ハセオ草子!

兵藤晴佳

第1話 歌姫と魔界の老人

 岐阜県本巣市のショッピングモールに、最近できたゲームセンターがある。

 その名は「フェニックスゲート」。

 大手のゲーム会社が経営しているけど、そこもまた巨大資本「イクスリストプリュ」の傘下にある。

 小さいものは梅仁丹、大きなものは月に届く軌道エレベーター(企画段階らしいが)まで手掛けようかという世界的コングロマリットだ。

 けど、それは今のところ、僕には関係ない。 

 いつか僕……長谷尾はせお英輔えいすけの前に、そこの代理人が金額の書かれてない契約金の小切手を手に現れる。

 お望みの額をどうぞ、と。

 そのくらい、僕は真剣だ。このe-スポーツってやつに。

 エレクトロニック・スポーツ、略してe-スポーツ。簡単に言えば、スポーツ化した対戦型コンピューターゲームだ。プロだっている。

 だけど、僕はまだ「フェニックスゲート」のアルバイトだ。しかも、今、僕は根本的な挫折を味わったところだった。


「どうぞ」

 休憩時間にフードコートで、プリンを奢る。

 窓の向こうに、遠く夏休みの碧い山脈。

 銀髪ロングに白いリボンの編み込んだ髪が微かに揺れて、「ありがとう」の声が微かに聞こえた。

 テーブルの向かいに座ると、白いワンピースを着た女の子が、じっと見つめている。

 ブルーの、きれいな瞳だ。

 見たところ、年は高校生くらい。白い肌に、首の黒いチョーカーが映えている。

 どう見ても、僕を対戦型ゲーム「リタレスティック・バウト」で叩きのめした、あのテクニックの持ち主には見えない。

 彼女が黙々と口に運ぶプリンは、その負けの代償だ。

「行きましょう、メル」

 バイオリンの粘りつくような旋律を思わせる声が、僕たちの間の沈黙を破った。

 灰色のジャケットに水色のスラックスという涼しげな姿の老人が、ソフト帽を胸に見下ろしていた。

 メルと呼ばれた女の子は、返事もしない。プリンを静かに食べ続けている。

「来なさい」 

 老人は低い声で命じる。女の子は空にしたプリンの皿を、さっさとセルフサービスのカウンターへ持って行く。

 その気持ちはよく分かった。上からものを言われるのは、嫌いだ。

「ちょっと待ってあげてくれませんか、今は僕のお客なんです」

 それでも、高齢者には礼儀正しくするのが僕のやり方だ。このお年寄りもまた、慇懃に答えた。

「私たちも時間がないのですが、そこまでおっしゃるなら……」

 その老人のまなざしは、モールの空調なんか問題にならないほどゾッときた。

「その時間、戦い取ってみますか?」

 不思議な一言が、この夏の僕の運命を決めた。


 この老人は、名作文学のヒーローたちによる対戦ゲーム「リタレスティック・ボウル」でもなかなかの使い手だった。

 一進一退の勝負に、試合を移す大画面には人だかりができている。

 バイトそっちのけでゲームやっても店長が知らん顔してくれるのは、こういうわけなのだが……。

 勝負は、3本中の1対1。しかも2本目は、どちらも体力ゲージが見えなくなっていた。

 この老人、信じられないくらい強いのだった。

 侮れないと体で感じて、3本目が始まって間もなく、僕は速攻を掛けた。だけど、この爺さんも負けてはいない。

 僕が操るフランスの剣豪詩人シラノ・ド・ベルジュラックの剣を、自分の髪を掴んだドイツの「ほら男爵」ミュンヒハウゼンは、自分の身体を高々と持ち上げてかわす。

 ……かと思うと、突然現れた大砲の弾に乗って飛んでくる!

 回避と必殺技の鮮やかな連続を見せたそのとき、老人が一瞬、僕に顔を向けた。

 目が、真っ赤に燃えている。まるで、悪魔か魔神のように。

 一瞬、恐怖で指先ばかりか、身体までが凍りついた。

 ……負ける!

 そう思ったときだ。

 澄み渡る歌声が、ゲームセンターの騒音を鎮め、濁った空気を浄化したような気がした。

 

  挫けたとき

  それは一瞬

  悠久の時の

  はかない波紋


 青空の下の高原で、爽やかな風に吹かれているような気がする。

 ……負けられない! 負けるわけがない!

 そんな気がしたとき、僕の頭の中に火花が走った。指先に力が戻り、コントローラーにコマンドを叩きこむ。

 僕の思いが、シラノの声となって響き渡る。

コンバタントル・サン・ぺルソンヌ百人相手の決闘!」

 流星の如く繰り出された剣先が巨大な砲弾を粉砕し、「ほら男爵」を吹き飛ばした。

 ゲームセンター中に歓声と拍手が響き渡る。愛想笑いで賞賛に答えながら振り向くと、そこにはあの銀色の髪を持つ白いワンピースの女の子、メルが曖昧な笑顔を見せて立ち尽くしていた。

 老人が対戦者のシートから立ち上がる。プロを目指すものとしての礼儀で、僕は握手を求めた。

 でも、伸ばされた相手の腕を見て、身体が一歩退くのを感じた。確かに、瑞々しくはないのが当然だけど、そこにはただの人間とは違う、獣じみた何かがあった。

 しかも、しっかりと握り返してきた掌は、炭火でも押し付けてきたかのように熱かった。

 地獄の底から響くような声で、老人は僕に告げた。

「いいだろう、連れていけ。だが……」

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