第2話 もの言わぬ彼女の眼差し
連れていけと言われはしたが、まさか、メルと一緒に暮らすことになるとは。
「よろしく」
ブルーの目で見つめられると、もう沈黙するしかない。
確かに僕は下宿生なので、親の目は関係ない。1人暮らしのアパートに2人住んでいるのを管理人が咎めさえしなければ、別に問題はなかった。
嫌も応もない。
「……こちらこそ」
老人の出した条件は、ただひとつ。
《メルの歌は、その願いを叶える力がある。だが、あと1ヵ月の間、歌わせてはならない》
そんなことはなんでもなかった。
本当の名前は、メル・アイヴィーというらしい。銀色の髪とブルーの瞳、口数の少ない所も考え合わせると、日本人ではないのだろう。
だが、その素性は彼女の口から語られない。ただ、分かったことは1つだけあった。
数日後。
アルバイトについてくるようになったメルは、やりもしないゲーム機の前にちょこんと座っていた。ブルーの瞳がじっと見つめているのが分かる。
それを感じると、僕は大事な話の最中でもしどろもどろになった。
「まあ、長谷尾君がシフト増やすのはいいんだけど」
そう言う店長の歯切れも悪い。アルバイトがもう1人いるからだ。
「あ、アタシは別にいいんです」
そう言われて、僕は曖昧に微笑むメルの顔を見た。
ブルーの瞳にたしなめられたようで、胸が痛む。板野さんはつらい事情を抱えているのだ。
情にもろい店長が、おずおずと僕に言った。
「星美ちゃんが困るでしょうに」
母子家庭で、生活は結構苦しいらしい。それでも、無理して遠くの中高一貫の私学に編入したのは、中学でいじめに遭ったからだ。
しかし、板野さんは健気に言った。
「いいんです、学校さえ通えれば」
もともとは、このアルバイトも修学旅行の資金稼ぎだったはずだ。
だが、いちばん胸が痛むのは、僕の良心がうずいたからだ。
メルの表情が気になって目を遣ると、ついと席を立つところだった。
「すみません、ちょっと休憩ください」
店長の返事も聞かないで、僕はメルの後を追った。
例のフードコートで、僕はまたメルと差し向かいでプリンを食べた。
といっても、ああいう話を聞いた後では、食欲が湧かない。実は、僕には板野さんを救う手段があった。それを使うか使うまいか、僕は悩んでいた。
黙々とスプーンを口に運んでいたメルが、不意に口を開く。
「その……プリン、もらっていい?」
「どうぞ」
自分のを既に平らげたメルは、僕の皿を手元に引き寄せた。
そう、可愛い顔して、よく食べるのだ。この、メルという娘は。一緒に暮らすとなると、食費もかかる。
僕が通っているのは公立だから授業料はかからないものの、親からの仕送りの一切は止まっていた。e-スポーツのプロになるのを反対されているからだ。だから僕は、あちこちの大会に出て、何度も優勝してみせている。
その傍らで貯めた専門学校進学資金が、12万円。ちょうど、板野さんの修学旅行費用に当たる。
「ごちそうさま」
それだけ言って、メルは食器を返しに行く。その言葉が非難に聞こえた。
……僕のやっていることは、板野さんに比べたら、かなり温い。
そう言われた気がしたのだった。
「ちょっと、よろしいですか?」
いきなり声をかけられて、僕はびくっとした。あの老人かと思ったのだ。
だが、目の前にいたのはスーツ姿の朗らかな青年だった。
「長谷尾英輔さんですね? お願いしたいことがあるんですが」
メルのほうを振り向いてみると、その姿はどこにも見えなかった。
その青年も、強かった。名を、佐藤一郎という。
対戦型ゲーム「リタレスティック・バウト」の開発元は、巨大コングロマリット「イクスリストプリュ」である。
その開発部門の1人だという平凡な名前の持ち主が唸った。
「やりますね」
ゲームセンターの大画面では、佐藤の操るフランスの銃士隊長ダルタニャンが、同じガスコーニュ出身のシラノ・ド・ベルジュラックと剣を交えていた。
「
シラノの連続剣を跳ね返す突進をかわすのは、難しいけど不可能じゃない。
ましてや、メルに歌ってもらうことなんか。
「
ダルタニャンの頭上から、剣を逆さにシラノが降ってくる。この不意打ちで、勝負はついた。
佐藤が手を差し出す。
「たいした腕です。プロになった暁には、ぜひスポンサーに」
期待していた一言だった。手を握り返したが、そのとき、佐藤は意外な名前を口にした。
「メル・アイヴィーさんによろしく」
ゲームセンターを出ていった佐藤と一足違いで、メルが戻ってきた。
ブルーの瞳が僕を見つめている。怒りと悲しみに満ちたその眼差しに、背筋がぞっと凍った。
……何で? ゲームやってただけなのに?
そこで思い出したのは、さっき感じた非難だった。
……決めた!
僕は衝動的に店長へと歩み寄る。板野さんは休憩を取っていて、いない。
だが、申し出は断られた。
「だって、板野さんの問題でしょう、これは」
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