第十章 身の丈

304 一時帰還へ (1)

 轟音を立てて岩棚の上に落下する岩塊。

 響くハルカの叫び声。

 そして落下していく、ナオとナツキ。

 それらがほぼ同時に起こった。

 崖の崩落時、岩棚の内側の庇状になっている通路側に避難して、難を逃れたハルカたちだったが、それはナオから、そして落下するナツキから距離を取る事でもあった。

「ナ、ナオお兄ちゃんが、落ちちゃったの!」

「わ、わわ、ど、どうしましょう!?」

 血の気の引いた青い顔で、あわあわと慌てた様子を見せるメアリたちに、ハルカはフッと息を吐くと、静かに答える。

「落ち着いて。ナオは落ちたわけじゃないわ。自分で跳んだの」

「……何も考えずに跳んだりはしない?」

「えぇ。ナオは考え無しじゃない。それぐらいは信頼できるわ」

 声色こそ落ち着いて聞こえるものの、そんなハルカの顔色は悪く、その手は強く握りしめられている。

 そして、崩落した岩壁による土煙が晴れると同時に、岩棚の縁に駆け寄ると、下を覗き込んだ。

 だが、そこに見えるのは白い水煙のみ。

 ナオとナツキの姿はまったく見えない。

 解っていた事だろうが、改めて現実を見せつけられ、ハルカがより強く拳を握る。

 そんなハルカの拳を、隣に立ったユキがそっと握り、力を緩めるように撫でると、ハルカは首を軽く振って深呼吸すると、ユキの手を握り返した。

「落ち着いて、ね?」

「えぇ、解ってるわ。解ってる……」

 ユキよりもむしろ自分に言い聞かせるように繰り返すハルカに、後ろから声が掛かった。

「どうだ?」

 その声にハルカが振り返ると、そこにはいつの間にか降りてきていたトーヤが立っていた。

「トーヤ……早かったわね」

「そりゃな。あんな状況だからな。即座に降りて来たさ。縄梯子は、あの下だがな」

 困ったように背後を指さしたトーヤは、深くため息をつく。

 先ほど崩落したのは、縄梯子を固定していた部分であり、そこがそのまま落下すれば、縄梯子がその下敷きになるのは当然だろう。

 もちろん、一部は見えているのだが、回収するためにはトーヤの身長よりも高い岩塊をどかせる必要がある。

「どうする? 一番長いロープを使って、オレが一気に降りてみようか?」

「それは……」

 真剣なトーヤの顔と崖下を見比べ、暫し瞑目したハルカはゆっくりと首を振った。

「ナオがいない状況で、それはすべきじゃないわね。【索敵】の方はトーヤもできると思うけど、フライング・ガー、それに未知の敵。リスクが高すぎる」

「そうか。――落ち着いているな?」

「それが私の役目と自認してるから。ここで取り乱すようじゃ、ナオにも顔向けできないわ」

 そう言いながら、ハルカは気を落ち着かせるように自分の左手、その薬指のあたりを撫でる。

「あたしとしては、多少は良いと思うけどね。それでハルカ、ナオは考えがあって行動した、と言ってたけど……?」

「えぇ。この階層がこんな状況だと解った時点で、私とナオは、かなり力を入れて『空中歩行ウォーク・オン・エア』の練習をしてたの。まだ不完全だけど、落下速度を緩めるぐらいの事はできるはずよ。――私の方が得意だから、本当は私が跳ぶべきだったんだけど」

「場所が悪かったよね。それにハルカ、ナツキの二人と、それ以外とに分かれると、バランスが悪いから、ナオが行って正解じゃないかな?」

「そうだよな。時空魔法使いと光魔法使い、ちょうど二人ずつに分かれたわけだろ? 不幸中の幸いってヤツだろ。ナオの転移魔法ですぐに戻ってこられるんじゃねぇ? 生きていれば」

「トーヤお兄ちゃん!!」

「トーヤさん、酷いです!」

「うぐっ!」

 不必要な言葉を付け足したトーヤに、即座に年少組二人から抗議が入った。

 言葉だけじゃなく、物理的にも。

 子供のパンチと言うにはちょっと力強いその威力に、トーヤは少しうめき声を漏らし、腹を押さえる。

 鎖帷子だけに、衝撃に対してはそこまで強くないのだ。

「まぁまぁ、二人とも。トーヤも悪気は無いんだから……無いわよね?」

 ちろり、とハルカから視線を向けられ、トーヤはブンブンと頭を高速で上下に振る。

「まったく。トーヤはタイミングが悪いんだから。……とりあえず、ここに転移ポイントを埋めておこうかな。もしかしたら、入口の方へ戻ってくるかもしれないけど」

「そうね。一先ずはここで待ってみましょう」

「そいじゃ、オレは縄梯子を掘り起こすかぁ。壊れてなければ良いんだが……」

「チェックは必要でしょうね、ワイヤーとは言っても、岩の下敷きになってるわけだし」

「トーヤ、頼める? 本当は、あたしの魔法を使うのが良いんだろうけど……」

「任せろ。魔力は温存しないとな。一番デカい岩は厳しいが……砕けなかったらその時は頼む」

「了解」

「ミーも手伝うの」

「私も手伝います」

「おう。それじゃ、手を詰めたりしないように気を付けてやっていこうな」

 崩れてきた大きな岩は幅一メートル、高さ二メートルほどもあるが、大半は一抱えほどの岩。

 そんな岩でも、バランスが崩れて手足の上に落ちれば、骨折は免れない。

 まずは全体を見て、どこから手を付けるべきか、と考えるトーヤに、ハルカから声が掛かった。

「トーヤ、間違ってもその岩、下に投げたりしないようにね?」

「――おっと、そうだったな。うん。もちろん解っているぞ?」

 そうだった、とか言いながら、解っているも無いと思うが、ハルカはその事にツッコミはせず、腕を組んだままじっと崖の下を見ている。

 そんなハルカの様子に、トーヤとユキは顔を見合わせ、無言で肩をすくめると、メアリたちと手分けして、岩を通路の方へと移動させていく。

 そして一番大きな岩に関しては、トーヤが蹴り倒した事で二つに割れ、何とか魔法を使わずに対処する事ができた。

 そうやって回収した縄梯子ではあったが……。

「少し、怪しいか?」

「うん。これに命を預けるのは、ちょっとだけ不安かも?」

 左右のワイヤーが切れていたりはしないのだが、足を乗せる金属製の横木、これが何カ所か曲がり、ワイヤーにも傷が付いているため、安全性に関しては少々疑問がある状態になっていた。

「これは補修――」

「しっ!」

 縄梯子を検分していたユキとトーヤの会話を、ハルカが口に指を当て、鋭く制す。


 ピーーッ、ピーーッ。


「来た!」

 聞こえてきたのは甲高い笛の音。

「二回。無事みたいだね!」

 ユキがほっと息を吐き、ハルカの険しい顔も少し緩む。

「ええ。笛、役に立ったわね」

「ナオが提案した時は、使わねぇと思ったんだけどなぁ……」

 ナオの提案によって、万が一にはぐれた場合に備え、各自が持っている笛。

 それを鳴らす数によって、意思疎通が図れるようにハルカたちは事前に合図を決めていたのだ。

 原始的にも思えるが、通信魔法なんて便利な物は無いので、実のところ、笛というのは案外優秀な通信手段である。

 キロ単位で音が届く上に、きちんとした物を作ればかなり音が響く。

 今も滝の轟音が聞こえる中で、しっかりと届いているのだから、その機能性は十分と言える。

 ちなみに、彼女たちが決めていた合図は、三回がSOSの要救助、二回が無事を知らせる合図、一回がただの合図。

 それ以外、モールス符号のように長短で何種類か決めている合図もあるのだが、それをある程度でも覚えているのはハルカぐらいで、ナツキやユキですら対応表を見なければさっぱり解らないという状態である。

「でも、良かったの!」

「はい! ――あ、返答しないと!」

「そうね! えっと……トーヤ、お願いできる?」

「おう。二回で良いんだよな?」

「えぇ」

 笛を取りだしたトーヤがそれを手に、ハルカに確認を取ると、彼女はすぐに頷いた。

「それじゃ……」

 トーヤが大きく息を吸い込み、聞こえてきた笛の音と同様、二回大きく吹き鳴らす。

「ふぅ……。これでしばらくすれば、戻ってくるか」

「たぶんね! 笛が聞こえる距離なんだから、ナオならナツキを連れて転移できるはずだもん」

 力強く言ったユキに、ハルカも少し安心したように息をついたわけだが……。


「来ないじゃない!」

「いや、それをあたしに言われても困るんだけど……」

 最初の一、二分は機嫌良さそうに待っていたハルカだったが、それを過ぎると少し焦燥感を浮かべて足を動かし始め、五分を過ぎてついに我慢が切れた。

「どういう事? もしかして、ナオの魔力不足……?」

「それもあり得るかもね。『空中歩行ウォーク・オン・エア』ってまだ不完全なんでしょ? 魔力消費もバカにならないよね」

 分不相応の魔法を使うと、しばらく動けなくなるほど魔力を消費してしまう事は、魔法使い組には良く知れた事。

 その事をハルカも思い出す。

「なら、当分は戻って来られない……?」

「ハルカさん、笛で二回の合図があったんです。そこまで心配しなくても大丈夫では?」

「ナオお兄ちゃんとナツキお姉ちゃんなら、きっと大丈夫なの! トーヤお兄ちゃんとは違うの!」

「……そうよね」

 年少組に諭され、再び落ち着きを取り戻すハルカに対し、トーヤは愕然と顎を落とす。

「何という逆の信頼感! オレってそんな扱い!?」

「魔法が使えるかどうかって事でだよ。ね、ミーティア?」

「え? ……う、うん! そうなの!」

 ユキに訊ねられ、慌てたようにミーティアが頷く。

 きちんと空気が読める幼女。さすがである。

「絶対違うし!」

 だが、残念ながらトーヤには通じなかったらしい。

 当たり前である。

「……まぁ、オレが落ちるよりも、確実に生存確率は高いと思うけどよ~」

 少し不満そうながら、冷静さや状況判断に関して、ナツキたちに勝っているとの自信は無いのか、トーヤはぼやきつつも、それ以上は言わず、崖の上を見上げた。

「ナオたち、もしかして、入口の方へ戻ったんじゃないか? これを終えたら、二〇層に戻るって話してただろ?」

「その可能性もあるわね。ユキ、お願いできる?」

 ハルカは『できる?』と質問の形式を取っているが、その視線はむしろ『できないとは言わせない』である。

 そんな視線を向けられたユキは、コクコクと頷き、肯定するのみ。

「が、頑張る! 魔力は少ないけど!」

 すぐにユキの周りに全員が集まり、ユキが魔法を発動させようと、目を瞑り、意識を集中する。

 だが――。

「……あれ?」

「どうしたの?」

 目を開けて不思議そうに、そして少し焦ったように小首を傾げたユキに、不安そうに眉を寄せたハルカが訊ねる。

「えっと……転移、できない、かも?」

 乾いた笑いを浮かべて、ユキはそう答えた。

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