303 崖を下る (2)

 最初に俺たちの後に続いたのは、ユキだった。

 これは、事前に決めていたとおり。

 時間を空けると、再度飛んでこないかという確認のためと、万が一飛んできても、ユキなら防げるという判断。

 だがその懸念は無用だったようで、ユキは襲撃を受ける事もなく俺たちの隣へ降り立つ。

「ふぅ、少し緊張した」

「お疲れ。っても、ユキも『隔離領域アイソレーション・フィールド』が使えるんだから、もし飛んできても大丈夫だろ?」

「あたしので防げるか判らないもん! ナオのは堅いけどさ」

「……まぁ、消費魔力に比例するしな、強度は」

 俺もフライング・ガーを防ぐ時、どれくらい魔力を使うか悩んだし。

 不要になって解除したところで、消費した魔力が戻ってくるわけではないのだから、不必要に強固な障壁を作っても、魔力の無駄使いである。

「けど、同じ場所に飛んで来ないのは間違いないみたいだな。……どのぐらいの間かは不明だが」

「そうだね。これも、ダンジョンの罠みたいな物なのかな? 一度発動すれば、復活まではしばらく時間が掛かるタイプの」

「お魚、もう飛んでこないの?」

 少し残念そうなミーティアに、俺とユキは苦笑する。

 吻の凶悪さにさえ対処できれば、ある意味、待っているだけでお魚食べ放題である。

「ボスが復活するみたいに、こちらもしばらくすれば復活すると思うぞ?」

「だよね。ボスと同じなら数週間ぐらいかな? でも、罠だったら数日ぐらい?」

「良かったの!」

 そう言って嬉しそうに笑うミーティアを見て、俺たちは再び苦笑。

 トーヤはこの魚で結構危険な目に遭ったのだが、それはそれとして魚が得られる事を喜べるあたり、ミーティアは相当に逞しく、かなり冒険者に向いている性格かもしれない。

 ユキに続いて降りてきたのはメアリで、その後からナツキ、ハルカ、最後はトーヤ。

 ただしトーヤは、縄梯子を回収して、ロープのみの懸垂下降。

 トーヤの使ったロープはこのまま置いておく予定である。

「無事に着いたわね。えっと、ここは……」

 二〇メートルあまり降りてきたわけだが、あまり景色に変化は無かった。

 相変わらず谷の底は見えないし、滝も規模が大きすぎて、この程度の高低差では見え方も変わらない。

 岩棚の奥からは岩壁をえぐるような形で細い道が続いているが、ここは岩が庇になっているために、上からは見えなかった部分。

 雨が降っても濡れる心配が無い点は良い通路と言えるかもしれないが――いや、そもそも雨って降るのか? ダンジョン内で。

 普通なら『あり得ない』と言うところだが、上を見れば雲のような物も見えるだけに、ないとも言い切れない。

「あの通路を進んで、先があるのか、また行き止まりで、崖を降りる事になるのか……」

「あたしは、また崖を降りる方だと思うかな? パターン的に」

「同じタイプの罠? が一回で終わりというのは無さそうに思えますね」

 ユキの言葉にナツキが頷き、トーヤも滝の上部を指さして口を開く。

「せっかく、ロケーションが良いわけだしな」

 フライング・ガーが飛んでくるのは、トーヤの指さした滝の上部、水が落ち始める場所。

 そこから真っ直ぐに射線が通っているからこそ、高速で突っ込んでこられるわけで、あれがゆっくり飛んできたら、脅威でも何でもない。

「あんまり嬉しくもねぇけどな」

 肩をすくめて苦笑したトーヤだったが、それに異を唱える声が。

「でも、お魚はたくさんなの!」

 たくさんの魚が詰まった袋を覗き込み、ニコニコ顔でそう言ったのはミーティアである。

 そんなミーティアの後ろから、そっと覗き込み、やはり嬉しそうなのはメアリ。

 俺たちと来るまでは、魚を食べた記憶が無いという二人だったが、たまに食卓に上る魚は凄く気に入っている様子で、それと同じ物をこの魚にも期待しているのだろう。

 まだこの魚が美味いと決まったわけじゃないのだが……ま、楽しめるのは良い事か。

「これならきっと、毎日食べられますね!」

「うん! 二匹ずつ食べても、当分は食べられるの!」

 そんな二人の様子に、俺たちは顔を見合わせて笑った。


    ◇    ◇    ◇


 幸か不幸か、トーヤの予想は的中した。

 しばらく歩くと、通路はやはり行き止まりとなっていて、崖下を観察すれば、岩棚が何カ所か。

 先ほどと同様の方法で下に降りれば、革袋の魚が増える。

 ミーティアたちの笑顔も眩しい。

 なので、彼女たちにとっては幸運なのだろう。

 もちろん俺たちも、あごだしに期待していないわけでは無いのだが。

 そんな事を更に三度ほど繰り返して、下に降り続けた俺たちだったが、谷底が見えないのは相変わらず。

 一体どんだけ高いのかと。

 少しずつ、霧が深くなっているように感じるので、底に近づいているのは間違いないのだろうが、一カ所ごとにロープが減っていくのが、気になると言えば気になる。

 今回、ここを訪れるにあたって、銘木を売ったお金で十分な準備は整えて来ているし、ロープもかなりの数を揃えてはいるのだが、当然ながら無限にあるわけではない。

 丈夫なロープは高価だし、ラファンで売られている数にも限りはあるのだ。

 命を預けるのに、安物を買うわけにもいかないからな。

「そろそろどうするか、考えるべきかもしれないわね。だんだん暗くなっているし」

 何故か見える太陽っぽい物が傾き、夕暮れの気配がしてきたところで、ハルカがため息をつきつつ、そんな提案をした。

 何か区切りとなる物があれば、俺も言おうとは思っていたのだが、変化が無いだけに機を逸していたところ。

「そうですね。ここで野宿というのは、少し厳しいですから」

「ますます水気が強くなっているからな」

 最初の岩棚は、風に吹かれて細かな水しぶきが飛んできている、という感じであったが、この辺りになると、周囲はもう完全に霧に沈んでいた。

 濃霧と言うほどではないのだが、それでも視界が悪くなっている事は間違いなく、【索敵】で感知して、避ければ良いだけのフライング・ガーに対し、アローヘッド・イーグルを撃ち落とす事には、少し苦労するようになっていた。

 もっとも、フライング・ガーの数がほぼ一定なのに比べると、アローヘッド・イーグルは、崖を下りる度にその数を減らしていた。

 先ほど崖を降りた時には、一度に一羽、二羽しか飛んでこなかったので、さほど問題にはなっていないのだが。

 それよりも問題なのは、身体が濡れる事。

 時々、ハルカが『浄化ピュリフィケイト』で乾かしているのだが、乾いた状態なのは僅かな時間。

 またすぐに、全身ずぶ濡れ、雨に降られたような状態になってしまう。

 暑ければ『これもまた良し』なのかもしれないが、今の気温は過ごしやすい気温。

 逆に言うなら、濡れ鼠になってしまうと、普通に寒い。

 これが地味に体力を奪うし、濡れた状態では足下も手も滑りやすくなる。

 特に毎回ロープで懸垂下降する事になるトーヤは、苦労していた。

 途中からは全員外套を着込んで、内側まで濡れないようにしているのだが、霧というのは案外厄介な物で、完全には防げないのだ。

 しかも、外套を着込んでいる事で、行動も阻害される。

 当然ながら、こんな状態で野営などしてしまうと、体力を回復するどころの話じゃなく、下手をすれば体調を崩して、風邪をひく。

「……ねぇ、これって、この長い崖を含めての罠なのかな? 温かく休めるところが無い上に、戻るのにも体力が必要。かなりキツくない?」

 ユキが少しうんざりしたようにそう言うと、降りてきた崖の高さを見上げ、更に下を見下ろして底が見えない事に、ため息をつく。

「そうね。私たちの場合、魔道具の快適テントがあるから、まだマシだけど……」

「だからこそ、あそこで出たんじゃねぇの? 快適テント」

「先に進むのに必要なアイテムだから、か。ありがちではあるな。ゲームでは」

「この状態では、火を熾すのにも苦労しそうですよね。……私たちはともかくとして」

 普通に薪を持っていれば濡れてしまうだろうし、火口も湿りそうなこの状況では、普通の火打ち石で火を熾す事も難しい。

 つまり、焚き火で身体を温める事も難しいわけで。

 俺たちは薪をマジックバッグに入れてあるため、乾燥したままだし、魔法を使えば火起こしも可能。大分恵まれている。

「薪はたくさんあるの!」

「お魚、焼きますか?」

 救いなのは、ミーティアたちが元気いっぱいな事か。

 お魚たっぷりなのが嬉しいのか、獣人故に基礎体力が違うのか、体格的には同じぐらいなのに、俺たちの中で一番グロッキー状態のユキと比べると……。

 まぁ、ユキの方は魔法を使っているだけに、体力面よりも精神的な疲労感の方が強いのかもしれないが。

「それは、二〇層に戻ってからにしましょ。その方が安心して食べられるし」

「もう戻るのか?」

「あと一回ぐらいは降りられそうですが……」

 ハルカの提案にそう言ったのは、トーヤとナツキ。

 対してユキは、小さく息を吐くのみ。

「ユキは大丈夫か?」

「んー、あと一回ぐらいなら? ただ、戻る時はナオの転移に便乗させてね?」

「了解。距離もさほど遠くないし、大丈夫だろ」

 魔力の消費量は俺も多いのだが、エルフと人間の違いか、ユキよりは余裕がある。

「それじゃ、もう一回降りてから、二〇層に戻って野営にしましょ。お魚も焼いて、ね」

「やったー、なの!」

 素直に喜びを表すミーティアと、控えめながら笑みを浮かべて嬉しそうなメアリ。

 そんな二人に和みつつ、下の岩棚を確認して降りる。

 既に数度繰り返し、慣れた作業。

 ルーチン化し、各自の役割もおおよそ固定されてスムーズに事が進む。

 だが、それがマズかったのか。

 異変が起きたのは、ナツキが降りている時だった。

「――えっ?」

 縄梯子を固定している上部の岩壁が、突如崩れた。

 宙に浮くナツキの身体。

 岩棚からの高さは一〇メートルあまりだろうか。

 現在の身体能力であれば、怪我はしても死ぬ事は無いだろうが、問題はそこでは無い。

 ナツキの上から落下してくる、崩落した岩の塊。

 それの下敷きになっても大丈夫、なんて事はあり得ないだろう。

 彼女が悩んだのは一瞬。

 薙刀を岩壁に叩きつけ、岩の落下地点から身体をずらす。

 それによって岩の脅威からは逃れられたが、その代償は、岩棚の上から外れるという事。

 そのまま落下すれば、崖下へ一直線。

 俺はハルカやユキに視線を走らせ、その位置を確認。

 うん、無理。

 俺は即座に、横を落下していくナツキに向かって跳んだ。

 タイミング的にはギリギリ。

 かなりの加速度が付いたナツキの腕を掴み、引き寄せる。

「ナツキ! しがみつけ!」

「はい!」

 ナツキの両手が俺の背中に回ったのを確認し、俺はナツキのハーネスをしっかりと両手で掴む。

 だが俺も、命綱を付けていたわけでは無い。

 ミスと言えばミス。

 だが、命綱を付けていたらいたで、ナツキを掴む事もまたできなかっただろう。

「ナオーーー!!」

 ハルカの叫び声が響く中、俺はナツキを抱き締めたまま、深い霧の中へと落ちて行った。

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