295 月下の逢瀬
昼過ぎから始まったパーティーは、日が落ちる頃にお開きとなった。
まるで欠食児童であるかのように食べまくっていた子供たちも、さすがに半日も食べれば満腹になったのだろう。
テーブルの上の料理はまだ残っていたが、終わり頃には手を伸ばす子供はほとんどいなくなっていた。
イシュカさんは『これで二食分浮きました』とか笑顔で言っていたので、本当にお昼ご飯は欠食だったらしい。
せっかくなので、残った料理も渡してお引き取り頂いた。
職人三人は用意していた酒を飲み干しても、しっかりとした足取りで帰って行ったが、ディオラさんの方は、やはり『酔っていない』と言いつつも、なんだか怪しかったので、トーヤを付けて送り返す。
俺とハルカ、それにナツキは後片付け。
メアリとミーティアも手伝うと言ったのだが、はしゃぎすぎたのか、眠たそうな様子が見て取れたので、寝るように言って部屋に帰した。
実際、片付けと言っても、あまり手間は掛からないしな。
食べられる物は全てイシュカさんに押しつけたので、残飯をコンポストに放り込んでしまえば、後はハルカとナツキが『
そのまま食器とテーブルを片付ければ終わりである。
そしてあらかたの作業が終わった時に、俺はハルカに声を掛けた。
――今夜、少し時間をもらえるか、と。
◇ ◇ ◇
日が完全に落ちた頃。
俺は玄関の前に立って、ハルカのことを待っていた。
月明かりの下、夜の冷たい空気を大きく吸い込み、深呼吸をする。
やがて静かに玄関の扉が開く。
そこから出てきたハルカが、俺の隣に立った。
「待たせた、かしら?」
「いいや。空を見ていたからな」
空には雲も無く、満月に近い月が静かに光を落としている。
この一年で少しは見慣れた星々も輝いているが、明るい月の光に隠されて影が薄い。
「月が、綺麗だな」
「……なに? 『死んでも良いわ』と答えれば良いの?」
思わず漏らした俺の言葉に、ハルカが微笑みを浮かべて応じた。
そんなハルカに俺もまた、笑みを返す。
「ふっ、違うさ。単にそう思っただけだ」
「月じゃないけどね、厳密に言うと」
「そうだな。しかも二つあるしな」
そう、実のところ、俺たちのいるこの世界には月が――正確には衛星が二つあった。
ただし、二つの衛星が同時に見えることは無く、見た目も、大きさもほとんど違わないため、教えられるまで気付かなかったのだが。
いや、正しくは『大きさが違って見えるな?』とは思っていたのだが、地球で見ていた月だって、『今日の月は大きく見える』とか普通に経験していたので、まさか本当に違う衛星だとは思わなかったのだ。
「今日は、大きい方の月だから、明るいわね」
「少しだけな。だが、今日はその事に感謝したい気分だ。――おかげで、ハルカの綺麗な顔がよく見える」
月明かりに煌々と照らされたハルカの碧眼が、少し意外そうに瞬いた。
「どうしたの? らしくないけど」
「たまには良いだろう? そういう気分なんだ」
「そう、ね。私も女だし、嬉しくないとは言わないわよ?」
俺に肩を預けるように立ち、ハルカもまた、俺の隣で空を見上げる。
「こちらに来て、一年経ったな」
「そうね。今日、その事を祝うパーティーをしたからね」
「だから、ちょうど良い機会かと思ってな」
「……何の?」
不思議そうに俺を見上げるハルカの前に、俺は小さな木箱を差し出し、蓋を開ける。
その中には二つの指輪が並べられていた。
月光に静かに輝く指輪を見て、ハルカが息をのむ。
「……これは、エンゲージリング、という事で良いのかしら?」
「あぁ。今はまだ無理だが、色々落ち着いて、のんびりと暮らせるようになったら……俺と結婚、してくれるか?」
「えぇ、良いわよ」
かなりの勇気を振り絞り、俺が押し出した言葉に対して、ハルカはサラリと答えを返した。
僅かな躊躇も無く返ってきた言葉に、俺は暫し言葉を忘れる。
「……あっさり答えたな」
「あら、悩んだ方が良かったの?」
「いや、じらされたら、それはそれで嫌だが……俺の決意が、その、な?」
これでも結構悩んだのだ。
今言うべきなのか。
なんと言うべきかなのか。
どういう場面で言えば良いのか。
だから、ハルカからあまりにも普通に返答されてしまい、何というか拍子抜けしてしまったのだ。
そんな俺の心情を理解してか、ハルカは優しげに微笑む。
「正直に言うと、日本にいた時から、
「そうなのか……?」
「気付いていなかった? ――そんな事、無いわよね?」
「ま、な……」
いくら幼馴染みとは言え、日が落ちても俺の部屋に居座るとか、ちょいちょい料理を作ってくれるとか、思春期を過ぎた単なる幼馴染みがやるはずもない。
実際、トーヤもほぼ同じ頃からの幼馴染みだが、ハルカはそんな事をやっていないわけで。
これで『気付いていませんでした』とか言ってしまうと、俺は難聴系主人公を超える逸材になってしまう。
「でも、できればもうちょっとロマンチックな、プロポーズの言葉を聞きたかったところだけど」
「それは、俺に期待しても無理な部分だな」
「うん、解ってる。そういう、飾らない部分も嫌いじゃないわよ?」
「それは……ありがとう。俺の事を理解してくれて」
まったく考えなかったわけじゃなかったのだが、下手に取り繕って失敗するよりも、素直に言えば良いかな、と思ったのだ。
それぐらい、俺たちの間には共に過ごした時間がある。
「それじゃ、せっかくだから、ナオがはめてくれる?」
「解った」
俺は指輪を手に取ると、ハルカが差し出した左手、その薬指にそっと指輪を嵌めた。
スッと入った指輪は俺が手を離すと、ハルカの指にフィットするサイズへと形を変える。
「あら、ピッタリ……じゃ、ないわね。これ、ユキ?」
「あぁ。ユキが『アジャスト』を付加してくれた。『せっかくだから、今日渡せたら良いよね』、とか言ってな」
本来の予定であれば、指輪本体ができるのも、もう少し先になるはずだったのだが、俺の知らない間にユキが職人を急かして、納期を短縮。
その上で、『アジャスト』の付加も頑張ってくれて、今この指輪が揃っているのだ。
ちょいちょい罠を仕掛けるユキではあるが、色々とお世話になっていることは否定できず、なんとも憎めない奴ではある。
「それじゃ、ナオには私が嵌めようかな」
ハルカはもう一つの指輪を手に取り、俺の指に嵌めると、俺の左手と自分の左手を重ねるように握り、並んだ指輪を見て嬉しそうに笑う。
「うん。お揃いだね」
「ペアリングだからな」
当たり前の事を口にした俺に、ハルカが少し不満そうに口を尖らせる。
「むー、もう少しだけ、素敵な言葉が聞きたいかな?」
「飾らない俺が嫌いじゃないんだろ?」
「大丈夫。飾ってるナオも好きだから」
そう言って、何か期待するように俺の顔を覗き込むハルカ。
俺は『ふぅ……』と息を吐くとハルカの左手をそっと握り返し、右手を彼女の頬に添えて、その瞳を見つめる。
「……この指輪が、ハルカの指で輝き続ける限り、俺は自分の持てる力のすべてを以て、お前を守る事を誓う。叶うなら互いの命が尽きるその時まで、輝きが失われないことを、俺は願う」
「……格好つけすぎ。でも嬉しいかな。長い時間になると思うけど、よろしくね?」
「あぁ。よろしく」
俺はハルカと見つめ合い、そして――。
「かぁぁ! 甘酸っぺぇなぁ、おい!」
俺たちの間を裂くように、声が響き渡った。
俺とハルカが、パッと同時にそちらに視線を向けると、そこには玄関前で仁王立ちし、額にペシリと手を当てたユキが天を仰いでいた。
そしてその後ろで、ナツキが申し訳なさそうに、扉の陰から顔を覗かせている。
「ユ、ユキ!? お前、寝てたんじゃないのか!?」
「えぇ、えぇ、寝てたとも! 寝てましたとも! 中途半端に寝ちゃいましたとも! あのままぐっすり、朝まで寝るつもりでしたとも!」
ならそのまま寝ていて欲しかった!
もしくは、目を瞑ってフェードアウトして欲しかった!
覗いていた方には、俺が目を瞑るから!
「でも、目が覚めちゃったら、見に来ざるを得ないじゃないですか! えぇ! ですよねっ! ナツキ!」
「い、いえ、私は、その、ユキに誘われて……。そもそも気付いていませんでしたし……」
バッと振り返り、ビシリと指さされたナツキの方は、焦ったようにブルブルと首を振って否定する。
「じゃあ、なんで……」
「ユ、ユキに誘われて……?」
そりゃユキは知ってるよな。
ユキがお膳立てしたようなもんだし。
「あんまり見たくはなかったんだけどね! でも目が覚めちゃったからね! 気になるんだもん!」
――もしかして、そのために痛飲してたのか?
俺とハルカのアレソレを見ずに、寝て過ごすために。
だがそれなら、パーティーの終わり頃にやるべきだったと思うぞ?
俺たちの各種能力――【頑強】などを考えれば、昼間に飲み過ぎても夜になれば回復するって。
「かぁ~~、羨ましいねぇ! 『お前を守ることを誓う』、あたしも言われてみたいね! ねっ!」
「覗くだけじゃなくて、しっかり聞いていたのかよっ!」
「聞くさ! そりゃ聞くさ! もし手元にスマホがあったら、確実に激写だね! 永久保存版だね! 結婚式にはエフェクトを付けて大画面で上映だね!」
「ヤ・メ・ロ!」
今ほど、ユキの手元にスマホが無い事を感謝した時はない。
そして、似たような道具が無い事にも。
錬金術があるだけに、あり得ないと言えないあたりが怖い。
「せめて、さっきのナオの言葉をしっかりと書き記して――」
「――ユキ?」
静かに響いたハルカの言葉に、ユキの言葉が途切れる。
「今の場面って、私の一生の中でも、かなり重要な場面だったと思うのよ?」
ハルカはとても静かな笑みを浮かべ、ユキに向かって一歩を踏み出す。
「あ、あら? ハルカ、さん? 実は、結構怒ってます?」
エヘヘ、と笑い、小首を傾げるユキに取り合わず、更に一歩進むハルカ。
「そう、人生の最後で走馬灯が浮かぶなら、必ずピックアップされるぐらいに」
走馬灯って……なんだか不穏だな、オイ。
もちろん、平穏にベッドの上で見るかもしれないが、俺たちのような稼業だと、危ない場面で死にかけて見そうなイメージがある。
「えーっと、覗きはともかく、割り込んだのは、ちょっと、やり過ぎだったかも?」
「ナオって照れ屋だから、あんまり直接的な言葉って言ってくれないのよね」
「……覗いたのもマズかったですか?」
ゆっくりと歩みを進めるハルカに、ユキが焦ったように冷や汗を垂らす。
「そんなナオが珍しく言ってくれた言葉。そんな場面を思いっきり破壊されて……」
「あ、謝った方が良いかな? 謝る用意はありますよ? あたし、反省できる人間ですよ?」
腰が引けているユキの前に立ったハルカは、笑顔のまま、しかし冷たさを感じさせる表情で、ユキの両肩をガッシリと掴む。
「――さて、怒らないと思う?」
その後のことは、ユキの名誉のために語るまい。
俺がユキに向かってナムナムと手を合わせていると、苦笑を浮かべたナツキがハルカたちを避けて俺の方に来て、ぺこりと頭を下げた。
「すみません、覗いてしまって」
「あー、ちょい、恥ずかしかったが……それだけだ。気にしなくて良い。ぶち壊したのはユキだし」
「でも、お膳立てしたのも、ユキなんですよね?」
「それな。かなり協力してもらってるからなぁ……正直、俺は怒りづらい」
今日この日、指輪を渡すことができたのも、指に合わせることができたのも、ユキのおかげ。
俺の背中を押したのはユキなのだ。
その事を考えると……。
「我慢できなかったんですよ、きっと。……愛されていますね、ナオくん」
「……幸いな事にな」
「私も……」
「ん?」
「……いえ、今は止めておきます。私は先に戻りますね。ユキとハルカのことはお任せします」
「……任されても困るんだがな」
「何事も経験、ですよ。今後のための」
ナツキは微笑んでそんな事を言うと、俺をその場に残して一人玄関の扉をくぐったのだった。
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