401 翳る月 (6)

 正確性に欠ける地図頼りでは、【マッピング】スキルを持つユキを以てしても、泉を見つけるのはなかなかに困難な作業であった。

 だが訓練されたハルカたちにとって、オーク程度しか出てこない森を歩くことなど、散歩とさほど変わらない。

 昨日から降り続いている雨が小雨になってきたこともあり、不本意ながらも適度に肉の在庫を増やしつつ、かなりの速度で森を踏破し、数時間後には一つ目の泉を発見していた。

 だが――。

「かなり、濁ってるわね」

「泥塗れ?」

「湧いている水自体に土が混じっているようです」

 おそらくしばらく前までは綺麗であったと思われる泉の底には細かな土が積もり、全体的に茶色く汚れていた。

 これが雨による一時的な物であればまだ救いもあるのだが、メアリが看破した通り、そこから湧き上がっている水それ自体が汚れてしまっているため、これは水源の環境が変化してしまっていると考えるべきだろう。

「誰か知らないけど、もっと環境のことを考えなさいよ!」

「誰というか、ここの領主だよね、原因は。溜め池を作ったって言ってたし」

「為政者なら、もっと考えないと! 守るべき自然に手を加えるなんて!」

「いや、溜め池ぐらい作らせてあげようよ! ハルカ、別に環境保護原理主義じゃなかったよね?」

 やや呆れたように言ったユキに、ハルカはこくりと頷く。

「うん。自分に関係があるから言ってみただけ」

「酷いワガママを見た!」

「だって、私、人間も自然の一部だと思ってるから。人間がやることは特別って考え方、なんか違和感があるのよね。塩酸の雨が降ろうと、硫酸の雨が降ろうと、地球は残っていくんだから」

「うん、それ、生き物、絶滅してるけどね!」

「それも進化の一形態? そして、そんな環境でも生存可能な、新たな知的生命体が――」

「そんな地球は嫌だ! というか、言わんとすることはなんとなく解るけど、それ、今となっては関係ないよね?」

「ううん、そんなことないわよ。錬金術や魔法でも、使い方次第では結構なことが……。でも私は、仮に環境を破壊するとしても、必要があれば強力な魔法を躊躇なく使う!」

「今まで、躊躇したことあったかな!?」

「一応、森ではあんまり燃やさないようにしてたじゃない。自分たちが危険だからだけど」

「やっぱ、自分本位!」

「優しくする必要があるほど自然は弱くはないわ。……少なくとも、この世界では」

 『ふっ』と、遠い目で森を見つめるハルカ。

 そしてそれに賛同するのが二人。

「ですよね? 自然は戦うものですよね?」

「気を抜いたら死んじゃうの」

「シビアな意見! でも納得。下手に森に入ったら死ぬもんねぇ」

 実際、町から一歩出れば危険はそこら中に存在し、森での死亡事故なんて珍しくもない。

 つまり、自然は脅威であり、克服すべき敵。

 この世界で生きてきたメアリたち二人からすれば、『自然を守る』なんてことは、まったく理解できない考え方なのだ。

 ちなみに、ハルカから『もっと考えないと』などと言われたオーニック男爵だが、実は結構考えていたりする。

 正確に言うなら、『影響を受ける領民、およびオークなど魔物のことを』なので、『自然を守る』なんて考え方とは少し異なるのだが、それでも溜め池による周囲への影響が極力少なくなるような配慮はきちんと行っている。

 その大きな理由の一つは、オーニック男爵領の産業にある。

 オーク肉の輸出。

 それがこの領地の重要な産業であり、屋台骨なのだ。

 それ故、オークが完全に駆逐されてしまうと困るのは当然として、増えすぎても困るし、生息環境に大きな変化が起きて、人里が襲われるようなこともまた困る。

 しかし、農地を広げるためには溜め池も必要。

 それらを勘案し、それなりにしっかりと調査をした上で溜め池の造成を行った結果が、ハルカたちの見つけた泉の現状。

 ハルカからすれば許容できない変化だが、オーニック男爵としては許容範囲の変化である。

 ちなみに、オーニック男爵が農地開発に着手した遠因には、ハルカたちも少なからず関係があるのだが、それを知らないハルカたちからすれば、主犯はオーニック男爵一人である。

「はぁ……。ここで顔も知らない貴族に文句を言っても仕方ないわね。ユキ、気を取り直して次に行きましょ」

「だね。幸い、候補の泉はたくさんあるから」

 無駄な雑談で気分転換を終えたハルカたちは、ユキを先頭に再び移動を始めた。


「今度は簡単に見つかったね」

 次の泉に辿り着いたのは数十分後。

 最初の泉を見つけるのに掛かった時間と比べれば、格段に短い。

「でも……この泉もダメなの」

 泉を覗き込んだミーティアが、やはり濁って見通しの利かない水に、口を「むぅ」と曲げて残念そうな表情になる。

「はい。……もしかすると、潜ってみたら生えているでしょうか? 私、入ってみましょうか?」

「ありがとう。でも必要ないわ。この水じゃ、仮に生えていたとしても薬草としての効果は期待できそうにないし」

「そうですか」

 ハルカの言葉に、メアリが残念さと安堵が混ざったような声色で息をつく。

「すぐに次の泉に向かいましょ。ユキ、大丈夫かしら?」

「うん。もしかするとこの地図、泉の位置関係に関しては、結構正確かもしれない。それなら――」

「泉を見つけるのは楽になる?」

「そう。今回がたまたまじゃなければ。もし正確だとすれば、作った人は結構凄いかも?」

 見通しの利く平地ならまだしも、森の中は見通しが利かないのはもちろん、木々が邪魔してまっすぐ歩くことすら難しい。

 そんな場所で正確な位置関係を把握することなど、考えるまでもなく困難である。

 ユキのように【マッピング】スキルと、設置した転移ポイントの位置を把握できる空間魔法の能力の合わせ技があれば別だろうが、そんな能力を持っている人などほとんど存在しないのだから。

「……うん、ちょっと期待できない気もするね。でも、取りあえずは地図を信じて行ってみよう!」


 ユキからすれば少々予想外なことに、ギルドで写した地図は、泉のかなり正確だった。

 ただし、道中の経路に関してはまったく別。

 まっすぐは通り抜けられないような難所にも幾度か遭遇しつつ、キウラに近い泉から確認していったハルカたちは、四つめにして綺麗な泉を発見していた。

 だがそこに目的の物は存在せず。

 それからも泉を探し続けたハルカたちだったが、彼女たちがそれを見つけるまでには、一晩挟んで更に三つの泉を訪れる必要があった。

「あっ! 赤い花が水の中で咲いてるの!」

 最初にそれを見つけたのは、泉に着く度に最初に駆け寄り、中を覗き込んでいたミーティアだった。

 その言葉に、ハルカたちも顔を見合わせてすぐに泉に近付いてみれば、確かに泉の底には赤い花らしき物が見えていた。

 だが、水面から判るのはそれが赤い花というだけで、本当に目的の物かは判断しづらい。

「ユキ、どう?」

 慎重にそう訊ねたハルカに、水面に顔を近付けてじっと見ていたユキは、困ったような表情で首を振った。

「ゴメン、この距離じゃ【鑑定】が効かないみたい。特徴を考えると間違いないと思うけど……」

「なら、採ってくるしかないわね。ちょっと行ってくるわ」

「あの、私が行きましょうか?」

 すぐに装備を脱ぎ始めたハルカに、メアリが遠慮がちにそう声を掛けるが、ハルカは首を振る。

「ありがとう。でも、泳げた方が安心だから。『防雨アボイド・レイン』と『水中呼吸ブレス・ウォーター』を使って……ちょっと寒いわね」

 下着姿――の一歩手前まで服を脱いだハルカが、腕をさすって少し身体を震わせる。

 雨こそ既に上がっていたが、春先にしては少し気温が低く肌寒い。

 そんなときに薄着になれば、水に入らずとも寒いのは当然だろう。

「あ、それじゃ、あたしが『防冷レジスト・コールド』を使うね。というか、『防雨アボイド・レイン』って、水中でも効果があるの?」

「あぁ、寒くなくなったわ。ありがとう。『防雨アボイド・レイン』は水を避ける魔法だから、効果はあると思うんだけど……」

 そう言いながらハルカは泉の中に手を差し入れ、引き抜いた手が濡れていないのを見て頷く。

「……大丈夫みたいね。服が濡れずに済むのはありがたいわ」

「そうなんだ。でもさ、なら防具も脱ぐ必要はなかったんじゃ?」

「ユキって、鎖帷子を着ていても泳げる人? 私は試してみようとは思わないけど」

「あ、そうだね。ちょっと重いか」

 ちょっとではない。

 もちろん、フルプレートの金属鎧とは比べるべくもないが、ハルカたちの着ている鎖帷子はベストタイプではなく、長ズボンと長袖で全身を覆うタイプ。

 軽く一〇キロを超える重量を身に着けたまま泳ごうと思えば、それなりの訓練が必要だろう。

 安全なプールならともかく、自然環境で試すものではない。

「それじゃ、潜って取ってくるわね」

「うん、気を付けて」

「「気を付けてください(なの)」」

 見送るミーティアたちにハルカは頷き返し、採取したオッブニアを入れるための桶を手に泉の底へ向かって水を蹴った。

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