101回目の転生目録

@darakunkakuyomi

序章 The New Life

プロローグ

序章 The new Life


プロローグ


「死」とは何だろうか。


「死」────即ち、生命活動の終止を意味し、「生」とは逆の存在として、認識されているものである。必ず存在し、逃れることはできない。

  そして、無くてはならないものだ。

 

  ん?「どうしてなくてはならないのか」だって?


  確かに、「死」というものは生命にとって最大の恐怖で大敵だ。

  それがこの世から無くなれば、我々は他人を失うこともなく、自分の積み上げてきた成果を無きものにすることもないだろう。誰だってそう思うはずだ。人間だけでなく、植物だろうが動物だろうが、ありとあらゆる生命、全てがそう思うはずだろう。


  しかし、だ。「死」は生命がいる限り、生命が生命であり続ける限り、消えやしないし、存在しなければならない。

 

  それは「死」というものが「生」の逆であることに由来する。


  表裏一体という言葉はご存知だろう。これはどんなことにでも、万有万物、森羅万象に当てはまる言葉である。これも、そういう事だ。

  逆、つまり裏。

  表が無ければ裏は無いし、裏が無ければ表も無い。一心同体ではなく、一身同体ということだ。

 

「死」が無ければ「生」は無い。

「生」が無ければ「死」は無い。

 

  そもそも、どちらが表かどちらが裏かなど、見る手によって変わるものだ。

  舞台裏も、そこで働くものからしたら表であるし、むしろ、舞台の上の存在も舞台裏の人からすれば裏とも見て取れる。

 

  生命側から見た死体が死んでいると捉えられるように、死体から見ると、生命の方が死んでるかもしれないのだ。


  要するに、この「生」と「死」という言葉は一見対極に見えて、案外同じ言葉なのだ。

  こうなると、もう、「死」という存在の大切さは手に取るようにわかるだろう。


  まあ、簡単に纏めると

「生」=「死」なのだ。

  だから、必ず存在し、無くてはならないのだ。

  生命がいる限り、生命が生命であり続ける限り、存在しうるものなのだ。


  では、この「死」が欠けるとどうなるのか。

「死」が欠けると、即ち、「生」が欠けるとどうなるのか。


  答え:生命でなくなる

  である。


  生命は生きているから、命があるから生命なのであって、もしそこから「生」が欠けてしまうと生命でなくなる。生命ではない何かだ。

「死」も同様だ。「生」=「死」なのだから、「死」が無くなれば、当然、生命でもなくなる。化け物と言った方が正しいだろう。

  生命に化けた物。化け物。

「死」が無い生物など、死なない生命など、聞いただけでも化け物だと思うはずだ。

 

  不死鳥やゾンビ。どれも死なない存在だ。

  つまりこれらの存在は生きているとも言えない。始めから死んでいるも同然の存在だ。

  要するに、生命ではない。それ以外の何かだ。化け物だ。真の意味での化け物だ。

 

  では、ここで私は問いたい。



 ────



  私は化け物なのだろうか。


  、生命と言えるのだろうか。


  ある意味、不死身で常に生きている、常に死んでいるともとれる私は、本当に生きた死んだと言えるのだろうか。


  私は何なのだろうか────



 ────


 

  恐らく、この答えは「その通り」だろう。

  私は生命ではない。化け物だ。生命ではない何かだ。


  その答えが正しいのであれば、私は生きていないのも当然だ。

  存在してるだけ。生命のふりをしているだけ。

  ただの「もの」だ。

  私はその辺に転がっている石ころと同価値、同等の「もの」だ。


  だが、もし、私のこの答えが間違っているのなら、私を「生命」として受け入れてくれるのなら────


  私も案外、楽になれるのかもしれない。

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