割線

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第一部

第一部


僕は久しぶりに家族と出かけることになった。本当に久しぶりだった。僕はエナジードリンクを持って車に乗り込んだ。普通に家族と会話をし始めた。なに普通に会話してるんだ!僕は家族と普通に会話してはならないんだ!と思い、ぐっと言葉を押し込み、自分の中へと沈潜した。が、それもまた、無味乾燥だった。目的地は、栃木県足利市にあるフラワーパークだった。同じ県内にあり、車で四十分程度で着いた。そのフラワーパークには、その県の天然記念物である紫色の大藤が棚の下から花の房を垂らしており、その場所の象徴となっていた。大藤の移植のエピソードを少し話すと、その大藤は、近隣の都市開発と共に移植が必要になったらしかった。「この藤は動く。私に生き続けたいと語っている」と移植の仕事を引き受けた人は言ったらしかった。だが、その後、不眠に陥ったそうだ。文献を見ても、大きく育ってしまった藤を移植させることは不可能だと書かれていた。藤の表面の保護が課題となり、外皮から二~三mmの層にある菅が傷つくと、細胞分裂ができなくなり、成長が止まってしまうらしかった。藤は菅を守る外皮が非常に柔らかいく世界中のどこにも解決策はないらしい。だがそのあと、スタッフがバイクの事故で骨折したという話を受け、石膏でギブスをはめるというアイデアを思いついた。この世界で最初の試みがうまくいき、移植は無償で成功したらしかった。

だが、あいにく、僕たちが行った五月下旬のこの時期は、薔薇が中心ということで、藤の開花期は、四月下旬から五月上旬であり、その美しい佇まいは全く見ることができなかった。「山と川、平野が接する足利の象徴となるフジ」という案内板の上の大藤棚には、本当ならば、紫色の藤が咲き誇っているはずなのだが。

僕たち家族は、日傘をさしながら、花々を眺めていた。外は太陽が容赦なく照りつけ、蒸し暑かった。光の水玉模様が、木の板にポツポツと浮かんでいた。こんなにたくさんの花々を間近に見たのは初めてであり、植物の中に身を置いているだけで気分が和らいだ。ここでしか知れない花の名前や種類が僕たちを楽しませた。

真珠貝、フランソワ・ジュランビル、ガーデンオブローゼズ、グラフ レナート、黒真珠、しのぶれど、クレマチス・マダム・バンホーテ、レミーマルタン。僕は花から花へと歩き、様々な花の香りを嗅いだ。


家に着くと、一通の手紙が僕宛に届いていた。早速封を切ってみると、精神分析協会からだった。内容は下記のものだった。

「問診票のご回答ありがとうございました。主治医の先生からのご紹介状からの情報も踏まえて、以下に、当方の理解と提言をお伝えします。

「他人に対しての嫌悪感のようなものが消えない」「孤立無援の生活に圧迫されてしまっている」とのこと、自傷行為の背景についてはお書きになっていないので詳細は分かりませんが、相談できる人がわからず、お困りなのではないかと思います。定期的に話し合って自分について考える相手を持つことは、役に立つ可能性があります。

一方、「自分の内面の病根のようなものを発見し、その上で他者と交流関係をきちんと持てるようになる」ことを課題としてお書きですが、「小説が書けるようになればいい」とも期待されています。

結論を述べますと、前者は、精神分析において取り組まれる課題の一つかもしれませんが、学校・通院先のいずれも短期間で移られており、週四回二年以上のコミットメントが前提の治療ををお受けになるのは、時期尚早と判断します。まず週一回でどれだけ継続ができるか、それがどのように役に立つかを経験されることが適切です。それから、小説を書くことへの効果は、特に実証されていません。実際に創作教室のようなところに行くほうが、より直接的に確認できるかと思われます。

なお、自閉スぺクトラム症については、心理検査を受けた結果ではないとのことでしたが、心理検査は、その点に限らず、ご自分の特性を理解するのに役立つ可能性があります。

週1回のサイコセラピーあるいはカウンセリングのこととともに、主治医とご相談ください。当方ではあいにく、週1回の治療の紹介は現在行っていません。このたびは、十分にお役にたてませんでしたが、これにて失礼させていただきます。」


僕は非常に落胆した!僕は、システマティックにトレーニングを受けた人間に分析を受けたいと思っていた。日々、それに精励することによって、価値を生み出したいと思っていた。つまり、それは最終的に僕が小説を書くということに収斂する。どういうことかというと、精神分析、また精神分析を受けに足を運ぶということが僕にとって、月並みでない何かがあった。それは僕にとって最大限の価値であるように思われた。僕はかねてから小説家を目指しており、小説を書き上げるということに異様なくらい執着していた。実家の埃臭い六畳の一部屋で、普段は読書をしたり、ものを書いたりしていたのだが、ものを書くといってもまとまったものは何一つ書くことができていなかった。tumblerというブログサービスに日記という形式で自分のことばかり書いたりはしていたが、それは僕にとって現状の自分を語った閉じられた単なるモノローグであり、素材でしかなく、くだらないものだった。ドストエフスキーが描くような人物たちの心のひだが描きたかった。フィリップ・ソレルスの「女たち」という小説の言葉を借りると、「我々は登場人物を求める!作者じゃない!登場人物だ!彼らの身に起こること!漫画の続き!われわれは本物の小説を欲する!」だった。

精神分析を受けるということは、そういった狭窄から逃れる一つの手段であると思った。メルロ=ポンティは、精神分析の解釈学的な夢想は、自分自身との対話を深めるものであり、実存を性的なものの象徴として受け取るものであると言う。性的なものの象徴というのは、一つの解釈装置によって解釈されたものに過ぎないが、だが、自分との対話をし、これまで積み重ねてきた不確かな「自分」というものを変化させたいと思ってきた。僕はあまりにも狭窄し過ぎていた。狭窄という観念だけがあり、それがどの程度のものなのか、はっきりはしないが、とにかく僕は拡充しなければならない。小説を書きたいけれども、それだけになってしまっている今の生活というのは、魚のいない湖で魚を釣ろうとしているようなものだと思われた。だが、僕には書きたいものがあり、構想はあった。だが、それだけになってしまってはならない!

それは自分を浪費することである。書くべき小説のことを考えると、それしか考えられなくなって、その轍から抜け出せない。やがて、書こうとしてキーボードに手を添えると、猛烈な拒否感が自分を襲う。僕はそういう思考がずっと雪雪崩のように続いてきた。そして、一作もまだ世の中に作品を発表することができていない。僕の頭の中はどうしようもないほどに狂奔しているのに!それを示せぬことが、焦燥感となって、冷静さをまったく失わせた。でも僕はやはりそれだけにならざるを得ない。しかし、こうやって精神分析も断られてしまってはどうしようもないじゃないか!僕は代官山まで足を運んで、その足で感じたことを文章にしたりしたいと思っていた。もしかしたらそこで物語というものが不意に自分の頭をよぎるかもしれない!他者が自分の中に芽生えるかもしれない!


僕は、共同体に馴染むことが難しかった。精神分析をするにはまずは、まず協会から申し込んで、候補生の空きがあるかどうかや、協会側のインテークなどがあり、そこで向いているかどうかも、査定してもらえるとのことだった。東京ならば、そのインスティチュートの申し込みで、もし精神分析が向いていると判断されたら一回三千円の枠で、受けることができると思われるとのことだった。なのでまずは、主治医に、診療情報提供書と、自身で書いた問診票を書いて送って欲しいとのことだった。そして書面に基づいて相談の面接を設定するかどうかを決定させていただくこともありえますので、ご了解ください。と添えられていた。

そこの問診票で、「あなたが現在抱えている困難や課題はどのようなものでそれはいつからのことで、現在あなたがどのような状態なのか」を書いてとのことだったので僕は下記のことを記載した。

「困難ですが、僕は小説家を前から目指しているのですが、「多くの人と環境に接することが大切」と頭ではわかっていながらも、他人に対しての嫌悪感のようなものが消えず、去年の四月に大学と学生寮に入るも、すぐに実家に戻ってきてしまい、孤立無援の生活に圧迫されていることです。課題は、自分の内面の病根のようなものを発見し、その上で他者との交流関係をきちんと持てるようになり、小説が書けるようになればいいということです」と書いた。

また、治療を受けるとすれば、どのような形や方法のものを、期待し、あるいは思い描いていますか。との質問に対しては、「寝椅子連想法とHPで見たのですが、基本的に形式や方法ではなく、自分の内的な言葉に新しい意味を与えるものに繋がるようなエンパワーメントのようなものを期待しています」と書いた。精神分析を受けるための都合のいい曜日と時間帯には、月曜日から日曜日の午後まで全てに○をつけた。


精神分析に興味を持ったのは、フランソワーズ・ドルトというフランスで有名な精神科医は、二十歳で重い神経症(不安障害や神経症)にかかり、二十四歳で医学の道をめざしている途中で、週三回の精神分析を以後三年間受け続けた。すると、生後八ヶ月までの体験を思い出し、精神病の狂気だと恐れていた幻視が、実は一歳頃の出来事に由来していたことを発見でき、幻視は消え、精神の伸びやかさを得たということだった。対話、これが僕の求めているものだった。精神分析によって、普段抑圧していた思いが口をついて出る。本当の自分が顔を覗かせる。僕は日々の中で下降してきた。「「私」というものが機能するためには、その私が属する集団である「われわれ」もまた機能していなければならない」と僕は、ベルナール・スティグレールの「愛するということ」という本で読んだ。「我々の中でのみ、私は個となれる」「「私」はそれ自身で定義されることはなく、家族や友人、学校、職場、地域などの集団に属し、その中で何らかの役割を担う(あるいは担っていない)ことで、他者によって事後的に認証されるような存在」「時間とは選択の問題であり、つまり熟考し、行動するためにある」

選択という問題。一日の始まりに対象がないのは一番の恐怖である。僕は対象が欲しかったのかもしれない。父や母は一日の始まりにやるべきことは決まっている。ご飯を作る。仕事に行く準備をする。だが、僕は自分自身のことを考えること以外の課題がない。だから自分自身が絶えず問題になり、意味というものを考えなくてはならなくなる。標準化された、自動化された習慣的知識。僕にはそれがない。それが何よりも恐怖だった。そこからの脱却、その方法論としての精神分析。自己分析には限界がある。

寝椅子で自由連想法。実家から電車で二時間くらいかけて行き、五十分程度の精神分析を受けて帰ってくるということに、僕は若干の文学的な要素を感じていた。

毎週四回から五回の頻度、つまりほぼ毎日のように一回四十五分から五十分で行うもので、一回の料金は、候補生の値段だと三千円で、五千円という形にしている場合が多いとのことだった。

五万円以上。電車賃も往復で三千円以上なので五万円以上で、月に十万円くらいかかることになって二年以上通わなくてはならないとのことなので、二百五十万円くらいかかることになる。だが、それが一種の生活にとっての色彩になると思った。今のままでは月並みである。もちろんアルバイトはするつもりでいた。とりあえずどうなるかはわからないが、そこへ足を突っ込みたかった。こういう考えも、治療されるべきであるのかもしれないと思った。現在の自分を受容できない人に、物語を与えることによって自分を受け入れさせるのが精神分析というのをどこかで読んだことがあるが、僕は、精神分析自体によって与えられる物語もそうだが、この僕が住んでいる栃木県から代官山まで足を運ぶというところにも物語を感じていた。自己分析と他人による分析の違いは、動機というものを見ていかなければならない。僕は自分によって、自分を見るということに辟易していた。他人とって、明白なことが自分には明白ではない。もし二年間の分析を受けて、スーッとすることはあり得るだろうか?分析による効能はあるとしても、僕はその分析をさらに自分で分析し、受けている日々を緻密に観察し、汚れた食器を一つ一つ洗うように、どう、それを形にするか、つまり、小説にするべきかということを考えていかなければならないだろう。自分では気づき得ない部分、自分が普段、忘れていた部分、そこにアクセスし、それを含めた複合的な人物になることを求めていた。とにかく僕は心理療法を受けないと、安住し得ないと思うようになっていた!


僕の過去のことを少し述べると、去年の四月から東京の国分寺にある学生寮に入り、高卒認定をとり、大学にも入学したのであるが、やめてしまった。大学の入学式の際に「xx大学は世間でいうFラン大学であるかもしれない。しかし、それは、標準の外にある異物であることを引き受けるってことかもしれない」と教授が言うのを耳にした。だが僕はその異物に対しての異物であり、少しも大学に馴染むことができなかった。大学というのは資源であり、活用せねばならない。僕はとって大学とは、卒業するためではなく、小説を書くというための一つの環境としての資源だった。なのに単位とかテストとかレポートなどというものに絡め取られるのが僕は辟易した。

することといったら、単位を取るなんてまったく考えずに、世界文学について淡々と話される授業を聴きに週一回行き、そのあと図書館に足を運ぶことだった。館内には二三万冊もの蔵書があり、図書館の本たちというものには、自分の考えについてのか答が記されてると思った。だが、結局は自分がなんとかしなければならないのだから、究極的にはその答に決して落ち着くことはできなかった。本には全てがある気がするが、他者のそれは、私がなんとかするための素材であり、それは言ってみれば暴力でさえあった。そういう教育機関にただお金を支払っているのがバカらしくもなり、そして僕の所属している学部というの総合文化学科といって、あまりにも横断的であり、茫漠としすぎていたので、迷うことが多くなり、授業を選ぶ際も僕は混乱することになった。結局、続けられる気が起きず、大学に退学届を出すことになった。

挙げ句の果てには、僕は大学を憎み、図書館を燃やす青年を主人公とした小説を書こうかと構想し始めた。

大学図書館放火事件。刑法百八条で、現に人がいる建造物を焼損した者は死刑か無期若しくは五年以上の懲役になるということだった。開館時間中なら人がいるので放火目的で火をつけたら罪が重くなるし、刑事以外に民事もあり、一生かかっても支払いきれないだけの金を要求してくるということだった。それに至るまでの心理状態を描きたかった。


僕は小説を書き、発表することだけが全てだった。その思いに縛られてきた。僕の心臓は小説のために動いていた。血は小説のために流れていた。だが、一作も僕は小説が書けずにいた。そして、その小説が書けない自分とはなんなのかについて考え始めた。小説というのは、虚構であり、真実味を帯びていないとしても肯定されるべきである。つまり、他人からしてみれば、それは、ただ作品というだけのことである。だが、僕は小説を書く前に、実存をまず書かなければならないと思い始めた。今のこの状況、僕がやりたいことは、僕の真実を語ることである。それは自分が小説というものを創造する作業に移る前の段階であるように思う。それをしないとどこか気持ち悪いのである。何か、今の内実を吐露せずにはいられない。これを書かずして小説を書くことはできない。しかし、これ、とはモノローグであり、僕にとっての小説とは、バフチンがドストエフスキーの作品で発見したように、他者の言葉と出会い、その他者の言葉と生き生きとした緊張した対話的相互作用を意味していた。僕は日々において他者を発見しなければならない。他者と会話しなければならない。つまり、多声性を見出さなくてはならない。それが何より大切なことである。在るとは対話的に交通することを意味する。「生き、存在していくには、最低限二つの声が欠かせない」だが僕には誰もいない。ん?いないというのは、どういうことか。つまり、原型になる人物がいないということである。僕が好きなドストエフスキーは、実際に見知った人物をモデルとして小説を書いた人だとどこかで読んだ。僕には小説を実現する上での、他者が欠けているのではないか、その空隙を埋める必要を絶えず感じていた。もしかしたら僕にはそのモデルがいるのかもしれない。だが!ここが重要なことなのだ!起床して息を吸った瞬間から僕は去勢され、拘束具をはめられたかのように、行動を縛った。僕はこの重石を何としても取り除きたかった。そして健やかな、軽々とした気持ちで頭に浮かんだことを自然に表出できるような感覚になりたかった。



僕は、腕の内側を拳で思いっきり叩いた。僕は拒絶された感じがした。小説家になるという確固たる夢があるから死んでないだけで、もし夢がなかったらもう死んでもよかったと思った。これからどうしたらいいだろう!なぜ精神分析ができないんだ!家族との夕ご飯を共にせず、ハイボールを三缶ほど自分の部屋に持っていき、ガブガブ飲み始めた。もう捨て鉢の状態であった。そして、イヤホンを耳に突っ込んで、Whitehouseの「Language Recovery」というノイズ音楽を大音量でイヤホンで聞きながら、布団に横になり、眠った。畜生!畜生!畜生!

起床すると、懇願の意を込めて、またメールを書いて、送った。


「お手紙の方拝見させていただきました。

まずですが、小説がかければいいというのは、精神分析によって書けるという捉え方は錯誤です。小説を書くという行為は、本人の技量の問題であるので、全く精神分析とは関係ありません。深層を知ることによって、何かの足しにはなるかとは思いますが、それは違います。

週四回二年以上のコミットメントができないだろうと推測されているようですが、当方は、平気であると判断します。というのも、学校・通院先のいずれも短期間で移っているというのは、要するに、賢明な判断だと思っております。新宿のメンタルクリニックは、約二分ほどの診察で投薬治療にのみ限り、地元から電車でそのためだけに通わなければならないので、地元の方がいいのではないかと、知り合いの臨床心理士から判断をされ、地元のメンタルクリニックに移ったまでのことです。

また、学校の方は、「手に職をつける」という観点から、試行錯誤しまして、来年から日本福祉大学というところに通い、精神保健福祉士の資格を取るつもりでおります。

きちんと考えているので、できれば分析の方をお願いしたく思っております。是非ともよろしくお願い申し上げます」


精神分析協会から、返事が届いていた。

「事務局宛に、電子メールでのご連絡をいただきましたので、改めてお返事します。

ご期待に沿えないこと、遺憾です。

ただ、お問い合わせいただく方々はすぐに始めることを希望されていても、実際には、さまざまな準備が必要なことが多いのが事実です。これまでに何らかの形での取り組みに、一定の期間携わっていない方に、いきなり精神分析を提案することはありません。また、急いで始めることが意義や効果に直結するものでもありません。

今回の申し込みへの時間とコストについて書かれていますが、以下の御助言をお伝えしていることが、当方の対応です。現時点で向いていないものに、これから時間とコストを掛けることは、お勧めしません。

既にお伝えていることを繰り返します。あなたさまの場合、週一回のセラピーまたはカウンセリングを、年単位で経験されることの方が適切です。それは活かせないけれども精神分析ならば有意義であるということはありません。継続できるセラピストあるいはカウンセラーと出会い、ご相談を進められることをお祈りします。では今回のお問い合わせへの対応は、これにて失礼させていただきます」


僕はその時起こった断絶を意識するや否や、ふと、そばにあったアイドルプロデュースゲームのキャラクターのファンムックの本を手にとった。そして、僕はそのアイドルの中の一人である十六歳の少女に今まで以上に共感を覚えた。その少女の名前は高坂進乃といい、シンガーソングライターを目指しており、高校の吹奏楽部に入っていたが、完全に孤立していた。自分の殻に閉じこもり、背信と献身のある依存心の強いタイプのように思われた。僕はそのとき、そのとき、思いもよらぬ鳥肌と、遅鈍なる生活が一新されるような感覚を覚えた。


これだ!この人物を対話の相手にしよう!それにより、僕は小説という形式を完成させることができる。これは独創的なものだ!小説家を目指している人間が自分が投影した人物と対話するなんていうものは誰も考えたことがない、もしくはやらなかったことではないか?と思った。モノローグからダイアローグへの移行だ!これを小説にしよう!これを小説にしよう!それを思うと、いてもらってもいられなくなった。午前三時だった。が、問題はどのように対話を行うかだ、そして終着点は?僕は喉に両手を当てて、自分の中にその人物が宿っている様を想像した。そして、誰もいない人物を造形するように人物の輪郭を何もない空間になぞるような動作をした。いかなる時でもその人物を目の前にしているような生活を送らなければならないか?嫌、彼女は僕だ。僕の一部だ。僕は心理学を少し独学でかじっていたので、これは投影同一視というものだということは薄々わかっていた。自分が拒絶されて、また閉じ込められたのを痛烈に感じたから、そのような人物に自分を見たのだ。

僕は洗面所で顔を洗った。「一応自分は顔を持っているんだわ…この顔を誰かに見てもらいたいものだわ!私は顔を洗っていたら、ドアの隙間からいきなり教われるんじゃないかって、とても怖かった。それは幽霊なんかより、現実感のあるものだった。きっと父親…」

僕の口調が一瞬、女性に変化した。僕はその時、まさしく拒絶されたような孤独な進乃という理想化されたキャラクターに同一化することで自分を理想化したのだと思った。


そこで、対話の手段として僕は「ドリームリーフ」というサプリメントを使うことを思い立った。それは米国から輸入した。原料はよくわからないが、明晰夢を見れる確率が高まるということで話題になっていた。青いカプセルを飲んで、眠り、四時間後に一旦起きて赤いカプセルを飲みまた寝ることで明晰夢を見れるかもしれないとのことだったが、僕は見ることができなかった。その夜、赤いカプセルを飲む頃起き上がったら、自分の枕元にムカデが這っているのがわかり、声をあげて飛び起きた。そして、一階で寝ている母を起こしたら、父に捕獲してもらい、割り箸で掴んでから、ティッシュで押しつぶした。父親は苛立ち、苦々しい顔をしていた。その潰されたムカデは、なぜか僕のような気がした。その後も、なんども試したが、明晰夢を見ることはできなかった。僕はムカデを探した。他人であるムカデを探した。自分以外のものを探したが見つからなかった。自分しかいないという行き場のない寂しさをせめてムカデでもいいから僕は今この場になにか自分ではないものを見出したかった。

夢という認識は、自分の一部分で夢を観察することで、明晰になるために必要なのは観察者の視点であり、そのためには夢日記をつけるが有効だと書いてあったのでそれを実行することにし、ノートに毎回自分が見た夢を書き続けた。しかし、全くもって僕が見る夢というのは、小中時代の時の友人が出てくる夢とか、死んだ叔父が出てくる夢に限られていた。

だが、ある日、進乃がCDショップでCDを見ている夢をみた。それは後ろ姿だったが、確かに進乃だった。だが、それをただ眺めているというだけで、近づこうとしたが、夢から覚め、姿と、僕の願望は雲散霧消した。それからも何度も試すが一向に明晰体験はできない。僕は自分を切り裂いて、自分を二つにし、対話しなければならないのに。なんてことだ!僕は明晰夢の技法の本を数冊、市の図書館に取り寄せの電話をし、わざわざ大宮の図書館から取り寄せてもらった。

夢の中で起こることに影響を与える動機付けは、四つのレベルに分けられると書いてあった。一番低いレベルでは基本的衝動による動因、次に欲望、次に予想、そして、理念や目標。理念には本質的に熟慮が伴う。意識的である時にのみ、それに従うことができる。自分の理念にしたがって行動できるのは明晰夢においてだけらしかった。僕の理念は進乃と対話し、対話形式の小説を作り上げることだ!


その後も何度も明晰夢を見るために試したが、数ヶ月経っても見ることはできず、やがて新人賞の締め切りの月になっていた。



「新人賞の日、もう今月の末が締め切りだ。僕は予想できないではない。やるほかないのだ。それは決定づけられた課題であり、僕は応募し、その日を通過する。それはどのような形であれ、そうなる運命である。だが、僕は舌で飴を転がす日々を送っているが一向にそれは溶ける兆しが見えない。それはいきなり溶けるのだろうか?僕は新しい日々を求めている。飴は砕け散る!」


「僕は小説を新人賞に応募できる可能性と応募できない可能性を現時点で併せ持っている。それを僕は早く確定させたいのだ。確定できない日々はもう疲れた。今流れてる一秒一秒が応募できない方向に向かっていってるような気がしてならない。それを僕は堰き止めようとする。未来を先取りしようとして絶えず焦る」


小説の題名は「割線」にすることにした。割線とは、「円周または曲線を二つ以上の点で切る直線」と辞書に書かれていた。

中央に線が入った丸い錠剤のようなものをピルカッターで割り、二つのうちの一つが僕で、もう一方が高坂進乃というわけだ。僕という人間から能動的にもう一人の人物が出てきて対話する。まさにぴったりなタイトルだと思った。



日々の課題は色々あった。自分の整理能力のなさ。

自分の特性を知るための精神分析協会からの勧めである心理検査を行うことにした。市の病院で、ロールシャッハテストと、知能検査をした。

母と診断の結果に行った。

「心理テストの結果なんですけどまず結論から言うとカウンセリングの適応にはならない。というかカウンセリングをするのは逆によくないという結果が出ました。カウンセリングすることで、いろんな自分の今までのことついてを考えるようにすると逆に症状が悪化するタイプみたいです。で、病名をつけるとしたら何になるのかというと、強迫性障害が入っている」

「強迫性障害?」と母が言った。

「強迫性障害というか、考えが強迫的。あまりそういう風に自分で考えることないです?」と僕に聞かれた。

「あります。強迫的だなって思います」と僕は低い声で言った。

「なんか自分でこんなこと馬鹿馬鹿しいって思っていても同じことが繰り返し浮かんでくることがあるかなって思うのと、あと発達障害が疑われるという結果が出てます。そしてこういう人たちに下手にカウンセリングをすると、逆によくない。臨床心理士の意見としては、発達障害を扱う専門機関で治療したほうがいいんじゃないかという結果が出てます。そこでより一般的な考えに持っていくようにしていくのがいいんじゃないか、標準的な方に修正していくように。他の人と同じような考えを少し身につけて、もう少しみんなと関わってみたいという気持ちがあれば、そういうのもやってみてもいいと思います。ただ正直に言うと大変です、カウンセリングっていうのは。カウンセリングはその人のモチベーションがどの程度あるか。すごく困っていてどの程度自分が変わりたいか。そのためにできる限り努力していくというのがないと。なんとなくやって、なんとなくよくなるものじゃないんですよ。それがあなたがどこまでやれるか。やりたいか、というものだと思うんですね」

そして発達障害向けのカウンセリングをするとなると、県内ではなく、埼玉まで行ってもらわないといけない、もしくは東京、ということだった。

「要はあなたがどこまでやりたいか、ですよね」と医師は言った。

結局僕に判断は委ねられることになった。僕はカウンセリングをすることを諦めた。僕は自分自身でなんとかすると思った。もう東京まで通うなんて馬鹿らしい。僕は早く「割線」を完成させなければならない。それでしか治療はできないだ。

「専門に特化したカウンセリングとなると、やはり東京の方まで行かないと。ただあなたがどこまでやりたいか。東京まで行くのも大変だと思うし、それに耐えられるかどうか」と言われ、僕はもう辟易していた。

「あなたはどうしたいですか?」と僕に聞かれた。

「まだ答えがでないです」と僕は相手に聞き取れるかわからないような小さい声でボソッと言った。もう僕はどうでもよかった!くそったれ!僕はとにかく小説を完成させなければならないのだ。強迫的に本を読んで、強迫的に文を書くことしか僕にはできない。


僕は、その時、十九の頃に起きたある一件を思い出していた。父方の叔父叔母が住んでいる横浜市瀬谷区の団地で、家族や親戚達と計十五人で集まって、夕食を食べて、皆が談笑している中で、僕は言葉を交わせずにいた。そして急に圧迫感がしだし、僕はその場でいきなり「さよなら」とつぶやき、いきなり玄関のドアを開けて発作的に外に飛び出したことがあった。携帯電話も財布も持たず、メガネもかけず、ただズボンのポケットにその時読んでいた「カラマーゾフの兄弟」の中巻だけを突っ込んで携帯していた。四階の階段から駆け下り、ひたすら走り、とにかく無我夢中で遠くまで行こうと思った。「そこに僕の居場所はないから、僕はそこを飛び出したまでだ。去ったまでだ」と走りながら言った。途中から走るのをやめ、西に向かって歩いていると、坂があり、暗闇の坂を霞んでいるオレンジ色の電灯が照らしているのが見えた。僕はその光景それに魅せられた。そこを登って行ったら、誰かに会えるかもしれないという期待、もしそれが起こったら、僕の「飢え」というものをたちまち解氷し、癒してくれるだろうと思った。その時、読んでいたコミックの難聴の少女を僕は想像した。だが、坂を登りきったところで誰もいなかった。僕はどうしても「人物」が欲しかった。誰かにその頂上で会えたらそこから何かが始まるはずで、僕の飛び出してきたことに文学的な属性が付与されるはずだった。しかし、誰もいない坂の上で僕はただただ納得するだけだった。誰もいない。それから、また歩き始め、マンホールの水の音を聞いた。しばらく住宅街を歩いていると、やがて大和駅に着いた。そこには警察署があり、僕はこのまま一人で団地に帰れるとは思っていなかったので、警察署の人に相談しようとした。その時、駅周辺にあるパチンコ屋に入った。パチンコ屋に入るのは初めてだった。店内の騒音を初めて聞き、台の前に座っている人物たちを僕は眺めた。またレンタルビデオ店にも入った。僕はそこでさっき言及したコミックがあったので、手に取った。その表紙で微笑んでいる人物、少女をまじまじと見た。僕はその作品に対してこれから別の印象を抱くようになるだろうとその時漠然と思った。僕はレンタルビデオ店を出ると、それから腹をすかせていたのでスーパーに入った。金は一円も所持していなかったが、今なら万引きできると思った。だが僕はやらなかった。なぜか、先ほどのコミックの聾唖の少女が、その時ちらつき、万引きをすることが後ろめたく思われた。そして、僕はまたあの坂の上に行きたくなった。外は寒々としていた。その少女はその寒さと暗さに身を縮ませて、震えているかもしれないと僕は思った。しかし、着いてみると、やはり誰もいなかった。色濃くうつる自分の影だけがあった。僕はしばらく待ってみた。一時間以上は待ったろう。だけど誰も現れなかった。僕は表情を濁らせ、団地に戻ることにした。戻ることができたとき、父が僕を探しに外に出ていることを知った。だが僕は冷静で、出ていったことに関して、謝ろうともしなかった。母が父に僕が帰ってきたことを電話で伝えた。親戚の人たちはもうすでに帰っていたが、心配しているみたいだった。僕はその時、自分に非があるとはどうしても思えなかった。僕は自分を正当化しようと絶えず言葉を吐き散らした。その時、叔母に言われた。「あなたは愛されて育てられてきたんだよ」

僕は愛されて育てられてきた。確かにそうだった。だがその時、僕は「そんなの美辞麗句だろう」と覚えたての言葉を返した。


僕は家族に愛されてきた。僕という存在をいつも引き受けてくれた。だけど、僕は今、強迫性障害や、発達障害などと診断され、それを家族は引き受けることができるか。だが、できたとしても、その引き受けるという行為は何の役にも立たないとこの時はっきりと僕は悟った。なぜなら家族は僕のことを普通だと思っているから。それが引き受ける、愛するということだった。だから僕は逸脱しなければならないということだ。


僕はその、十九の頃の一件以来、何かがずっと破綻し続けているような気がしてきた。僕は存在を感受されたとしても、それは彼らにとっての僕であり、僕自身ではない。僕の腹の中は、決して見えることがないんだと思った。

僕はその病院を出た後、市の図書館に発達障害の本などを借りに行った。その本を借りてきたのを母が見ると、母は「あんたは普通だと思ってっから」と言った。それは愛情からくる言葉かもしれないが、もし僕が脳機能障害だとしてもそこは決して認めてはもらえないんだと思った。「普通」だと思われていることが僕を普通にさせてくれない。その診断については、父親は特に何も言わず沈黙していた。ただ何かあったら言ってくれと言うだけだった。日常の違和感は決して氷解することがなかった。やはり僕は病気なんだろうか。そういう思いが募る日々だった。


「僕にはとにかく人物が必要だ」


もう僕は自分のことなんて書きたくなかった。ストーリーテラーでありたい。ねちねちと自分の現実を語るのは小説家ではないと僕は思われた。

何かを語るなら、作中の人物にそれを託すべきであり、モノローグに終始してはならない。これにて終わりにしたい!早く「割線」を書いて、吐き出して、清算し、次の小説に移行したい!僕はもっとのびのびとするべきなんだ。そのための健やかなるエネルギーとしての小説!自分のことを語らなくなるための小説!自閉的でない小説!いや、そうであってもいいのだが、僕は交流がしたい。そのための小説!小説を書いたという小説!とにかく吐き出せ!そして、そして、僕はどうする?経験の最中に身を委ねるべきだ。いや、しかし、本当のところ僕はどうしたらいいかまるで見当がつかない!深夜、自殺した自分がすぐそこにいるような感じがすることがある。想像上の自分が死んでいる。でもそれは生きているということなんだろうな。とにかく、僕は他人との新たな関係を構築したいんだ。それも電子の中でではなく、生身の人間とのふれあい。疲れてしまう?いや、時折そういう機会が巡ってこなければもはや僕は人生を人生とは呼びたくない。


僕は昼間の生活がひどく苦痛でならない。そこで何かをする必要というものを感じ、夜は執筆に当てるという生活にしようか。本を読むが、矮小化されてしまっている。

そう、そう。こういう人間はごく少数派な気がしてならない。

創作原理主義になりたい。全く持って創作というものが楽しめない。それを払拭するには、抑圧に対して食らいついていく必要があると思う。


僕は自分自身のことを語ること、そこから逃避する。寝逃げする。うん、僕は大学に行って、フィリップ・ソレルスの研究でもすればよかったのではないか、なぜ僕は大学を放擲したのだろう。嫌人症。他人と僕は違うということの表現。強制的な装置への憤怒。寂寞とした時間による不安。


また逃げるのか、塞ぎ込み、しかし、やりたくないことをやらなければならない。

僕は整理能力というものが異様なくらいにない。これは自覚している。安定的になることができない、画面には他人の行動が映し出され、僕もそれをしたいという気持ちにかられる。それは強い焦燥となり、安住し得なくさせる。例えば、他人がネットの生放送でゲームをしていたら、僕もゲームをプレイしたくなる。見ているだけだと、欠乏感が埋まらない。僕もそれをしなければならぬ。他人が音楽を作っていたら、僕も音楽を作らなければならぬと思うようになる。そういうものが暴発しそうなほどに現前しているのであり、自分のやるべきことというのがわからなくなる。やりたいと思うことだけが膨れ上がり、それにかんしての知識も全く持ち合わせていず、それを実行できるかわからぬという不安に掴まれる。

逃げるな。今、僕は逃げそうになった。布団に横になるところを想像した。だが僕は今逃げたら、この流れるような文章が滞ってしまうし、僕は昼間という時間帯が一番苦痛なのだ。他人は仕事をしているが、僕は惰性で本を読むくらいしかできない。文章を書くことは、他人の目に見えない行動によって、崩される。僕は書いてしまって、書いてしまってから、発生する自分の思いというのが真正であるというような感じがする。書き終えてから、僕がその作品について抱くもの。それはその作品を絶えず新たに生成させる。それが変化ということなのだろうか。僕は日々において、何回も同じ文章を書き連ねている。僕はそれに終止符をうちたい。それは形象化すること。何がなんでも作品として完成させることだ。逃げてしまうわけにはいかない。絶えず左右に揺れている思考。これは書くのが辛いけれども僕はこれからも作品というものを増産し続けなくてはならない。そのことを想像すると、こんな稚拙な、登場人物が一人しか出てこない小説に時間をかけてなどいられないんだ!僕は人と人との関係性というものが想像しにくい。これは病気の症状だと思うんだけど…。私は夢の中で小説を織りなさなければならない。


どうか僕という、僕だけの日々から僕を抜け出させてください。そして、人物を僕に授けてください。それを行うための作品です。進乃!まず君と!


変な夢を見た。いきなり暴走する鳥。布を被せても絶えず動き回り、鳴き続ける。なんで鳴いているのかわからない!言ってくれなきゅあ!そのとき、いきなり暗闇の中に光が生じた。僕は始まった、と思った。明晰夢の本に「光は意識の自然なシンボル。明晰な思考や意思の強さの現れ」と書いてあるのを読んでいたので、僕はついに入ったのだとその時思った。疎通できないと思えていた夢の壁の塀を貫通し、僕は精神世界へと入って行く。

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