、本人も気づかないほどの刹那の時間。
「あっ」
小さい千坂の悲鳴。
シャトルはネットにぶつかってからまたコートへと落ちていた。
美緒は前に飛び込んだ体を右足で強引に支えて止まる。少しの間は俯いていたが、顔と体を上げて息を鋭く吐く。
「――はっ! はっ! はっ! ……すぅうう」
あえて声を立てて息を吐き、それを数度繰り返す。
強引に押しとどめた体の悲鳴を今、受け止める。酸素を送り込みながら体の状態を確認していく。
(無茶したけど……体は何ともない。いける)
呼吸を落ち着かせると当時に、シャトルがネットの向かい側から返ってきた。見ると千坂が頭を軽く下げてレシーブ位置に戻ってくるところが見える。美緒の呼吸が落ち着くのを律儀に待っていたのだと分かって、美緒もまた軽く頭を下げた。
「よし、一本!」
シャトルを持ってサーブ位置に構える。その瞬間だった。
(――?)
構えた時に違和感が美緒を襲う。サーブの流れが途切れたことで千坂も、そして周りも美緒に不審な視線を向けているのが美緒には分かった。それを振り払うようにロングサーブを飛ばす。コート中央に構えている間に少しだけ体の状態を気にするが、今、浮かんだ違和感はない。千坂のストレートのハイクリアを追ってフットワークを駆使していても、その違和感は顔を出さない。
(大丈夫。異常はない。私の……気にし過ぎ?)
シャトルをストレートに打ち返し、中央に戻る。千坂は攻めをまた変えて、とにかく四隅を狙っていくことにしたのだろう。美緒から最も離れた四隅をその都度選択して打ち込んでいく。美緒からすればだいたいの予測が立つためシャトルを取ることはそこまで苦ではない。しかし、移動する距離が長くなる分、体力の不安がまた頭をよぎった。よけいな思考をすることで更に体力が減ることになる。
(もっともっと。試合に集中……集中!)
自分が一本のラケットのように。
シャトルを相手の急所に叩き込むことだけを考えるように。
思考の全てをそこへ集めていく。
外からの声援も後ろへと置き去りにして、ただただシャトルを打ち込んでいく。
そして――。
「ポイント。トゥエンティワンサーティーン(21対13)。チェンジエンド」
第一ゲームを取った美緒は少しだけ朝比奈美緒へと戻る。苦しかった第一ゲームを取ったことで、相手の優位に立つ。第二ゲームがもつれても、まだ体力は残っている。自分の状態を把握して、冷静に現状を判断。第二ゲームの展開も考え始める。
コートの外に出て、ラケットバッグからタオルを取り出し、顔を拭こうとした、その時。
「――っ」
左足のふくらはぎに、ピリっとした痛みが走った。激痛ではないが急に痛んだことで驚き、かすかに声が出る。千坂に聞こえてないかと横目で様子をうかがったが気づかなかったのだろう。千坂は美緒と同じように顔をタオルで拭くと、ラケットバッグと共に美緒の方へと歩いていく。美緒も千坂とすれ違って反対側のエンドへと向かった。
(――まさか)
心に不安を残しながら、ベスト4をかけた試合の二ゲーム目が始まった。
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