第十四章 新たな道

442 奥伝 (1)

「父上、奥伝の試験をお願いしたいのですが……」

 アルトリアが師範にそう伝えたのは、トーヤの中伝試験が終わってから一ヶ月ほど後のことだった。

 それを聞いた師範は、その言葉を咀嚼するように数度瞬きをすると、眉を顰めて聞き返した。

「あん? あいつ、もう奥義を身に付けたのか?」

 トーヤの腕前から、近いうちに修得するだろうとは思っていた師範だが、それでも一ヶ月という期間は、彼の予測よりも大幅に短かった。

 とはいえ、中伝試験の段階で瞬動はおおよそ合格基準に達していたし、トーヤの経歴を洗って知った彼の冒険者ランクなどのことも考えれば、奥義を身に付ける素養は十分にある。

 一ヶ月間必死で頑張れば、不可能ではないかと考え直した師範だったが、続いたアルトリアの言葉はそれすらも裏切るものだった。

「えぇ。実のところ、トーヤだけならもっと前に修得できていたのですが、どうせなら私と一緒に合格したいと……」

 照れたようにはにかむアルトリアを見て、師範は目を剥いた。

「お前も習得したのか!?」

「はい。正直なところ、完成度はトーヤに劣りますし、トーヤたちに手取り足取り教えてもらったような感じなのですが……サルスハート流としては問題があるでしょうか?」

 少し不安げに尋ねたアルトリアに、師範は少し考えて首を振った。

「……いや、お前が一人で独立するつもりなら少々不安だが、トーヤと共にいるつもりなら、問題はねぇ」

 師範の娘であるアルトリアは、幼い頃から剣術の腕で頭角を現していた。

 それは師範という良い指導者が身近にいたことも然る事ながら、彼女自身の持つ素質、そして教えられたことを素直に吸収する性格の影響も大きい。

 だがその反面、独自性にはやや乏しく、自ら技術を発展させていく点に於いては不安が残る。

 そのことを危惧した師範は、アルトリアが中伝になって以降はあまり道場に顔を出さず、彼女自身で考えるように促していた。

 それから数年、真面目に修行に取り組み、試行錯誤を繰り返していたアルトリアではあったが、剣の腕は上がっても奥義の修得に関しては長期停滞。

 年齢的にもそろそろ結婚を考えなければいけない時期であるし、師範としても、どうしたものかと悩んでいたところに現れたのがトーヤであった。

 ただの冒険者とは思えない剣の腕と嫌味のない性格、アルトリアに対する好意、そしてアルトリア自身も満更でもなさそうな様子に少々焚き付けてみたのだが、その結果は想像以上だった。

「だがそれにしても、この短期間で本人のみならず、お前にまで習得させるとは……指導者としての能力がかなりたけぇのか?」

「どう……でしょうか。低くはないと思いますが、協力してくれる良い仲間がいることも一因かと」

 アルトリアが、奥義の練習にナオが果たした役割を説明すると、師範は少し納得したように頷いた。

「そっちか。コストを気にせずに何度も練習できれば、習得は早いわな。けど、まぁ、それも力の一つか。仲間から信頼される人格ではあるってぇことだ。お前を任せるのも安心できる」

「ち、父上――っ、こほん。それで、いつ頃であれば時間が取れるでしょうか?」

 師範がニヤリと笑い、アルトリアが少し恥ずかしそうに頬を染めたが、すぐに咳払いして居住まいを正した。

「そうだな……五日後、だな」

「解りました。伝えておきます」

 師範はしばらく考えてそう答え、アルトリアは小さく頷いて背を向ける。

 そして部屋を出て行く彼女を見送り、師範は小さく「準備を急がねぇとな……」と呟いた。


    ◇    ◇    ◇


 師範が指定した奥伝試験の日。

 いつもよりも少し早く目を覚ましたトーヤは、窓を大きく開けて息を吸い込む。

 空には雲一つなく、昇り始めた太陽の光がトーヤの晴れやかな顔を照らす。

「まるで、オレの前途を祝福してくれているようだ!! オレは今日、人生に勝つ!」

 トーヤは両腕を広げ、力強く宣言する。

 その声は非常に明るく張りのあるものだったが、それとは対照的に地の底から響いてくるように暗く重い声が、彼の後ろから聞こえた。

「……っざけるな、トーヤ。うるせぇ」

 朝日を避けるように布団を頭から被り、そんな恨めしげな声を漏らしたのは、この町で家を借りて以降、トーヤと同室となっているナオである。

 宿屋は早々に引き払い、少し広めの家を借りたナオたちではあったが、基本的に無駄遣いはしない彼ら。一人一部屋を確保できるような豪邸を借りたりはせず、メアリとミーティア、ユキとナツキ、トーヤとナオが相部屋、そしてハルカが一人部屋となっている。

 実のところ、ナオとハルカを同じ部屋に、という案もあったのだが、いくつかの駆け引きを経て、一番問題のなさそうなこの部屋割りに落ち着いたという経緯があったりするのだが、昨晩に関して言えば、ナオ的には問題大ありだった。

「お前、昨日何時に寝たか判ってるか?」

「すまん。オレ、時計持ってない」

 しれっと答えたトーヤに、ナオはガバッと布団から顔を出して叫んだ。

「そういうことを言ってんじゃねぇ! 明け方まで妄想を聞かされた俺のことも考えろと言っているんだっ!!」

 それは昨晩のこと。

 奥伝の試験を翌日に控え、トーヤは眠れない夜を過ごしていた。

 これが『試験前に不安で眠れない』というのであれば、ナオの反応もまた違っただろう。

 彼の人生に大きな影響を与える試験。

 不安な友人を気遣う優しさぐらい、ナオも持っている。

 だがトーヤの場合、さながら『遠足が楽しみで眠れない子供』であった。

 試験に合格することなど微塵も疑わず、彼が蕩々と語るのはアルトリアとの新婚生活について。

 トーヤとしては、待望の獣耳娘と結婚できる可能性が高いわけだし、当初こそ微笑ましさを感じながら聞いていたナオだったが、それが何時間も続くとなれば話は違う。

「……別に徹夜がキツいような年でもないだろ?」

「そうだな! 楽しいことならなっ!! だが、お前の妄想話は半ば拷問だ!」

 ナオもハルカという恋人がいる身。浮かれるのは理解できるし、多少の惚気話ぐらいなら聞いてやっても良いという心の広さも持ち合わせている。

 だが、眠たい深夜に、ウトウトする度に起こされて聞かされるとなれば、堪忍袋の緒も切れる。

 この昏い怒りで以て、『誘眠スリープ』のある闇魔法をなんとか習得できないかと、半ば本気で考えたほどである。

「妄想じゃなくて、未来予想図――」

「どっちでもいい! 起きるつもりなら部屋から出て行け。俺はもう少し寝る。お前ももう少し寝た方が良いんじゃないか? 寝不足で失敗しても知らないぞ」

「大丈夫だ。オレは今、過去最高に充実している!」

「あー、そーか、それは良かったな。それじゃ、Get Out!!」

「……へーい」

 力強い声と共に扉を指さすナオに、その本気を感じたのか、トーヤは肩を竦めてすごすごと部屋を出て行く。

 それを見送り、ナオは疲れたように深い息を吐くと、再び布団に潜り込む。

 必要な状況であれば多少の睡眠不足ぐらいは耐えられる。

 だが、その原因がトーヤの惚気話にあるとなると、精神的疲労感が酷い。

 今日の早朝訓練は休みにして、朝食まで寝ようと決めたナオだったが――。

「ふんっ! ふんっ! ふんふんっ! よしっ! いける! いけるぞっ!! オレは今日、人生の勝ち組だ!」

 ブンブンと剣を振る音と、トーヤの気合いが窓から入ってきて、結果としてナオの安眠は妨害されるのであった。


    ◇    ◇    ◇


 朝食が終わるなり、ナオに半ば蹴り出されるようにして家から追い出されたトーヤは、それでも機嫌良く、軽い足取りで道場へと向かっていた。

 既に通い慣れた道。周囲の景色も見慣れたものだが、そこを歩く人たちに獣耳が付いている。

 トーヤは今日も飽きもせず、周囲を観察しながらゆっくりと歩いていたが、それも道場が見えるようになるまで。

 その入り口で、どこかソワソワとした様子で待っているアルトリアの姿を見るなり、トーヤは笑みを深めて駆け出した。

「おはよう、リア!」

「あぁ、おはよう、トーヤ。調子はどうだ?」

 嬉しそうな笑顔でトーヤを迎えたアルトリアに、トーヤは深く頷く。

「絶好調だ! リアは?」

「私はちょっと緊張している。いつも通りにやれば問題ないとは解っているんだが……」

「そう気負うこともないだろ? 一発勝負ってわけでもないんだし」

「それはそうなのだが、今日失敗して明日再度、と言うわけにもいかないからな。あまり時間がかかれば、お前たちにも迷惑が掛かるだろう?」

 アルトリアはやや不安そうに尋ねたが、トーヤは胸を張って親指を立てた。

「オレならいつまででも待つ! ――が、さすがにそろそろ仕事をしないとマズいからなぁ。その場合は道場に毎日通えなくなるが許してくれ」

 ナオにもお金を借りてるしなぁ、とトーヤは内心呟く。

 パーティーメンバーの中では、元々所持金が少なかったトーヤだが、ヴァルム・グレに来て以降、他のメンバーが程々に仕事をしているのに対し、彼は道場に通うばかり。

 それに加え、奥義の修得のために特殊な木剣を何本も買ったり、道場の月謝を払ったりと消費も多いものだから、今ではミーティアよりもお財布が軽くなっている有様。

 いや、正確に言うならば、財布は軽いを通り越して空っぽで、逆に重いのがナオからの借金。

 一本三〇〇〇レアの木剣は、トーヤたちが普段使っている武器に比べれば安いものだが、消耗品として扱うには十分に高く、彼とアルトリアが奥義を修得するに当たって、トーヤの借金は順調に積み上がっていた。

 トーヤはそのことをアルトリアに伝えてはいなかったが、自分が折った木剣の数を考えれば、どれだけお金が掛かったかなど容易に想像がつき、アルトリアは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「こちらこそすまない。私がもっと上手くやれていれば、余裕があっただろうに……」

「なに、リアと結婚するためのコストと考えれば、安いものだ。これも男の甲斐性ってヤツだろ?」

「トーヤ……ありがとう」

 肩を竦めたトーヤに、アルトリアが嬉しそうに微笑み、二人の距離が少し近付くが、そこに割り込むように人影が落ち、呆れたような声が二人を遮った。

「おいおい、親の前であまりイチャイチャしてくれるなよ。目のやり場に困るだろうが」

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