第46話
NAVOTAS, Brgy. SanRoque, Champaca St.(ナボタス・シティ、サンロケ区、チャンパカ通り。) 海が近いこの下町に、ドナの住む家があった。
ブロックが積まれ、薄いトタンで覆っただけの簡素な家々が密集する狭い道に、どうやって入ってきたかと不思議になる程の大きな車、客待ちに所狭しと並ぶトライシクル、そしてチキンBQなどの数々の屋台がひしめき合う。
さらに、本来自宅のキッチンやバスルームにあるべき設備が、路上にはみ出していたりするので、道はもはやその本来の姿を見失ってしまったようだ。
路面はコンクリートでありながら整備されておらず、いたるところに穴が開いている。そんな穴を避けながら、ドナは佑麻を引き連れて下町を闊歩する。
ドナの姿を見た多くの人々が、彼女に声を掛ける。ドナは明るく返事を返すものの『一緒に居る男は誰?』との問いには答えることなく先を急いだ。
この状況は、ドナが自分の家に着く前に、はやばやとドミニクの耳に入った。ドミニクは、真偽を確認すべくドナの家に走る。佑麻といえば、訳のわからないタガログ語の渦に呑まれながら、溺れまいと必死にドナにすがりながら後を追った。
ふたりはドナの家の門にたどり着いた。ドナはあらためて佑麻に振り返り、身なりをチェックする。汚れたTシャツはどうにもならない。佑麻のひたいに流れる汗をドナのハンドタオルで拭ってやり、手すきで彼の髪を整える。
駆けつけてきたドミニクはそんなふたりをいきなり目撃したものだから、そばの自転車を蹴飛ばし、ドナと共に居る男を睨みつける。しかしドナは、ドミニクをはじめ群がる周囲の人びとには目もくれず、佑麻に言い聞かせた。
「いい、佑麻。さっきも話したと思うけど、マムは厳しい人よ。第一印象で嫌われたら終わりだからね。余計なことはしないで、私に任せるのよ。わかった」
何が終わってしまうのか質問したかったが、ドナの迫力に押され佑麻はただうなずくばかりだった。
ドナが勢いよく鉄の扉を叩くと、暫くして開錠の音とともに門が開く。開けたのは、ドナの妹ミミであった。ミミは、知らない男の手を引いて家に上がるドナを見て驚いた。
マムは、リビングの大きな椅子に座りテレビを見ていた。ドナは、母の手を取りその甲を自分の額にあてる。ドナにうながされ、佑麻も同じことをしようとしたら、マムは手を引っ込めて彼を睨んだ。
「日本でお世話になった友達の佑麻よ。マニラに来てお金を取られて困っているの。うちに泊めてあげたいんだけどいいかしら」
マムは、佑麻には一瞥くれただけで、その後じっと娘のドナを見つめた。
ドナは自分の心の奥底を覗かれているようで、落ち着かない。マムは、ドナの瞳の奥に、小さくではあるがダイヤモンドのように光る決意を認めて、やがて諦めたように、テレビに視線を戻しながら言った。
「お前がそうしたいなら、そうすればいい。ただ、泊まった分だけのお金は入れてもらうよ。それに、そんな汚いままで家に上がるのは勘弁しておくれ。まったく、こんな臭い男を連れてきて…。だから私はお前が日本に行くのを反対したんだ」
佑麻は、どういう会話が取り交わされているかわかるべくもなく、それでも何とかコトの展開を探ろうと、意味のない愛想笑いでマムとドナを交互に見返していた。
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