潮風のKISS

東風 吹葉

第1話 初めてのツーリング

 昭和58年夏。

 御前崎に向かう国道150線はアスファルトから立ち上る陽炎で、バイザー越しに見える景色も歪んでいた。

 高校生の達也は中型自動二輪の免許を取得して、初めてのツーリングにバイク仲間の先輩たちと、静岡県の最南端に向けての遠出だ。

 達也の高校は工業高校であり、遠くから通学する生徒もいる事や、静岡県と言う立地から製造業への意識を持って貰おうという事で、校則では小型自動二輪までの免許取得は認められている。

 達也も16歳になり、通学という点からバイクの免許を取った。交通の便が悪い事もあり、両親も通学ならと原付を買ってくれたが、達也はバイトと親の援助で直ぐに小型自動二輪の免許を取得、高校3年生で中型免許を取得した。

 バイクに乗っていると友人である信二の兄貴たちとも交流が出来、信二と一緒に信二の兄である真一がリーダーを務めるクラブの一員となった。

 達也自身も暴走族は嫌っており、真一の兄たちもそれぞれが仕事に就いていることもあって、ツーリングクラブも正当なクラブだった。


「今度、御前崎までツーリングに行こうと思っているけど、お前たちも行かないか?」

 リーダーの真一にそう言われたのは、梅雨が明けて直ぐだ。

 真一たちクラブのメンバーは当時、自動車学校で取得できる中型免許と運転できる制限いっぱいの400ccのバイクに乗っている。

 達也と信二は中型免許を取得し、達也は親に頼んで中古の400ccバイクを購入したばかりだ。

 ヤマハXJ400、これが達也のバイクだ。だが、信二は親が金を出してくれなかったので兄に泣きついたが、就職してそんなに時間が経っていない兄では、信二のバイクの費用を出してやれる所得はなかった。なので、信二は中古で買って貰ったホンダCB125が愛車だ。


「達也はいいよなー、400で。俺も中型が欲しいぜ」

 ツーリングの集合場所に来た信二は、達也に向かってそう言った。

 そう言われた達也だが、出来れば新車が欲しかった。しかし、さすがに新車は高く、通学という名目では親もそこまで出してくれない。

 それでも、達也はXJ400での遠出は今日が最初だ。

「お前たちはツーリング初心者だし、信二は125だからな。だから、お前たちが先頭を走れ。俺たちはお前たちに合わせて走るから」

 リーダーの真一がそう言ってくれた。

 ツーリングに行くメンバーは、いかにもバイクが好きといったメンバーで、全員が磨かれた400ccのバイクと黒のライダースーツを着ている。

「あれじゃ、今日は暑いだろうな」

 達也はそう思ったが、バイクに跨ると一体感があって格好いい。しかも黒のブーツに黒の皮手袋といったいで立ちだ。

 それが集団で走るとなると、弥が上にも目を引く。

 しかし、達也と信二にはそんな金はないので、近くのホームセンターで購入した紺のツナギにスニーカーという格好だ。

 それが先頭を走るので、恥さらしに会っている感じがするが、初心者に合わせて走るというのは達也たちを思っての事だろうから、文句は言えないし、実際、金が無いので仕方がない。


「ごめん、待った?」

 女性の声がした。そちらを向くと、125ccのバイクに跨り、フルフェイスから長い髪を出したライダーが居た。

「遅いぞ、裕子」

「女性は、出かけるのに時間がかかるのよ」

 裕子と呼ばれた女性はそう言いながら、ヘルメットを脱ぐが高校生の達也と信二から見ると、いかにも大人の女性を感じさせる化粧した顔があった。

「へー、君たちが真くんの弟とその友人かー、で、どっちが弟さんなの?」

「こっが弟の信二で、こっちが友人の達也くんだ」

 達也は裕子と呼ばれたその女性に対して、頭を下げた。見ると横の信二も頭を下げている。

「よろしく、お願います」

「あら、こちらこそよろしく」

「今日は、こいつらの初めてのツーリングなんだ。なので、先頭はこの二人に任せて、裕子はその後ろについてくれ。125だと、どうしても馬力がないからな」

 裕子と呼ばれた女性は、信二と同じホンダCB125だ。

「分かったわ。それであのCBは?」

 誰のバイクかと、所有者を聞いているのだろう。

「あっ、僕のです」

「えっと、確か信二くんだっけ。真くんの弟さんの方」

「ええ、そうです」

 信二は裕子に聞かれて、いつもと違うテンションで答えているのを見ると、達也は可笑しくて笑ってしまいそうだ。

 だが、それも仕方ない。工業高校と言えば男子ばかりで、女性と話をするのは、母親か姉か妹ぐらいしかいない。

 肉親でない大人の女性と話すのは緊張するのが、理解できるというものだ。

「それで、達也くんだっけ、君のバイクは?」

「ぼ、僕のはこれです」

 達也はXJ400を指差した。信二の事を笑ったが、自分でも緊張しているのが分かり、それがまた可笑しくなってしまう。

「へー、400か、いいなー。私も早く中型に合格したいな」

「裕子、また落ちたんだろう」

「もう、それは秘密だって」

 メンバーの一人が、言って来た言葉に裕子が反論した。

「何回目だ?」

「2回目、次は大丈夫だって」

「ははは、ところで、真一の方はどうなんだ?」

「まだ5回目だな。気を長く持ってやるさ」

 真一は限定解除の試験を受けているが、合格していない。

 この時代、自動車学校で取れる自動二輪免許は中型までで、それ以上の免許を取得しようと思うと、直接運転試験場に行って合格しなければならない。

 だが、この試験は難関と言われ、合格率は10%以下と言われている。

 もし、合格したら、バイク乗りからは神の如く崇められる。

 なので、街を走るバイクのほとんど400cc以下のバイクばかりだ。

「よし、出発!」

 真一の言葉と共に、総勢7台のバイクが静岡県最南端の御前崎に向け、国道150号線を走り出した。


 11時になろうかという時、赤信号で車列が停止する。

 日曜日ではあるが、意外と車は少なく、どちらかというと走り易い。だが、赤信号で止まるとアスファルトから立ち上る陽炎が示すとおり、灼熱になる。

 特に、ライダースーツを着ているメンバーは堪らないだろう。

 達也は作業用ツナギのため、まだ涼しいほうだが、それでもムッとする熱気がヘルメットの中に入ってくる。

 青になって走ってしまえば多少は風も入ってくるので涼しいが、それでも太陽は容赦なく照りつける。

 何度目の赤信号だろう。目の前の停止線も溶けているんじゃないだろうか?そんな事を思っていると、信号が青に変わった。

 達也は、クラッチを繋ぎバイクを発進させた。ここから見える限りは信号はないし、直線が続くので、多少は涼しいだろう。

 そう、思っていると、後ろからバイクが近づく音がした。

 誰か前に出るのだろうか?

 用事が出来た者が先頭に出て、サインを送る事で、休憩する事に決めてある。

 だが、そうではなかった。

 先頭を走る達也の横を銀色に輝くそのバイクが、華麗に抜いていった。

 しかも、それに乗るライダーは短パンにTシャツ、足にはスニーカーを履き、手はグローブもしていない。

 ヘルメットはバイザーはあったが、フルフェイスではない。


「あれは『カタナ』だ」

 スズキGSX750S、カタナと呼ばれるバイクで、人気が高い。

 しかし、世の中の大半のライダーは中型免許しかないので、大型免許でしか乗れない大型バイクに乗るライダーは、それこそ珍しい存在だ。

 もちろん、達也もカタナには憧れる。だが、中型免許を取ったばかりで、大型免許は夢のまた夢の状況であり、カタナ自体は価格も高く、高校生が直ぐに買えるバイクではない。

 だが、横を抜いて行ったカタナはそのシルバーの車体も美しかったが、乗っているライダーも普段着といった格好で、さりげない恰好良さがある。

 ライダースーツでバイクに跨る姿もいいが、短パン・Tシャツで750に乗る姿もカッコいい。

 今の達也は紺のツナギであり、自分が一番カッコ悪いと思ってしまう。

 真一が前に出て、右に曲がるジャスチャーをした。次の交差点を右折らしい。

 真一が再び後方に下がると同時に、交差点を右折し砂浜の中を走っているような道路に出た。

 景色だけだと、日本ではないような印象を受ける。わずかに覗いた肌に当たる潮風が心地良い。

 20分程走ると、右手に海が見える海岸線になり、そのうち、先端にあるホテルの駐車場にバイクを入れた。

 駐車場を見ると達也たち以外にもバイクの集団が居た。ナンバーを見ると静岡ナンバーなので、ここより東の方から来たのだろう。

 達也たちのバイクは浜松ナンバーであり、ここは静岡県のライダーの集う場所になっている。


 真一たちはライダースーツを脱いで下に着ていたTシャツ姿になっている。

 見ると、他の集団も同じような恰好になっている。

「真一、あのカタナを見たか?」

 メンバーの一人が聞いて来た。やはり、追い越して行ったカタナの事が気になっているのだろう。

「ああ、あれは1100の方だ。ハンドルがセパハンになっていたし、横に1100とあった」

「何、1100だと」

 カタナには外国仕様の1100がある、というより、本来、外国用に開発したのが1100であって、日本仕様の750はどちらかというと、国内仕様に750として販売したものだ。

 達也だって、それぐらいの事は知っている。

 だが、1100ccとなると逆輸入車であり、その価格は国内仕様の750ccの倍ほどもするだろう。

 今の達也にとって、免許でも金でも手が出ない、憧れの存在でしかない。

 しかし、憧れの存在は達也だけではない。真一にとってもカタナ1100は憧れの存在だし、他のライダーだって同様だろう。

「世の中には凄い奴がいるもんだな」

「だが、あのライダーの格好を見たか。Tシャツに短パン、それにスニーカーだぞ。1100を乗る格好じゃない」

「だが、違反ではない。俺は、このくそ暑い中、ライダースーツを着ている自分がつくづく嫌になった。

 400でカッコ決めて乗るより、大型にTシャツの方がカッコいいじゃねえか」

「啓太郎、お前は、あんな暴走族のようなバイク乗りを認めようというのか?」

 真一は啓太郎と呼んだ男性に向かって、少々キツイ言葉で言った。

「何を大げさな事を言っている。カタナ1100にTシャツだぞ。俺はカッコいいと思ったね」

 達也も、この啓太郎と呼ばれた男性と同意見だ。だが、真一はそんなバイク乗りを認めたくないらしい。

「まあまあ、バイクに乗ればどっちでもいいじゃない」

 仲介に入ったのは裕子さんだった。彼女もライダースーツでなく、Gパンに皮ジャンパーといったいで立ちだ。

 裕子が仲介に入った事で、真一と啓太郎は離れた。裕子がどちらかの彼女なのかは知らないが、綺麗な裕子の言う事はここでは絶対らしい。


「なあ、あの裕子さんって、お前の兄さんの彼女なのか?」

「あっ、いや、聞いてない」

 信二もどうかは、知らないようだ。

 まさか、裕子自身に「誰の彼女ですか?」と、聞く訳にもいかない。


 そんな中、一台のバイクが駐車場に入って来た。

 シルバーに輝くそのバイクと、それを操っているライダーはTシャツに短パンだ。

 それは、紛れもなく、ここに来る途中で追い越して行ったスズキGSX1100Sカタナだ。

 先程、追い抜いて行ったカタナだが、どこかに寄って来たのだろう。

「おい、あれ」

 誰が言う事もなく、カタナを指差している。

 当然、達也たちもその行方を見ていた。

 カタナは駐車場に停車すると、乗っていたライダーはシートから降りた。

 身体を見ると背はそんなに高くないし、身体の線も細い感じがする。だが、筋肉質なその身体は辛うじて男性である事が分かるが、女性だと言っても信じて貰えるような身体つきだ。

 降りたライダーはカタナの横に立っていたが、「えいっ」という感じでセンタースタンドをかけた。

「おっ、センターをかけやがった」

 啓太郎も思わず言ってしまったに違いない。

 1100ccもある大型バイクは当然重い。なので、センタースタンドをかけるのは至難の業だ。

 それを華奢と言っても良い男が、センタースタンドをかけたのだから、驚かれるのも無理はない。

 真一はそれを黙って見ている。

 カタナにセンタースタンドをかけると、ヘルメットを外す事なく、自販機に近寄り、缶ジュースを購入し、バイザーを上に上げて一気に飲み干している。

 その姿は、やはり男の動作そのものだ。

 ジュースを飲む男性は見るからに若そうで、達也とそう年齢も変わらないみたいだ。

 そんな若い男が大型免許に受かったのは信じられないが、カタナに乗っている以上は、試験に合格したのだろう。

 ジュースを飲み終わった男は、バイザーを降ろし、再びカタナの方に歩いて行くが、その前に立ちはだかったのは真一だった。

「ちょっと、すまない。これは君のカタナか?」

「……?ああ、そうだけど」

 いきなり話しかけられて、その男は不意打ちを喰らったように感じたのだろう。

「大型を持っているのか?」

 年が若そうなので、当然の疑問だ。

「大型じゃない。限定解除だ」

 その男の言う通りだ。免許では自動二輪となっており、免許証には「中型に限る」と書いてある。試験場で合格すれば、免許証の裏に「限定解除」の印を押して貰えるので、限定解除という事になる。

「そ、そうだな。それと、あのカタナは1100なのか、そうだとすると逆輸入車ということになるが、そうなのか?」

「それについては、詳しくは言えないが、あれは確かに1100だ」

「そんな大型バイクに乗るのが、そんな短パン、Tシャツでいいのか。もし、転倒した時の事を考えて、ライダースーツを着用すべきではないのか?」

「こんな、夏の暑い日に、そんなの着ていられない。Tシャツの方が涼しくていいじゃないか」

「バイク好きなら、万が一の事も考えるべきだろう」

「俺は別にバイクは好きじゃない。あんたは好きなのか?」

「あ、ああ、俺はバイクが好きだ」

「バイクが、好きだと公言するやつに限って事故るからな。あんたも気を付けた方がいい」

「俺はそんなに下手じゃない。大型を持っているからと言って、上手とは言えないだろう。第一、何回目で取ったんだ?」

「えっ、一回目だけど」

「え、えっ、一回目、……」

「そんな、何度も行かないだろう。5回ぐらい行ってダメなら、技術が無いと思って、きっぱり諦めるべきだな」

 限定解除の試験に挑んでいる真一にとっては屈辱的な言い方だが、それでも一回目で限定解除に合格した事に驚きを隠せない。

 限定解除の試験なんて10回以上受験している人はザラだ。それこそ、10回以下で合格したら、それだけで尊敬の対象になってしまう。

 男は、センタースタンドから車体を降ろすと、カタナに跨った。

「キュル、ルン、ドウン」

 セルの回る音がしたかと思うと、1100ccのエンジンが唸りを上げた。

「ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ]

 低く、腹に響く重低音が周りに響く。

 その若い男は、カタナを駐車場の出口から静岡方面に向かって発進させた。

「くっ」

 真一は右手を握っていた。それは、5回目までに限定解除の試験に受からなかった事を言われたためか、それとも、自分より若いと思われる男がカタナ1100を乗っている事なのか、そのどちらなのか、いずれにせよ、自他共に認めるバイク好きの顔に泥を塗られたと思っているだろう。

 達也も今の真一の気持ちは、理解出来た。


「真一」

「……」

 啓太郎が声をかけるが、真一は何も言わない。

「真くん」

「あ、ああ」

 裕子が声をかけると、今度は絞り出すような声で答えた。

 達也はその事から、裕子の気持ちは分からないが、真一は裕子の事が好きなんだと直感した。

「この先の喫茶店でランチにして、それから帰ろう」

 真一が言って来たが、時計は丁度お昼を指している。

 この時代、ファミリーレストランの数は多くないし、休日にしか観光客の来ない御前崎周辺には気の利いた食事処はない。

 その代わりに、喫茶店がランチを提供している。

 真一のグループは喫茶店に入り、各々が食事を頼んだ。

「信二と達也くんは俺が奢ってやる」

 真一はそう言った。高校生の達也からすれば、ランチでも1000円近くするので、とても助かる申し出だ。

「ありがとうございます」

 達也は真一に頭を下げた。


 食事が済むと自宅のある、浜松に向けて出発することになる。

「また、ライダースーツを着ると思うと、気持ちが萎えるな」

 啓太郎が言うが、これから最高気温を記録するであろう外気温の中に、ライダースーツはたしかにキツイ。

「ならば、上だけでも脱いで、Tシャツでいいんじゃないですか?」

 達也が啓太郎に言う。

「おっ、達也くん、ナイスアイディア。それ、いただき」

 啓太郎は、ツナギの上を脱いでTシャツ姿になると、上着を腰に巻いた。

「啓太郎、それじゃ転倒した時に怪我するぞ。ちゃんと着ろ」

 真一が啓太郎に言うが、啓太郎は知らんぷりだ。

 真一もこれ以上言うと雰囲気が悪くなると思ったのか、それからは何も言わなかった。

 結局、啓太郎だけが上着を脱いで、バイクに跨って帰路についた。

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