招き猫
nobuotto
第1話
「佐吉さん、どうにかなりませんかねえ」
先代が亡くなってから、太一は番頭の佐吉を親のように慕い頼っていた。
「うちの品は極上ですよ。けどね若旦那、流行り廃りだけはどうにもならない」
代々、西の反物を小売する商いを行ってきた満福屋だった。西の工房の品はいいが、先代が亡くなった頃から潮が引くように売れなくなった。流行り物を売りたくても、人気職人はもう他の店に押さえられ、新作も出せない。
満福屋の屋台骨は傾き始めていた。
「佐吉さん、入口の招き猫ですけど、あの猫は左手をあげてますよね。あれは人を招く猫だとか」
「はい、左手は人、右手はお金を招くと言われております。お客様あっての商いと、初代からずっと満福屋は左手の招き猫様です」
「けどね、客が来るだけじゃ儲けにはならない。お金を出して頂かないと。あの招き猫様もかなりお年を召されているし、そこでなんですが、右手の招き猫を一緒に置くなんてどうでしょうか」
横で聞いていた、太一と年かさも同じ手代の宇吉が、もう我慢できないと怒鳴った。
「若旦那。それは、お手上げになると言ってご法度なんです。黄表紙に埋もれて日々読書三昧の生活もいいですが、お願いですから商いにも励んでくれませんか」
佐吉は「まあまあ」と息子の宇吉をなだめるのであった。
宇吉の言葉が心に響いたのか、それから太一も自ら足を運んで御用聞きもするようになった。やっと商いに本腰をいれてくれるようになったかと喜んだのも束の間、今度は遊郭に通い詰めるようになった。ただでさえ少ない売上を持ち出されたのでは堪らない。店はいよいよ傾き始めた。
ある日のこと、女郎を身請けしたい、どうぞ私の我が儘を聞きいて下さいと太一は佐吉と宇吉に頭を下げた。宇吉は太一に殴り係る勢いであったが、佐吉は一度その女と会ってみましょうと言う。女道楽ができる余裕などないことは太一も充分に分かっている。その上での頼みである。何か理由があるのかもしれないと佐吉は思ったのであった。
女に会った佐吉は太一の懇願の訳がすぐに分かった。女は昔同じ通りで反物を商っていた美濃屋の娘、お糸であった。美濃屋は商いに失敗して、お糸を身売りしたのであった。
佐吉は太一に黙ってお糸とも会った。遊郭に来ても、ただただ昔話をするだけで手を出すことはなかったと言う。「若旦那らしいや」と思う佐吉であった。
全てを悟った佐吉は、店を潰す覚悟でお糸の身請けを許した。宇吉に文句は言わせなかった。どうせ、この店に残っているのは、自分と宇吉だけである。年の瀬には店をたたむ覚悟であった。
嫁いできたお糸は店の窮状が直ぐに分かった。お糸は、今の絵柄では古すぎて売れない、反物の絵柄を私に作らせてくれませんかと太一、佐吉に頼んだ。反物屋で育って遊郭で贅沢三昧の生活を見てきたお糸には勝算があった。昔ながらの上品な絵柄を元に、遊郭で知り会った職人に頼んで華やかな色合いの小紋の反物を仕立てた。それが粋だということで、若い女性に受けに受け、飛ぶように売れていった。
今では宇吉は太一を「旦那さん」、お糸を「女将さん」と呼んで実の兄や姉のように慕っている。
「女将さんと一緒に運がやってきた。いや運なんて言ったら失礼なこった。旦那さんと女将さんの商い上手のおかげです」
「お前に褒めてもらうのは嬉しいねえ。褒めてもらった御礼じゃないが、商い上手とやらの秘訣をお前にも教えてあげようかね」
太一は店の裏庭に宇吉を連れていった。裏庭には小さい祠がある。
その祠を開けると右手をあげた招き猫がいた。
「お糸は美濃屋さんからこの招き猫を大事にしろと言われて遊郭に行ったのさ。宇吉、覚えてるかい、前にお前さんが言ったこと」
「右手と左手の招き猫を並べた日にはお手上げになる。ですよね」
「そうそう。けど、お糸を守ってくれた招き猫が、悪さなんぞするはずはない。それで私は考えた。ふたつ並べりゃあお手上げだが」
宇吉はポーンと手を叩いた。
「なるほど。そこでここに、店の裏に鎮座して頂いたわけですかい」
「お店の表で人を招いてもらい、こっちではお金を招いてもらったってわけさ」
店は以前のように多くの人を雇えるまでの大店になった。
太一は裏庭を作りかえて貸本屋を始めた。道楽で溜めるだけだった本も人様に貸しだせば立派な商いになった。
暗い祠の中にいた招き猫も、今ではお天様の光を一杯浴びてお金を招いているのだった。
招き猫 nobuotto @nobuotto
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