458 試される? (5)

 マーモント侯爵の声が響き、トーヤの剣がレイモン様の胴体に当たる寸前で止まった。

「参りました」

 ――おぉ、負けフラグを折ったか。

 レイモン様が自らの負けを認めると、少し心配そうに見守っていたリアがホッとしたように息を吐き、周囲の兵士たちの間ではざわめきが広がった。

「おい、レイモン様が負けたぞ……!?」

「さすがはリアお嬢様が認めた相手だな」

「……いや、レイモン様が花を持たせたという可能性もあるんじゃないか?」

「だが、あの動きはかなりのものだったぞ?」

 好意的とは言えないが、否定的でもない。

 あえて言うなら、戸惑いだろうか?

 発言内容からして、リアが婚約相手を連れてくるという話は聞いていたと思われるが、単純に祝福しているという感じでもない。

 ――まぁ、考えてみれば、それも当然か。

 彼らからしてみれば、リアはお姫様。

 相手がそれなりに有力な貴族ならまだしも、どこの馬の骨とも判らないヤツが唐突に現れて結婚すると言われても、納得はしづらいだろう。

 もしかすると、『あわよくば自分が!』ぐらいのことを夢想していた者だっているかもしれない。

 いや、きっといるはずだ。

 お姫様に憧れるのは、男のさがだからして!

 だからだろうか、トーヤとレイモン様、双方が剣を引いて礼をしたところで、そこに割り込むように声を上げた人物がいた。

「レイモン様、私にもやらせて頂きたい。お嬢様を任せるに足る男かどうか、確かめたいと思う」

 年の頃はマーモント侯爵と同じぐらいだろうか。

 おそらくはここにいる兵士たちの指導的立場と思われるが――。

「彼は?」

 近くにいたリアに尋ねれば、答えはすぐに返ってきた。

「スコットだな。ウチの騎士団の団長だ。私も幼い頃から可愛がってもらっている」

 ちなみに、ここで言う『騎士』とは領地限定のもので、国王が与える騎士爵とは別物である。

 だがそれでも、領地の中で騎士団の団長という地位は、平民の中ではトップに近いそうで、立場的にはリアの婿も十分に狙える位置にある。

 しかし、彼とリアの年齢差は親子ほど。

 さすがにそれはない――こともないか?

 こちらだと、稼げさえすれば年の差はあまり関係ないみたいだし。

 そして、ユキも同じようなことを考えたのだろう。

「ちなみに、既婚者なのかな?」

 少し悪戯っぽい笑みを浮かべてリアに囁いたが、リアの方は不思議そうに小首を傾げた。

「――? ユキにはナオがいるだろう?」

「そうじゃないから! 単純な興味!」

 リアからの意図せぬ反撃に、ユキが慌てたようにブンブンと首を振れば、リアは「そうなのか」と素直に頷き、言葉を続ける。

「結婚して子供も三人いる。ウチ一人は騎士団の中に――あぁ、アイツだな」

 リアが指さしたのは、兵士の中で一際強くトーヤを睨んでいるように見える二十歳前後の男。

 父親が団長でも特に依怙贔屓はされていないのか、立ち位置的には平の兵士。

 おそらく強さも、ここにいる兵士の中では下の方だろう。

 対して団長のスコットは、マーモント侯爵ほどではないにしろ、兵士たちの中では頭一つ抜けた実力が感じられ、騎士団の団長というのも納得の風格である。

「ふむ。スコットは私たち兄妹の第二の親のようなもの。気持ちは理解できます。トーヤ、休憩は必要ですか?」

「別に休憩は要らねぇけど……拒否権はねぇのか」

 なんとか無事に手合わせを終わらせた直後に、レイモン様から発せられた戦うこと前提の言葉。

 そのことにトーヤがため息を漏らせば、レイモン様はニコリと微笑む。

「断っても別に構いませんが――」

「いや、やる。きちんと示しておく必要があるだろうからな。オレにはリアを守れる強さがあると!」

 そんなことを言って、ドヤ顔になるトーヤ。

 一見、マーモント家の人たちに言っている風でありながら、その視線はチラチラとリアに向かっており、アピール対象がそちらなのは明白であるが、リアの方も満更でもなさそうである。

 こうしてみると、案外お似合いな二人なのかもしれない。

 だが、そんなことをトーヤが言ったからか、周囲で見守っていた兵士たちの中から声が上がった。

「であれば、自分も是非手合わせさせてください!」

 その声の主は、先ほどリアが教えてくれた騎士団長の息子だった。

 それに触発されたように、「俺も!」、「私も!」と幾人もの手が挙がる。

「ほぅ、大人気だな、トーヤ――いや、リアの方か? 儂もちょっくら――」

 マーモント侯爵がニヤニヤと笑いながらそんなことを言い、トーヤの方に足を踏み出そうとしたが、そこに涼やかな声が掛かる。

「あなた? 先ほど言ったことを忘れましたか? 近いうちに王都に行くんですよ?」

「う、む……」

 穏やかに声を掛けたのはエミーレ様だが、その声はマーモント侯爵の脚を縫い止めるに十分な力を持っているらしい。

 苦虫を噛み潰したように唸ったマーモント侯爵は、暫し瞑目して残念そうにため息を漏らすと、どうしたものかとこちらを窺っているレイモン様と、騒いでいる兵士たちに叫んだ。

「お前たち、今日の訓練は終了だ! トーヤに挑戦したいなら、一人一回ずつなら認めてやる。存分にやれ!! 死なない程度にな!」

 兵士になろうとする人たちだけに、やはり血の気の多いのか、途端に上がる嬉しそうな歓声と、それと対照的になんとも言えない表情を浮かべたトーヤ。

 兵士たちからすれば一回だけかもしれないが、トーヤは複数回――いや、歓声を上げた兵士の数からして、数十回の立ち合いがほぼ確定していると言っても良い。

 リアに良いところを見せるつもりだったのだろうが、このままだとボロ雑巾になったトーヤの姿を見せることになりかねない。

「リア、止めなくても良いのか?」

「そうよね。トーヤも体力はあるけど、さすがにあの人数は……」

 トーヤの怪我の心配はしていない――怪我をしても治せるという意味で――が、下手をするとリンチになりかねない状況に、一応リアに尋ねてみたのだが、リアは苦笑して首を振った。

「いや、ウチの兵士はそんなに無茶はしないぞ? きちんと休憩は入れるだろうし……ただ、人数的には夕方まで掛かるかもしれないなぁ」

 どこかズレたその返答に、ユキとナツキが顔を見合わせた。

「(リアって、無自覚なのかな?)」

「(完全に、ということはないでしょうが、自身を過小評価しているのかもしれませんね)」

 問題は人数よりも、トーヤに対する嫉妬ややっかみ。

 リアの地位を考えれば、それを打ち斃してこそなのかもしれないが、少々激しい手合わせになりそうな予感が拭えない。

「トーヤが負けてボロボロになる心配とかはしないの?」

「たぶん大丈夫じゃないか? ウチの騎士団は全員がサルスハート流だからな。皆伝なのはスコットだけで、他は良くて中伝。トーヤと立ち合うことは、彼らにも良い訓練になるだろう」

 思った以上に平然とリアが応え、それに呼応するようにマーモント侯爵も頷く。

「そういうことだな。トーヤにもサルスハート流の皆伝は与えたが、戦い方は少し違うだろ? あれだけの技量を持つ訓練相手を手配するのは、儂でも少々難しい」

「……タダで良い訓練ができる、と?」

「おう! ――って、睨むなよ、エミーレ」

 俺の言葉にマーモント侯爵はニヤリと笑ったが、隣のエミーレ様から向けられた視線を受け、すぐにその笑みを困ったようなものに変えた。

「睨んではいません。ですが、トーヤさんはリアの婿になる相手。都合良く使うだけなのは、どうかと思いますよ?」

「そんなつもりはねぇんだが……。トーヤだって、存分に訓練できて良いだろ?」

「はぁ……。誰もがあなたのように、戦えることが嬉しいってわけではないのです」

 エミーレ様が呆れたようにため息をつけば、マーモント侯爵は顎に手を当て、少し考え込んだ。

「そういうもんか。なら……おい、トーヤ! 全員に勝ったら、何か褒美をやる! 希望があれば、考えておけ」

「えぇ……? そりゃ、嬉しいけど……」

 唐突にぶら下げられた餌に、トーヤは嬉しさよりも戸惑いを見せるが、それを聞いたスコットが楽しげに笑う。

「ほう。御大おんたい、私たちが勝った場合には、何かないので?」

「あん? そうだな……お前らがトーヤに勝てたら、明日は多少の小遣い付きで休暇を与える! 双方気張れよ!!」

 マーモント侯爵の激励を受け、今度は兵士たち全員から歓声が上がった。

 ――そう、先ほどトーヤとの手合わせの希望者として、手を挙げなかった兵士からも。

「なぁ、これって、全員とやることが確定したんじゃ?」

「でしょうね。さすがはマーモント侯爵。トーヤに報酬を与えながら、兵士全員強制参加に持っていくとは……」

 トーヤとの手合わせにあまり興味がなかった兵士も、餌をぶら下げられたら参加したくなるだろうし、この条件なら兵士仲間の手前、参加しないとは言えないだろう。

 報酬を払うなら最大効率を求める。

 さすがは有力貴族、と視線を向けると、マーモント侯爵は鼻で笑って肩を竦めた。

「そいじゃ、儂は仕事に戻るか。手合わせを見られねぇのは残念だが、仕方ねぇ。――あぁ、そうだ。お前たちは家名も考えておけよ? 王都に着くまでにはな」

「それでは失礼しますね」

 最後にさり気なく重要なことを告げると、マーモント侯爵は館の方へと戻っていき、エミーレ様は俺たちに一礼してその後を追ったのだった。

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