第32話【犯人の特徴】
『高二男子・水神元雪から見える光景』
泣きそうな声だと思った。
『水神くんありがとう——』という意外な声。
仁科……いや、仁科さん——?
目と目が合ってしまっていた。思いっきりに。初めて目を合わせたような気がする。
〝この目を見続ければろくなことにならない〟、と瞬時に判断したが仁科……さんの方から目線を切られ下を向かれた。まあそんなものだ。
その時、じゃり、と音が鳴った。重そうな金属の音。ひくり、とまたも生き物のように少しだけ〝剣〟が動いたように見えた。反射的に僅か半歩身体が勝手に下がっていた。
「オイっ、今の奴はどうすんだ⁉」と村垣先生の大きな声。思わずびくっとしてしまう。
「消えてしまったものは仕方ありません。それより今は水神君の傷の処置をしなければ。ですがその剥き出しの〝剣〟をまずなんとかしないと」とお巡りさん。処理すべき優先順位がてきぱきと決められる。
剣が動いたように見えたのは自分の錯覚か、誰も気づかないのか?
〝自分は剣で襲われていない〟という現実だけがある。
深見さんと村垣先生が早速動き出し砂だらけになった毛布を丸め始める。たちまちのうちに毛布はロールケーキ状の形を取り戻す。そう、これが〝剣〟のカバーになっていた。そしてその間にお巡りさんはロープを拾っていた。
……あれ? でもおかしくないか。
この毛布のカバーがとれるとしたらすっぽりそのまま剣から抜けるというとれ方が一番自然だ。
今度は村垣先生とお巡りさんがロールケーキ状にした毛布をロープでぐるぐる巻いて縛り始める。
そうだよ——、なんでロープまでほどけた?
グラウンドの上に場所を変え反復される昨日と同じ作業を見つめながらそんなことを考えていた。自然に抜けたのか? 何かの力が働いたのか?
お巡りさんがロールケーキ状になった毛布の中心に剣先を合わせ、押し込み、再び剣がぐるぐる巻きの毛布で覆われる。その持ち主を変えて。
仁科……さんの制服が砂で真っ白になってしまっているのが痛々しい。
「よしっ、撤収準備完了。この場は引き上げましょう」とお巡りさんが立ち上がり宣言した。そして「センセイ、車の方またお願いします」と続ける。
「よし分かった」と村垣先生は威勢良く応じた。
学校の駐車場へと早足で歩く僅かの間に「水神君流石だ」「ゲンセツよく言ったな」と、お巡りさんと村垣先生からそれぞれ賞賛されてしまう。
「なんでしょう?」と前へ前へと急ぎながら自分はすっとぼける。
「『自分がついている』って言ったじゃないか」お巡りさんが言う。みんなの頭からあの台詞は忘れられていなかった。
それ空耳で、いや『自分もついている』って言ったんですけど——とも言いにくく訂正の機会を逃してしまう。
「いや。それは、まだ誉められるほどのことはしてないから」と、しどろもどろに言うのが精一杯。なんで体裁が悪くなっているのか。
駐車場の村垣先生の車が見えてきた。また助手席側に乗ろうと歩く向きを変えたその時だ。
深見さんが大きな声を出した。
「水神くん、そのカバン!」
「え? かばん?」
自分は肩に掛けたスクバを肩から外し、見てみて恐慌した。
大きく真一文字に切られてた。中身も見えてしまってる!
スクバの表面が斜めに真っ直ぐザックリと。中の教科書も無事で済んでいなかった。教科書までもザックリと。しかしこの教科書が紙の束の楯として役割を果たした結果、凶刃が食い止められていたといった風。
「しまった!」お巡りさんの声だった。
自分の精神は半分夢遊病のよう。これってナイロン製、だよな。これがここまで切れるものか? 身体に当たっていたらどうなっていたんだ……?
この手は怪我してる。そしてスクバまで。
体感、僅か〝一テン数秒〟くらいの間に二撃も受けていたことになる。人間業とは思えない。
お巡りさんが無線機に口を当てていた。
「東王町一番地、県立東王東高等学校校庭にて通り魔事件と思しき事件発生——」
「ちょっと待て!」と村垣先生が突っ込もうとするがお巡りさんから『後で』というジェスチャーを受けてしまう。
奇妙な報告が続いている。しかし犯人を捕まえるにしても事件からもうけっこう時間が過ぎてしまっている。
改めてゾッとする。教科書をスクバの中に詰め込んで来て本当に良かったと、この時初めて思った。
村垣先生が『教科書を学校に置いていくな』と言っていなければ死んでいたかもしれない。
お巡りさんが『荷物をまとめよう』と言っていなければ死んでいたかもしれない。
重要参考人はあの制服姿のヤツだ。いったい誰だ? あの女子二人組はどこへ行った? 共犯か?
お巡りさんの顔を見た。署への連絡はもう済んでいるようだった。お巡りさんの顔は蒼ざめていたがしかし振り絞るように言った。
「水神君、取り敢えず外科に行こう——」
「——そして皆さん、今日泊まるところが決まりました。警察署です。水神君、一応通り魔事件の被害者として被害届を出してもらうことになる」
「おかしくないか⁉」村垣先生が噛み付いた。この二人が言い争いになると少し長くなる。
「先生、取り敢えず病院行った方がいいか、と」自分は言った。これは確実に縫うことになるだろうな……生きているだけでもありがたいのだろうが。
「センセイ、車お願いします」お巡りさんの声が虚ろに響く。しかし村垣先生は厳しく言った。
「後でいろいろ確認しなきゃならんことがある!」、と。
車の中では村垣先生もお巡りさんも無言で、もちろん深見さんも仁科……さんも何も喋らない。
東王東高校から最寄りの外科医院までは車を使って移動していることもあってそうは時間はかからなかった。
しかし〝治療〟となるとそうは簡単じゃない。
待ち時間も含めて約一時間と少し、外科医院の建物の外に出た。これは早いほうらしい。傷を縫うのはいつ以来か? 縫うこと自体は初めてではなかった。
医者からは解放されたがこれからは警察のお世話になることになってしまった。
主役は……つまり被害者は今まで呪いの魔剣こと『仮称・勇者の剣』が手にくっついて離れない人だったはず。なのに今の主役はまるで自分のようだ。でも本物の被害者は今現在『剣が手にくっついて離れない人』ということに変わりはない。即ち仁科……さんだ。
同行のお巡りさんとともに外科医院の駐車場に駐めてある村垣先生の車の所へ向かう。この五人のパーティは未だ解散する様子もない。
奇蹟の結束……かどうかは分からない。が、自分とお巡りさんが車に乗り込み全員が今車中の人になった。運転席に村垣先生、助手席に自分、後部座席に深見さんと仁科—さんにお巡りさん。
しかし全員が車に乗り込んでいるのに村垣先生に車をスタートさせる意思は無い。
「ゲンセツの治療が終わったんだから今時間はあるな?」と村垣先生が言いだした。
「そう言えばさっき何ごとか言いたい様子でしたね?」とお巡りさんが答えた。
「覚えていてくれているとは感心だ。訊いておかなきゃならん事がある!」
「なんでしょう?」
「さっきの無線、『通り魔事件と思しき』ってのはなんだ? 『思しき』じゃないだろ。れっきとした通り魔事件だ! その後『一応』とも言っていたな⁉ それもまたおかしい!」
村垣先生は地獄耳だと思った。なにか人の言うことを聞き逃さないタイプだ。
「実は、犯人の姿を見ていません。犯人の特徴が分からない、というのが正確なところです——」とお巡りさんは村垣先生の問いに答え始めた。
「——しかし〝状況〟だけは通り魔事件であるとしか考えられない。目の前で起きた通り魔事件なのに『犯人の特徴が分からない』なんてこんなバカなことはありません。だから上の方への報告が『思しき』になってしまうんです」
「じゃあゲンセツの怪我はどう説明する?」
「〝かまいたち〟ということになってしまうんでしょうか」
「遂に警察が『妖怪のせい』だってか?」
「広くそして強風の吹く場所では〝切り傷〟ができることがあると言いますね。自然現象のひとつです」
「そんなんじゃ納得せんぞ。あの場所に何者かが襲撃をかけてきたのは事実なんだ!」
「結局本官がハッキリ見たと言えるのは不審人物の後ろ姿だけ。それもかなり遠い位置で、です。センセイはどうですか?」
奇妙な間が生じてしまった。
「えっ、俺? いや私か、えー」
村垣先生は返事に困っている様子だった。
「特徴を記憶していたら教えて欲しいのです」お巡りさんが言った。
「特徴?」
「そうです。特徴です。どんな奴かっていう。ヤツは顔を隠していなかった、そういう感覚だけはある。なのに顔に記憶が無い。何か覚えていることがあったら皆さん、本官に代わって証言の方よろしくお願いします」
車内に音が無くなってしまった。
「同じくだ……」村垣先生が言った。
「記憶に残っているのはやせ形で身長が高め、これくらいしか……」お巡りさんが力なく言った。
「深見さんはどうですか?」お巡りさんが訊いた。
「わたしもまるっきり顔を見ていなくて……ほんのちょっとだけ遠くを歩いている姿を見ただけかな……」深見さんはそう答えた。
「水神君は?」と今度は自分が訊かれる。
「顔は分かりません。でも服装はこの学校の生徒、男子生徒のように見えました」そう言った。
「素晴らしい観察眼です」お巡りさんが誉めた。「服装まで記憶しているのは水神君だけのようですから」
そうなのか? 自分だけしか見てないって……なんだか〝自信〟が薄れていくような……
「他に何か記憶に残っていることは?」とさらに訊かれてしまう。
〝記憶〟って言ったって、突き飛ばされてぶつかって転がって、そういう〝衝撃〟の記憶があるだけで他に何かを見た記憶があるかといえば……
〝白い手首〟しかない。それは誰のものか分からず仁科……さんかもしれない……
「仁科さんはどうですか?」今度はお巡りさんはそっちの方へ振っていた。
「目の黒目がまん丸だった……ってのは意味無いよね」と仁科さん、が言う。
みんなの〝証言〟が遠目での証言なのにどうして目の中のしかも黒目に焦点がいくのか。これって思いっきり〝至近距離〟っていう意味で。
それに誰の証言でも〝中間距離での証言〟が無いのはどういうこと?
「フォーメーションは完璧でした」お巡りさんは言った。「場所はグラウンドの中央、近づいてくる人物がいれば誰かが気づくはずでした」と続けた。
「誰か近づいて来るところを見た人はいますか?」
お巡りさんの問いに答える人は誰もいない。
いきなり至近距離に現れ、気配すらも誰も感じない。おまけに去るときもほんの短い間で気づけばかなり遠くを歩いていた。透明人間のように姿を消しているわけでもないのに……みんなが見ていたのに実は誰も見ていない……
「まあこれ以上話していても不毛か」村垣先生が言った。「警察署へ行けばいいんだったな?」と続けた。
「ええ」とお巡りさんが返事する。
パーティ全員を乗せ村垣先生の車はエンジンスタート、東王警察署へと向かって走り出す。警察署へは車だと信号に引っかかっても十分と少しといった距離しかないようだ。
車のフロントウインドー越しの視界に警察署の建物が入ってくる。
署の駐車場に村垣先生は車を入れる。全員車から降りる。今は仁科さん……の手にある剣は再び毛布でぐるぐる巻きの状態だ。この妙な物をどう他の署員に説明をつけるんだろうか?
一応あとお巡りさん以外にあと二人ばかり、この〝呪われた剣〟の存在を知っている警官はいる。その人達から伝わっているだろうか?
通り魔事件の犯人、深見さんか仁科さんにされたりはしないよな……目撃証言は複数だしそこは大丈夫だよな……。
村垣先生が車のドアのロックを確認する。そして、
「さて、警察署で一暴れだな」と物騒なことを言う。それに呼応するでもなく、しかし全員揃って駐車場を横断し警察署内へ———、さすがに警察署に入るのに先頭切ってとはやりにくく他の人に先行してもらう。と歩き出したその時お巡りさんが立ち止まり振り返って声を掛けてきた。
「水神君少し待って下さい」
「なんでしょう?」
「ひとつ思い出したことがあるんだが、それについて水神君に確認しておきたい」
「え、どうして自分に?」
「水神君が被害者だからです。つまり犯人の一番近くにいた、ということになるからです」
「はあ……」
なんで自分は開放感を感じていたんだろう? またしても『襲われたのが自分だけ』状態に戻っていることに今さらながらに気づかされた。
「訊きたいのは犯人の使った凶器のことです」お巡りさんは言った。
「きょうき?」
「本官が思いだしたことというのはこうです。不審人物の後ろ姿を見たと言いましたが、どうも手ぶらだったように見えた。なにかこう、両手をひらひらさせて手に何も持っていなかったように見えたんだが、一番近くにいた水神君には犯人の手に何か凶器を見た記憶はありますか?」
自分は必死に思い出そうとした。誰かの手首ははっきりと見た記憶がある。何も握っていなかったと思う。しかし……犯人の手首かどうかなんて確証が無い。
「……何も見ていません」それ以外言うことが無かった。
「他の方々はどうでしょう?」お巡りさんが訊いた。
見ていないか、見た記憶がないのどちらかだった。要するに誰一人見ていない。
恐怖のあまり、あるいは咄嗟のできごと過ぎて視界に入っても記憶として残っていないんだろうか? そう考えたとしても尚残るこの違和感は……何だろう? いや違う!
非合理な目撃証言を揃いも揃って五人全員がしてしまうって何だ?
五人揃って襲撃者の顔がよく分からない。
五人揃って襲撃者が手に凶器を持っていると認識していない。
咄嗟のことだから、と言うなら五者五様が自然だ。せいぜい五者三様程度とか。しかしこの五者一様と言っていい不合理証言はあまりに不自然じゃないのか? そんなことを薄ぼんやりと考えていると、
「簡単です」と深見さんの声がした。
「どう考えるの?」お巡りさんが問う。
「そのまま。手に凶器は見えなかったけどスクバは切られたってことです」
「そういう説明でお偉い警察の方々が納得するとは思えませんが」
「手で切ったんです」深見さんは言い切った。深見さんならこう言っちゃっても実にらしい、と感じる。
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