459 試される? (6)

 マーモント侯爵とエミーレ様、二人の背中が見えなくなった頃、ハルカがポツリと呟く。

「……家名、ね」

「貴族になるなら必要か。悩むところだよな。元々の姓があるだけに」

「ですね。でも今は、トーヤくんの方を見ましょうか。大盛況なようですし?」

 困ったように言うナツキに促されてそちらに目を向ければ、早速トーヤとスコットの手合わせが始まっていた。

 スコットの技量はおそらくレイモン様と同じか、少し勝るぐらいだと思われるが、トーヤもレイモン様には遠慮があったのか、その戦いは先ほどよりもかなり激しいものだった。

 だが、それを真面目に見ているのは数人ほど。

 兵士の大半は横目で試合を見ながら、トーヤと戦う順番について侃々諤々と議論を戦わせている。

「……う~ん、本気で勝ちに来てるね。トーヤを疲れさせる作戦なのかな?」

 兵士たちの言葉に耳を澄ませていたユキが、少し困ったように眉尻を下げると、ハルカも長い耳をピクピクと動かして、小さく頷く。

「強い人を最後に持ってくるつもりみたいね。でもそれなら、スコットさんを最後にするべきだと思うけど……」

「いや、スコットは尊敬できる人物だ。そのような姑息な企みには乗らないだろうな」

 やや苦々しげに、リアが少し大きな声で言葉を漏らせば、頭を寄せ合っていた兵士たちが動きと言葉を止め――何事もなかったかのように整列、スコットに対して声援を送り始めた。

 リアはそれを見て、今度は深いため息を漏らす。

「はぁ……。策を弄することも時には必要だが、今回は訓練が主目的だからな。できれば、手合わせの中で全力を尽くして欲しいところだ」

「是が非でも休暇が欲しいのでしょうか? 結構、厳しいんですか?」

「領地を守る騎士団だからな。それなりには厳しいと思うが、休暇はそれなりに多いぞ?」

「となると、トーヤくんを倒すこと自体が目的――あっ」

 拮抗していた戦いが動いた。

 仕掛けたのはスコット。

 前に大きく踏み込みながら剣を振り上げ、それをトーヤの肩に振り下ろす。

 トーヤもそれに応じるように一歩踏み出し、右下から切り上げる。

 双方の剣が交差し――。

 ゴキッ!!

 鈍い音が俺たちの耳にも届き、それと同時にレイモン様が手を挙げた。

「それまで!! 勝者、トーヤ!」

 ここから見るとほぼ相打ちのように見えたが、どうやらトーヤの方が先だったらしい。

「決着が付いたみたいね」

「そうだな――って、冷静だな!? あれ、骨折してるぞ!?」

 平然と言ったハルカに流されるように、リアも普通に頷いたが、すぐに目を剥いてこちらを振り返った。

 そしてその言葉通り、トーヤは左腕をだらりと垂らし、痛そうに顔を顰めている。

 とはいえ――。

「ウチの訓練では、良くあることだな。――被害者は主に俺だが」

「そうね。でも、早く治してあげないとね」

 苦笑を浮かべて歩き出したハルカに続き、俺たちもトーヤの方へと向かえば、トーヤだけではなくスコットも少し顔を顰め、左胸の辺りを押さえていた。

「トーヤ、大丈夫か?」

「まぁまぁいてぇな」

「すまない、止められなかった。何とか肩は避けたのだが……」

 見た感じ、トーヤの怪我は二の腕の骨折か。

 肩の骨が砕けてしまうと、自然治癒では後遺症が残りかねないし、魔法で治す場合も結構大変。

 スコットもそのことを理解していて、無理に剣を止めようとするよりも、腕に当たるように調整したのだろう。

「いや、オレの剣が当たったのが原因だろ? だから、謝るべきはオレだな」

 なるほど。スコットさんが寸止めできなかったのは、トーヤの攻撃が当たったのが原因か。

 であれば、骨折も自業自得。これを機会にトーヤにも寸止めの技術向上を願いたい。

 対戦することが多い俺のためにも!

「こっちこそ、怪我をさせてすまねぇ。つい、いつもの癖で」

 謝りつつも平然と言うトーヤに、スコットが驚きに目を瞠る。

「いつも骨が折れるような訓練をしているのか!?」

「はい。俺なんて、何度トーヤに骨を折られたか……」

「オレたちには、優秀な治癒士がいるからな!」

「凄いな……そして、羨ましいな」

 羨ましいのかよ!

 年長者として、そして普段から騎士団を鍛えているだろう指導者として、トーヤにビシッと言って欲しかったが、残念ながらそれは叶わないようだ。

「だろ? だから、この程度はどうってことねぇよ。――つーことで、ハルカかナツキ、すまないが頼めるか?

 ――うん、痩せ我慢だな。たぶん、リアに対しての。

 一応笑っているが、顔はちょっと青いし、脂汗が浮かんでいるもの。

 ハルカもそのことは解っているのだろう。

 やや呆れたような表情ながら、あえて指摘はせずトーヤに近付く。

「はいはい。ちょっと我慢してね」

「――ぐっ!?」

 最初の頃とは異なり、今はハルカも慣れたもの。

 無遠慮に腕を掴み、骨の位置を修正すると『治癒キュアー』を唱えて治していく。

「スコットさんも治療しますね?」

かたじけない。……おぉ、肋骨は折れたと思ったが、こんな短時間で。これほどの治癒士が二人もいるとは!」

 スコットの治療に向かったのはナツキ。

 彼女がスコットの脇腹に手を翳して『治癒キュアー』を唱えれば、スコットは息を呑み、左腕を上げ下げして感嘆の声を漏らした。

「私たちは魔法寄りのパーティーですから」

「それにしても……だが考えようによっては、お嬢様が加わるにはちょうど良いのか」

 スコットは顎に手を当てて何度か頷くと、ハルカとナツキを見て口を開いた。

「ちなみにだが、これから手合わせする兵士たちが怪我しても、治して頂けるのだろうか?」

「そうですね。先ほどの通り、トーヤくんはあまり寸止めが得意じゃないので、可能な範囲で治療はします」

「なるほど……」

 ナツキの返答を聞き、スコットは少しだけ俯くようにして考え込むと、さほど間を置かずに顔を上げ、早速次の試合を始めようとしていたトーヤに声を掛けた。

「トーヤ殿! 折角の機会だ。骨の二、三本を折るぐらいのつもりで叩きのめしてくれ!」

「はいぃ!?」

「え、良いのか?」

 トーヤと対峙していた兵士が驚きに声を上げ、順番待ちしている兵士たちの間にもどよめきが広がった。

 そんな兵士たちを見て、やや困惑気味に聞き返したトーヤに、スコットは笑顔で深く頷き、逆兵士の方には厳しい視線を向ける。

「勿論だとも。お前はお嬢様を本気で娶るつもりなんだろう? 当然、手合わせも本気でなければ困る。――そして、お前たち! お嬢様を口実にするなら怪我程度を恐れてどうする! 死ぬ気でやれ、死ぬ気で!! 返事!!」

「「「はいっ!!」」」

 腹に響く声で一喝され、半ば遊び半分にも見えた兵士たちの表情が引き締まる。

 そして揃って姿勢を正すと、スコットに向かってピシッと敬礼をした。

 それを見たトーヤは「ほぅ……」と息を漏らし、軽く肩を回す。

「そいじゃ俺も、一切の手抜きなしで頑張ってみるかな?」

 その口調こそ軽いが、トーヤはやや獰猛な表情でニヤリと笑うと、舌舐めずりでもするようにペロリと唇を舐めた。


 有言実行。

 トーヤはそれを体現するように、手合わせに出てきた兵士たちの骨をボキボキと折っていった。

 さすがに『骨の二、三本』ということはなかったが、一人当たり一箇所は確実に。

 その有様に、気合いを入れた兵士たちも若干腰が引けていたが、それも最初の数人のみ。

 元々身体能力が高い獣人の中から選抜されて、騎士団に入った人たちである。

 怪我をしてもハルカたちがきちんと治してくれるのを見て、すぐに吹っ切れたようで、怪我を恐れずにかなり激しい戦闘を繰り広げていた。

 対して、その割を食って大忙しだったのは、ハルカとナツキ。

 一人一度だけならまだしも、二度三度。

 怪我をした兵士たちが、どこか嬉しげな表情でやって来るものだから堪らない。

 俺から見れば、ハルカたちが内心辟易していることは明白だったが、正式な手合わせとはいえ怪我をさせたのは仲間であるトーヤである。

 張り付いた笑顔で対応し、全員の治療を続けていた。

 そして、可哀想な被害者はもう一人。

 傍観者だったはずなのに、トーヤの休憩時間を確保するという名目で、半ば強引に手合わせに引き摺り込まれた男がいた。

 ……そう、俺である。

 いや、解るよ? トーヤにも休憩が必要なのは。

 体力自慢のトーヤであっても、連続して戦い続ければ疲弊するし、不覚を取るかもしれない。

 それでトーヤとリアの結婚が潰れるとは思わないが、負けない方が良いのは間違いなく……。

 だがそれなら、普通に休めと。

 お前ら落ち着け、ひっきりなしに戦おうとするなと。

 そう思った俺ではあったが、興奮した獣人たちの圧は凄かった。

 そして、そんな男たちとハルカたちを戦わせるわけにもいかず、俺は日が落ちるまで、むさ苦しい男たちの相手をさせられる羽目になったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る