7-4 Kanji and alphabet 【漢字とアルファベット】

「いや、読むことはできるけど書けないね」


 薔薇という漢字はわりとなじみがあり、読むのは造作もないことであったが、書いたことは一度もない。


「たぶん、英単語に対する認識はそれでいいんだよ。『バラ』で意味が分かりさえすれば、『薔薇』なんて漢字は書ける必要がない。英語の場合は、音さえとれればある程度スペルもわかるからな」


「ノートに英単語を書きまくるのは、『薔薇』じゃなくて、『バラ』って書きまくるようなものなのか」


「そういうこと。英単語をノートに書きまくるのはバカみたいだろう?」


 漢字の練習で、あるいはひらがな、カタカナの練習でノートに書きまくった覚えはあるが、言葉や単語をノートに書きまくった覚えはほとんどない。それと、同様に英語もアルファベットを覚えてしまえば、別に単語を書きまくる必要はないのかもしれない。


「バラバラバラバラバラなんて書いていたら気持ち悪いったらたまらんな」


 そんなことをしていたら、まるでバラバラ殺人を計画している人間のようだ。


「そうだな……。そういうわけで、俺は単語を覚えることも書くこともせず、忘れまくることにした」


「一単語一秒、目安としてそれ以下に区切れないこれを目安にしているけど、このペースで回せばいい。これなら、一時間で三千六百語ペース。一回の英語の授業ごとに十単語単位で回していたことを考えれば、夢みたいなペースだろう」


「そもそも、何万っていう単語を覚えるのは無理だと思っていたけど、そのやり方なら、それができる可能性もあるかもしれないなあ」


 その数字だけを見ると、ほんとに夢みたいな話ではあるが、忘れるだけでいいというのなら、全然できそうなことに思えてきた。それに、半年後までに実用的な語彙力を身につける起爆剤たりうる。


「それに、ネイティブの普通の会話なら分速百八十単語くらいが平均的だそうだ。それに比べれば、これでも圧倒的に少ないんだから、これくらいのペースには平然とついていけなきゃいけないんだよ」


「それだと一秒に三個になるんだな……。それに比べれば一秒に一個でも遅いくらいか……」


 実際の会話では、わざわざ単語の意味に構っている暇はなく、反射的に理解していかなければいかないのだから、一秒に一個忘れるというのは、そのスピード感にもよく似ているのかもしれない。


「そういうわけで、今回の単語テストは全く勉強していないから、五点っていうのは英単語に関する本当の俺の実力なんだ。譲二の十点は偽りの点数で、俺の五点から比べるとお前は二点くらいかもな」


「さすがにもうちょっと取れるよ」


「本当に、そうか?」


 翔は疑うように僕に問いかけるが、僕は何も答えられない。実際の所、全く何も勉強しなかったらゼロ点の可能性すらあるかもしれない。今回の小テストの範囲の十点にしても、ほとんどが授業の合間の休み時間に詰め込んだものだ。


「でも、そんなので、本当に単語力がつくのかよ?」


「手応えは感じているよ。多分、一カ月後にはほとんど八、九点くらいしか取れなくなるんじゃないかな」


「それでも満点じゃないんだね」


「だって、俺もうこの単語テストはほとんど意味ないと思っているから、点数を取る気もないからね」


「でも、単語を覚えているならこのテストで点を取れるんじゃないの?」


「……。まあ、そこがもう一つ。俺がこの単語テストの意味がないと思っているところの理由だな」


「どういう意味だよ?」


「お前さあ、学校の単語テストやテレビのクイズ以外のまともな試験、入学試験や英語の資格試験で、『この単語の日本語の意味は?』なんて問題見たことある?」


「うーん……」


 翔がこういう言い方をする時点で振りだと分かっているが、そんなものは思いつかない。学校の小テストやクイズ番組限定の問題の出し方に思える。


「試験で単語の意味が問われるとしても、ここに当てはまる適切な単語は? とか、この単語と同じような意味の単語は? とか、あくまで文章の中での意味を問うような問われ方しかしない。それ単発で出てくることなんか絶対にありえない」


「言われてみればそうだな。でもさ、やっぱり完璧に暗記していたら、十点満点になるんじゃないの?」


「無理だね」


「なんで?」


「tomatoは日本語でもトマトだよ。でもhaveに日本語の一つの答えなんてない。なんでもありだ。解なしの問題も含まれているんだから答えようがない。満点なんか存在しない」


 僕が英文解釈の勉強をする中でも、意味はある程度わかるのにしっくりとする 日本語訳が出てこないという場面に遭遇することがたまにあった。だから、日本語と英語は一対一に綺麗に変換できるわけじゃない。


 そういう意味で、翔の言うことも分かるような気がした。

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