第25話
*
六月に入る。制服の衣替えの時期だ。
上はワイシャツ、下は男子は薄い生地の長ズボン、女子は薄い生地のスカートとなる。しかし、それを学校行事のイベントと呼ぶにはふさわしくない。
放課後、校庭からの熱気が一段と高くなる時期がやってきた。
五月の末より、中統体(中学統一体育大会)の為の運動部強化期間が設けられている。
普段の部活時間より長く練習することが出来るようになり、サッカー部や野球部などは専用グラウンドで練習することが出来るようになる。
うちの学校の校庭は狭いほうではないと思うけど、野球とサッカーだけでほぼ埋まってしまう。それを解消する為にせめて強化期間だけでも、という計らいらしい。
最も、俺はうちのどの部活が強いとかは知らないけど……。
「大変そうだよなぁ、一生懸命走ってるよ」
「それ、誰に対して言ってるの?」
俺と晴翔は校舎の3階東側、屋外通路にて運動部を眺めていた。
丁度校舎の東側に広がる校庭は、いかにもここから校庭全体を見渡してくださいと言わんばかりの眺めだ。
「ごめん、晴翔も運動部だったね」
「今は違うけどな。でも、真摯にスポーツと向き合っているやつを馬鹿にするのは、許せないかな」
「わかった。もう二度と言わない」
軽口のような、真面目なようなやり取り。
晴翔となら、真面目にけんかしたとしても、居心地良く感じるんだろうな。本人には絶対に言わないけど。
そんな事を思ってしまうほど、晴翔はいい奴なんだ。
そんな自己解決をしていると、自然と笑みがこぼれてくる。
「何ニヤけてんだよ」
「いや、ちょっとね」
何気なく終わると思っていた中学校生活は、明らかに違うものになっていた。
夏には珍しく涼しげな風を正面から浴びる。
校舎の東側にあるグラウンドには、大きな黒い怪物が横たわる。しかし、その影をも飲み込むグラウンドの中で、この夏にかける勇士たちが汗を流している。
中学最後の夏、というワードが再び頭によぎる。
終わりを先延ばしにするために汗を流しているのかも、なんて言ったらまた晴翔に咎められるだろうか。
「晴翔、俺、そろそろ帰るわ」
「おう、部室には寄らないのか〜?」
「あぁ、赤城と栗生によろしく言っといて」
「はいよ、お疲れ〜」
何とも軽い挨拶だと思う。
でも、そんな仲なんだ。俺の、忘れたい過去を唯一知る人物……。
「あれ? 黒瀬くん、もう帰り?」
「あぁ、笠間さん」
昇降口に笠間さんがいた。
笠間さんは陸上部だ。夏らしく白いTシャツにハーフパンツ、ランニングシューズは陸上選手御用達の蛍光色だ。本来ならば、グラウンドで練習をしていると思うのだが、こんな昇降口に座って何をしているのだろうか?
「ねぇ、ちょっと、背中押してくれない?」
「え、背中を?」
なぜか、ストレッチを手伝わされる羽目になった。全く、他の陸上部に手伝ってもらえば良いのに。
こちらの気も知らず、笠間さんはグイグイっと上半身を前に倒す。開脚して、前にペタァー、右のつま先を左手で掴む、左のつま先を右手で掴む。グラウンドでは、中統体に向けてのメインの練習が始まっており、各々の部活の掛け声がこだましている。本来ならば、笠間さんもその中に加わっていなくてはいけないのではないだろうか。しかし、陸上部の内情がわからない以上、むやみに口を出すことが出来ない。
そんな憶測を知ってかしらずか、不意に声をかけられる。
「黒瀬ってさ、なんか変わったよね」
「そうかー?」
「うん、そう見えるけど」
正直に言って、変わったかと言われれば自覚がまるでない。そう見えるならば、周りの環境が変わったからだろう。今まで連む人は晴翔のみ、その他は一人で勉強しているか、ボーっとしているか、寝ているか、の三択だ。大体は、挙げた通りの順番で夢の世界へ旅立つ。しかし、今年になって、異性の友達が三人も増え、行動も一緒にするようになった。そのことが俺の中で何か変わったのかもしれない。
「多分、星宮さんとか、古賀さん、笠間さんとも話すようになったからかなぁ」
「あー、そっちかぁ……。うん、でもそうかも」
何だか意外な反応だった。変わったという解釈が間違っていたのだろうか。それとも変わった時期か? そうでも考えなければ、笠間さんの反応が腑に落ちない。
一体、笠間さんは俺の何を見て「変わった」と言ったのだろうか。
「おっけ! ありがとう!」
「お、おう……」
結局、謎のまま昇降口を飛び出した──と、その時。
笠間さんが、沈むように倒れた。
まるで、急に魂が抜けて肉体だけとなった体が慣性に従ったかのような倒れ方は、明らかに何かにつまずいて転んだものではなかった。
女子に「一緒に帰りませんか?」と言うと告白になるらしいので、色々工夫を凝らして偶然を装いたい。 芦ヶ波 風瀬分 @nekonoyozorani
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