干し柿の荷札

韮崎旭

干し柿の荷札

 サムソンとデリラが折りたたまれて段ボールに押し込まれていた。書状には(書状が添えられていたのだ、この荷物。もしくは、書状が荷物であった)「干し柿を送ります。今季は豊作で余ったので、価格調整のため。」と。原油か。それから湿った柔らかい干し柿を棚の2番目の隅にぞうきんのように押し込んだ。なぜって、ぞうきんのような感触だったよ。それは。だから私はそうしたのさ。別にサリンジャーを読んでいたわけでもないのに、自己同一性の論拠に大穴があったような、そんな気分で、ひどく今日は空疎だ。私は枯れ木か何かなのかもしれない。私は、しばしば用いられている認証である一方で、斎藤はよく見かける姓ではあるが、よく見かけないせいといったところでなにもなかったから、悲しさが。悲しいのかどうかもわからないまま、文章上の不具合が爆発的に増えるのを見過ごしていて、それのために大変行き場のない怒りを感じた。こんな益体もないことをしないで消滅するべきだった。(でも、粗大ごみの回収は月に一度、第三火曜日のみ、毎回その日に限って起きられない。前の晩にやたら酒を飲んでそれで眠れなくなるからと何らかのその辺に転がっている医薬品をやはり何らかのその辺に転がっている飲料で服用していたからに違いない。だが、それをやめたところでなんになる? そうだろ? この「そうだろ」のような不必要な間投詞ばかりで息を継いで生きているような人間が山積する折に詰め込まれて死にそうになって帰ってくる。生産性が上がらないと苦情を言われる。そこの人間3割に減らしてくれたら私の頭痛も3割くらいなら減るので、生産性がその分、1割くらい上がっている可能性はありますが、という言葉を飲み込んで空想の中でその苦情をいってきた人間を繰り返し撲殺する。脳裏のシアターで私は獄卒だから、その辺の人間を蘇生することなんてわけがない。致死的な傷害を繰り返し、与えることができる。学習能力は奪う。したがって受け取り続けた傷害が致死的なレベルに達したあたりでその人間が安堵の表情を浮かべるが、私はそれを見逃さない。即座に殺してやるが、再度同様の苦役を経てもらう。別に役だが役には立たない。私のストレスも、様々な拷問の方法に必要な器具の設計的な正しさへの疑いによって倍加してしまうから、気に食わない職場の人間一人撲殺したくらいでは全然気が晴れない。仕方がないのだ。某市の大量殺人犯は大衆の罪を背負ったという点では現代のキリストなのだ、その主張が現代の倫理にそぐわないとしても、このキリストとの居痛点がなくなるわけではない。大抵の宗教指導者より、むしろ他人をそそのかし損ねているので罪が軽い。粗大ごみの回収日が今日ではないから、どうしようもないのは周知の事実だ。)

 

 君は疲れているのだとその辺の本の背が言った。『コールド・スナップ』と印字されている。人間の全責任が、太平洋に遺棄されてほしいと切実に思えてならない。人間のほうはどうでもいいので。心底、どうでもいいので。


 首を切られた人間の同定とか、首を切られているという特徴からしかできない。電子タグもないのだ。埋め込んでおけよと思うが、仕方がない。聖書の時代の人間に思われるからあきらめそうになるが、聖書に書かれていることが必ずしも字義通りの解釈を要求するわけではないことは周知の事実だとしてふるまうのが最近の知識階級のトレンドだから気取ってそういうそぶりを見せてしまう。虚栄心が強いので。

 だから、こいつが何らかの機械でスキャンできるようなドッグタグを持っていてもおかしくない。だが私が機械音痴だからこのご時世に生きられない。だから、干し柿の産地を調べる気が起きないほど、意気消沈していた。抑うつだ。この時期はいつもそうだ。絶対に、干し柿のあの干からびたほやのような外観と、抑うつには相関関係がある。だってこの時期に散歩をするとバス停が墓碑銘の表示に見えるので、手におえないことこの上ない。第一、なぜ「私」を視点人物にしているのか、誰か教えてくれ。いずれにせよまだ7月の第2火曜日ではないから、死ぬには早いような気がした。なぜ死などという、どこにおいてもいいようなあいまいな予定をわざわざ7月に置いたのか定かではない。正気を疑うような無粋なことはしない。昨晩は幻聴がひどかった。

 録音した当該時間帯の、音を、何かしらの検査項目にぶち込んで、出てきた答え(波形の特徴)が人間の声に一致するかを調べればいいのだろうかと考えた。幻聴かもしれないが実際にありえない音声ではないので不確定さが、より幻聴の起こりやすい強い不安を引き寄せているようだった。

 眠り足りないのは、この喧騒であり人間ではないのかと異議を言いながら、眠りにつくのに苦心し、仕方がないので、その辺にあった酒を全部飲んだら余計眠れなくなり、翌日が粗大ごみの収集日であることも、図書の返却期限であることも、忘れていた。そこへ呼び鈴が鳴り、「山城運輸です」と。品は干し柿であると書状が述べていたが、私は生物テロの危険性を考慮して警察に通報した。警察の職員はあきらかに病人かキチガイを見る目で私を、対面していたら見ていただろうということは想像に難くない口調で応対した。「なぜ、身内が生物テロを仕掛けないといえるのか。生物テロなんかする人間はたいてい捨て身だから、論理的な推測の立て方はほとんど彼らの行動の予測において、役に立たない。だからこんな重要性が皆無の人間に試験的にせよ、そうでないにせよ、生物テロを行うことは可能なのだ!」私の理路整然とした説明もむなしく、ほどなくして電話が切られた。


 ああなんて気味が悪い交換手だろう。海洋生物のようだし、馬の、ふやけた死骸のようだ。たてがみに汚泥が絡みついて異臭がする。鼻を突くようなかつ、タンパク質の腐ったような。私は生物テロの危険性について考えるのをやめることは敗北だと感じていた。そのような安易な判断でこの世に投了したりするのはもとより式のかけらもない兵士のすることだ。私は、神の兵士として、この世での任務を可能な限りまっとうしなくてはならない。それは偏桃体に、黒いインクで焼き付けられた宿命だ。

 だれが、私に生物を送り付けるって?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

干し柿の荷札 韮崎旭 @nakaimaizumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ