445 トーヤくんの卒業? (1)

 奥伝の試験が行われるというその日、トーヤは雲を踏むような足取りで家を出ていった。

 俺たち全員で行った出掛けの激励にも、トーヤの緩んだ表情は崩れず――いや、崩れたままで正直に言って頼りなかったが、練習に付き合った俺はトーヤの実力もよく知っている。

 好きな人の前では、格好いいところを見せてくれると信じたいが……不安が拭えない。

 そう感じたのは俺だけではなかったようで、ハルカたちが窺うように俺を見る。

「ナオ、実際のところ、合格しそうなの?」

 声に出したのはハルカだったが、ユキとナツキ、そしてメアリたちも同じ気持ちだったようで、その顔には疑問と不安が浮かんでいる。

「そうだなぁ……」

 俺は道場の師範とは面識がないし、師範が披露したという奥義も実際に見たわけではない。

 だが、リアから聞いた話、そして時々覗きに来る他の門下生たちの反応からして、トーヤの奥義は十分に合格レベルに達していると思われる。

 浮かれすぎてミスをしたりしなければ、問題なく奥伝を認められるだろう。

 なので、問題となりそうなのはリアの方。

 彼女も頑張ってはいたが、トーヤと比べるとその完成度は一段落ちる。

「おそらくは大丈夫だと思うが、リアの方は……少し心配ではあるな」

「トーヤだけが合格する可能性もあるのかぁ~。その場合、トーヤは結婚できないんだよね?」

「そう聞いている。まぁ、その場合は、『トーヤがダメ』というわけじゃないし、リアが合格するまで待てば良いだけかもしれないが……」

「時間が問題ですね。私たちも、ずっとこの町に留まるわけにもいきませんし」

「そろそろ本格的に仕事をしないとダメよね」

 前衛のトーヤが抜けていることに加え、半ば観光で来ていることもあり、この町で請けた依頼は簡単なものが多く、報酬もあまり高くない。

 それでも俺たちはランク六。生活費ぐらいなら賄える程度には稼いでいるのだが、折角訪れた大きな町、高価な本や錬金術の素材、布地など、色々と買い込んでいて、全員の所持金が来た時よりも減っていると思われる。

 ちなみに、金銭的に一番問題なのはトーヤだろう。

 全員で依頼を請けているわけではないため、得られた報酬は共通費には入れずに参加者で山分け、トーヤには分配されていない。

 結果として彼の所持金は減る一方で、俺に借金をするまでになってしまっている。

 金貨数十枚、今の俺ならそこまで大きな負担ではないが、数十万円と考えれば友人同士の借金としては結構大きい気もする。

 俺自身、本などにお金を使って、決して懐に余裕があるわけではないし――。

「問題がないなら、そろそろラファンに戻って稼ぎたいところだなぁ」

 ここでも仕事はできるが、やはり効率が良いのはラファン周辺。

 もう数ヶ月もすればディンドルの季節でもあるし、その頃には帰っていたい。

「ミーは大丈夫なの。シャリアたちと一緒に、ちゃんと仕事してるの!」

「私も……衣食住が共通費から出ているので、はい」

 俺たちの大半が所持金を減らしている中、例外なのはこの二人。

 以前一緒に仕事をしたシャリアたち三人と組み、五人で頻繁に依頼を請けていることも理由の一つだろうが、メアリたちはとにかくお金を使わない。

 生まれた頃から貧乏暮らしだったことが影響してか、とにかく物欲が乏しく、シャリアたちといる時に屋台でおやつを買うぐらいで、高価な物には手を出さない。

 むしろ、彼女たちが欲しがるような物――例えば綺麗な服や美味しい食べ物に関しては、自前で用意する物の方が余程良いので、欲しくないらしい。

「でもミーティア、お魚も果物も残り少ないんだけど、大丈夫?」

 ハルカが微笑みながらそう問いかけると、ミーティアは慌てたように首をブンブンと振る。

「だ、大丈夫じゃないの! ミーもラファンに帰りたいの!」

「あれ~? ミーティア、シャリアたちは良いの? お友達になったんだよね? お別れになっちゃうよ?」

 更に迷わせるようにユキが悪戯っぽく言うが、ミーティアは「ふふんっ!」と胸を張った。

「問題ないの! シャリアたちも連れていくの!」

「声を掛けたとは聞いていましたが……メアリちゃん、本当ですか?」

「はい、そのつもりのようです。私たちの話を聞いて、ここにいるよりも良いと思ったみたいで」

 人族以外が移住するときに一番気にするのは、やはり他種族に対する偏見だそうだ。

 俺が以前誘った時にも、彼女たちはそこを気にしていた。

 その点ラファンは、色々な町を見てきたアエラさんがお店を構えようと思うぐらいには偏見が少なく、人族以外でも暮らしやすい。

 欠点は依頼の種類の少なさだろうが、この町の冒険者――特に低ランクの冒険者も決して楽とは言えない。

 確かにラファンに比べると圧倒的に依頼の数は多いのだが、冒険者の数もまた多く、低ランク向けの仕事の依頼料は総じて低め。

 同程度の仕事であれば、むしろラファンよりも安いぐらいだろう。

 大きな町のメリットとしては、高ランク向けの依頼や、魔法などの特殊技能を持った冒険者向けの依頼が存在することだが、それはシャリアたちぐらいの冒険者には関係のない話である。

「ただ、自分たちだけで移動するのはやはり不安なようで、できれば一緒に行動したいみたいなんですけど……ダメでしょうか?」

「俺が誘ったわけだし、別に構わないと思うが……ハルカたちはどうだ?」

「別に良いんじゃない? あの三人なら危険はないだろうし」

「あたしも。シャリアたちは良い子だしね」

「はい。ずっとパーティーを組むのなら、もう少し考えますが、ラファンに戻る間ぐらいなら」

 メアリたちとは違い、ハルカたちがシャリアたちと一緒に仕事をしたのは数回程度だが、それでもおおよその為人ひととなりぐらいは判るし、彼女たちは全員が女の子。

 それでも強い相手なら警戒も必要だろうが、ランク差や人数差を考えれば特に問題はないと、ハルカたちは軽く頷いた。

「なら、一緒に戻るか。メアリ、シャリアたちに伝えておいてくれるか?」

「はい! それで、いつ頃帰ることになりそうですか……?」

「それはトーヤ次第だろうなぁ。合格したかという問題もあるが――」

「今後、トーヤがどうするつもりか、よね」

「これまで通り、あたしたちと一緒にやっていくのかな……?」

「えっ!? トーヤお兄ちゃん、いなくなっちゃうの?」

 ユキがポツリと呟いた言葉に、ミーティアが驚いたように声を上げた。

「判りません。トーヤくんがリアさんと結婚するなら、彼だけの問題じゃありませんから。もしかすると、この町に残るという選択肢を取るかもしれません」

 トーヤが実際に結婚できるか不明なこともあり、これまであえて話題にしていなかったが、奥伝の試験に合格したとなれば、俄然彼の結婚が現実性を帯びてくる。

 そうなれば当然、今後のパーティーの活動方針などについても、真面目に話し合う必要があるだろう。

「ナオさんは、トーヤさんから聞いていないんですか?」

「聞いてない。惚気だけは十二分に聞かされたが」

 この中で聞いている可能性が一番高いのは俺だろうが、ここ最近のトーヤとの話題は『リア、可愛い』と『奥義をどうやって習得するか』の二つのみ。

 その後のことについては、まったく話し合っていない。

「……ま、それもトーヤが合格してこそ。帰りを待とう」

 トーヤ抜きに話し合ったところで結論など出るはずもない。

 俺たちは一旦解散し、少しやきもきしながら、彼の帰りを待ったのだった。


    ◇    ◇    ◇


 トーヤが帰ってきたのは、その日の夕方のことだった。

 【索敵】スキルに馴染みのある反応が引っ掛かり、窓から外を見ればスキップするような足取りで近付いてくる獣耳の姿。無意識なのか、尻尾も嬉しげに揺れている。

 俺は思わず失笑、すぐに部屋を出て玄関へ向かうと、ちょうどトーヤが玄関扉を開けて入ってくるところだった。

「トーヤ」

 俺が声を掛けると、トーヤはこちらを見るなり破顔し、俺に向かってピースを突き付けた。

「ナオ! 合格、あーんど、婚約決定! いぇい!!」

「おめでとう。婚約ってことは、リアも合格したんだな?」

「おう! さんきゅー、お前のおかげだ」

「なに、親友のためだ。協力できることは協力するさ」

 俺だけハルカと幸せになって、ちょっと申し訳ないなー、と思ってたしな。

 まぁ、トーヤが独り身だったのは、獣耳に拘っていたからこそ。

 ある意味では自業自得で、同情の必要もないのだが。

「トーヤお兄ちゃん、おめでとう!」

「トーヤさん、おめでとうございます」

 俺たちの声が聞こえたのか、バタバタと二階から下りてきたのはメアリとミーティアの二人。

 それと前後して、ハルカたちの一介の台所から顔を覗かせた。

「トーヤ、合格したのね」

「おめ~。ご馳走が無駄にならずに済みそうだね」

「お、何か作ってくれていたのか?」

「はい、折角ですから、合格のお祝いに食事会でも、と」

 嬉しそうなトーヤにナツキが微笑むが、それを混ぜっ返すようにユキが「にしし」と笑う。

「もしくは、『トーヤ、残念だったね&また機会はあるよ!』の会?」

「不吉なこと言うな! 合格した! ちゃんと! それに、リアとの婚約も認められたわ!! ――あ~、けどそれについて、ちょっと話が」

 少し迷うように、何か言いかけたトーヤの言葉を、ハルカが手を上げて遮った。

「その話は食事をしながらにしましょうか。我慢できない子もいるみたいだし」

 そう言ってハルカがちらりと視線を向けたのは、ミーティア。

 お腹を押さえ、美味しそうな匂いがしている台所に顔を向けていたが、自分視線が向いているのに気付き、慌てたように首を振る。

「ミーは我慢できるの……!」

「別に我慢する必要もないぞ? トーヤの話も別に急ぐわけでもないだろ?」

 俺は健気なことを言うミーティアの背中に手を置いて問えば、トーヤは深く頷く。

「あぁ、全然問題ない。つーか、オレも腹減ったし? どんなご馳走があるんだろうな!」

 むしろ率先して台所に向かうトーヤの様子に、俺とミーティアは顔を見合わせてクスリと笑い、その後を追った。

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