194 依頼とピクニック (2)

 ピニングの東側。

 門から出て、暑さに耐えながら歩くこと30分ほど。

 視線の先には森が見えてきた。

 ラファンで言うなら、北の森よりも南の森に近い、多少人手の入っているように見える森。

 その森の手前には、簡単ながら柵が巡らされていた。

 かなり貧弱な代物で、高さは腰ほど。かなり古くなっていて、一部では腐って崩れている。

 境界を示すという意味では役に立っているが、柵本来の役割としては全く意味は無いだろう。

「このあたりから、問題の土地みたいだな。一応、柵があるし」

「普通に乗り越えられるけどね」

 そんな事を言いながら、ひょいと跳び越えるユキ。

「ミーも! ミーもやる!」

「あ、ミー!」

 ミーティアがユキの後を追ってぴょんと跳び越え、それにメアリが続く。

 ミーティアからすれば少し高い柵なのだが、それを簡単に飛び越えるあたり、やはり運動能力は高い。

 残った俺たちも柵を跨ぎ、森へと入る。

「この森全体が醸造所の私有地なのか……。結構広いな」

「正確には、その後ろにある山も含めて、ね。あと、私有地じゃなくて“独占的使用を認められた土地”ね」

 土地の所有権自体はネーナス子爵にあり、くだんの醸造所はネーナス子爵から許可証を発行されているだけらしい。

 ただそのことが逆に、侵入を躊躇わせる要因にもなっている様だ。

 考えるまでもなく、一般庶民の民家に侵入するのと、貴族の家に侵入するのであれば、当然後者の方が心理的ハードルも高い。

 こんな場所では見とがめる人もいないだろうが、俺たちの持つ入場許可証が無ければ、いきなりバッサリやられても法的には文句が言えないのだ。

 普通は入ろうとは思わないだろう。

「ふー、結構涼しいな。この森の中」

「ですね。森林浴、って感じです」

 森の中に入ると周囲の気温は、明らかに低くなった。

 高く育った木々によって日光が遮られ、その間を歩いていると、時折涼しい風が吹き抜ける。

 地図に記された道の場所は当然として、それ以外の場所もある程度整備を行っているのか、鬱蒼とした印象が無い。

「これだと普通に、観光地として使えそうよね」

「はい。整備されたハイキングコースみたいです」

「目的を考えれば無理だろうけどな」

 元々この森とその後背地にあたる山は、良い水を得るために保護されているのだ。

 そこに人を入れてしまっては本末転倒。何のために整備しているのか解らない。

 俺たちが歩いている道にしても、水を運ぶために作られた物で、散歩道では無いのだ。

 俺の感覚からすれば、ただ水を得るためだけに、これだけの土地を確保するのは無駄に思えるのだが、そこは土地が余っているこの世界。その面ではあまり問題が無いのだろう。

 ただし、整備に関しては人手が必要となるため、そのためのコストもまた、件の醸造所の財政を圧迫しているようだが。

 よくぞまぁ、そこまで拘るものである。

「取りあえず、この道を歩いて行けば目的の取水地……池に着くんだよな?」

「地図に依ればそうね。ちょっと山を登った位置にあるって話だけど……歩いて行きましょうか」

「久しぶりですからね、こういう余暇は」

 普段、森の中に入るときはしっかりと装備に身を固めているのだが、今日の所は普段着に武器を持っただけ。

 もちろん【索敵】で警戒はしているが、今のところ魔物の反応は無い。

 なんだか不思議な気もするが、こちらが普通。

 ラファン周辺が特殊なだけで、実際は魔物のいる森の方が少ないらしい。

 とは言っても、3つに1つぐらいは魔物が生息している様だし、ヴァイプ・ベアーの様に動物に分類されていても危険な生物はいるので、“多くの森は安全”などとはとても言えないのだが。

「ま、今日は半分遊びなんだ。のんびり歩いて行けば良いさ」

「「はい(なの)!」」

 嬉しそうに返事をして、辺りを見回しながら歩くメアリとミーティア。

 街の外に出るという経験自体がほぼ無いという2人にとって、森の中をのんびりと歩けるのは興味深い経験なのだろう。

 そんな2人の後を追うように、俺たちは森の奥から山へと続く道を歩いて行った。


    ◇    ◇    ◇


 山の麓から1時間ほど山道を登ったところにあったのは、直径200メートルほどはありそうな擂り鉢状の穴だった。

 その縁から下を眺めると、底には直径30メートルほどの池があり、その水は深い青に輝いている。

 非常に透明度が高く、水も澄んでいるが、それでも底がよく見えないほどに深い。

「……綺麗」

 感動したように、ポツリとつぶやいたのはナツキ。

 俺も口にこそ出さなかったが、普通の水ではちょっとあり得ないような青色にため息を吐く。

 むしろ何かマズい物が混ざっているのではないかと思えるほどなのだが、あの水を使って長い間エールを作り続けているのだから、多分問題ないのだろう。

 見た目はホント、サファイアブルーでヤバそうにも見えるのだが。

「すっごーい! 綺麗な青なの!」

「真っ青だ!」

 素直に感嘆の声を上げたミーティアとメアリが、池へと続く道を駆け下りていく。

 その後をトーヤが歩いて追いかける。

 森の中なら慌てて止めるところだが、【索敵】に反応は無いし、擂り鉢の中は若干植生が異なるのか、生えている木は疎らで、見通しも良い。

 転けたりすれば怪我をするかもしれないが、魔物とかそっち方面の心配は、必要無さそうである。

「この穴、もしかして火口かしら?」

 周囲を見回していたハルカがそう口にし、ユキもまた同意するように頷く。

「形的には、山腹が噴火で吹き飛んだようにも見えるよね。富士山の宝永火口みたいに」

「規模はずっと小さいですが」

「となると、あの池は、火山の火口から水が湧き出しているって事にならないか?」

「あり得なくは無い、のかしら? 地質学は詳しくないけど」

 俺の疑問に、ハルカが首を捻りながら答える。

 俺も詳しくは無いが、火口に湖ができる事があるのは知っている。

「ですが、火山性と考えれば、あの青さも少し理解できます」

「そうなのか?」

「はい。微生物とかがいない水だとあんな色になる事も。地球にもありますよ? ただそこは、“高温だから”という理由ですが……」

「アレは普通の水っぽいよな?」

「少なくとも、湯気は出てないわね」

 他の原因――例えば強酸性とか、強アルカリ性とか、そんな水であれば生物や植物が生息できず、(見た目だけは)きれいな水になるかもしれないが、まさかそんな水をエール作りに使う事はできないだろう。

 かといって、よく解らない毒とかだと更に困るわけだが。

「取りあえず、下まで降りてみましょ。調査が目的なんだし」

「そうだな」

 俺たち4人が先に下りたトーヤたちを追い、池の側まで行くと、メアリとミーティアが池の水でパシャパシャと遊び、トーヤはその後ろでその様子を見守っていた。

 そんな2人の様子を見て、俺たちも少し頬を緩める。

「連れてきて良かったですね」

「そうね」

 俺たちと出会って以降、泣いたりする様子は見せなかったメアリだったが、その表情は硬いときが多かった。

 それも当然と言えば当然。

 保護者たる父親を突然失い、守るべき妹と2人だけで残されたのだ。

 いくら俺たちが保護してやると言っても、不安は消えなかっただろう。

 だがそれも、ここ数日、俺たちと過ごすことで多少は気を許してくれるようになったのか、少し柔らかい表情を浮かべるようになっていたし、今日は楽しげに笑うことも多い。

「あははは、冷たいの! 気持ち良いの!」

「ナオさん、水、すっごく冷たいですよ!」

 森の中は少し涼しいとは言っても、夏である。

 やはり普通に暑い。

 俺も池の側にしゃがみ込み、水に手を入れると汗が引くほどに冷たい。

「冷たっ! でも結構気持ち良いな」

「ですよね!」

「青いけど青くないの!」

 ミーティアが両手にすくい取った水を見せながら、不思議そうに小首をかしげる。

「水に色が付いているわけじゃないからなぁ」

「そうなの?」

「そうなんだ。青く見える理由は……」

 上から見れば青い水に見えるのだから、疑問としては解る。

 俺たちも青すぎて不思議には思っているのだから。

 原理としては光の関係と理解しているだが、それを説明するとなると……。

「ナツキ、パス」

 悩んだ俺は後ろに来ていたナツキに華麗にスルーパス。

 突然話を振られたナツキは、目を白黒させながらも頭を捻る。

「私ですか!? 説明することはできますが、理解するには結構科学的知識が必要なんですけど……」

 色が見える原理や光の波長、光の吸収など、確かに説明すべき事は多い。

 それを簡単に、しかもそのあたりの知識が無い子供に説明しろと言われても難しいよなぁ。

「えっと、ミーティアちゃん。この池が青く見えるのは、お空が青く見えるのと同じ理由なんですが、ミーティアちゃんは何でお空は青いと思いますか?」

「えっと、えっと……きっと、ずーっと高いところに、青い天井があるの!」

 ある意味、とても子供らしい回答。

 青く見えるんだから、青い物があると考えるのは当然だろう。

「天井かぁ。ちょっと違います。ここにある空気や水も本当はすっごく薄い青色をしているんです。それがたくさん、たくさん集まると、濃く見える様になるんですよ? だから、その凄くたくさん集まった空気が“青い天井”とも言えるかもしれませんね」

「そうなんだ!? すごいの!」

 ナツキの説明に驚いたような声を上げるミーティアと、それを横で聞いて感心した様に頷くメアリ。

 何とか解りやすく説明しようとした感じではあるが……。

「(ハルカ、あの説明って正しいか?)」

「(原理としては、“波長の短い可視光を空気分子が拡散させるから”だから、“空気が青い”というのも間違いとは言えないわね)」

「(普通の色は、“反射”だから“拡散”とはちょっと原理は違うけど、説明はしにくいよねぇ、子供には)」

「(夕焼けとかもあるから、厳密には違うのよね……)」

「ハルカ、ユキ、何か良い説明があるなら聞きますよ?」

 俺たちの内緒話が聞こえていたのか、ナツキが良い笑顔でそんな言葉をかけたが、ハルカは一瞬沈黙して、さらっと話を変えた。

「――さて、池の調査をしましょ」

 ハルカも正確に説明しろと言われればできるのだろうが、それを子供相手に、しかもこの世界の子供が理解できる様に噛み砕いて話せと言われると、ちょっと難しいのだろう。

 少なくとも、短時間でちょっと説明、という話にはならないことは俺にも理解できる。

 そして、ナツキに説明をパスした俺に、言えることは何も無い。

「はぁ……。ミーティア、メアリ。厳密に言うと私の説明は少し違うのですが、正確に説明するととても難しいのです。もし本当に正確なことが知りたければ、よく勉強してください。そうすれば何時か判るかもしれません」

「そうなの? 頑張るの」

「わかりました」

 ナツキの張った予防線に、素直に頷くミーティアとメアリだが、この世界の学問で解るのだろうか?

 そのへん、ちょっと気になるが、それが学習意欲に繋がるなら、ありと言えばありかもしれない。

 そんな事より、今は池の調査である。

「なかなかに不思議な池だよな、これ」

 改めて中を覗き込むと、この池は岸辺から急激に落ち込むように深くなっており、その底は見えない。

 それでいて透明度は高く、少なくとも水深20メートルぐらいの所までは確認できるのだから、その深さはかなりの物である。

 その透明度の高さから、池を覗き込んでいると言うより、まるで何も無い穴を覗き込んでいる様にも感じられ、その深い青色も相まって、吸い込まれてしまいそうな恐怖感すら感じる。

 もちろん、落ちたところで泳げば良いだけであり、普通に足の着かない場所で泳ぐのと違いは無いと解ってはいるのだが……。

「滅茶苦茶綺麗だよね、この水。見た目的には」

 ユキは少し呆れたように、水をすくい取ってはこぼし、キラキラと流れる澄んだ水を眺める。

「だよな。触っても問題ないし、味も……良く判らないな」

 俺もしゃがんで池の水をすくい取り、少し口に含んでみる。

 とても冷たくて美味く感じるのだが、これの何が問題なのだろうか?

「ナオ、大丈夫なの?」

「【頑強】あるし、大丈夫だろ。ヤバかったら、ハルカ、頼むな?」

「その時は治療するけど……トーヤはどう?」

「どれどれ……ん~~、多分だが、僅かに嫌な臭いがする、か?」

 俺と同じように水を飲んだトーヤが、少し首をかしげて言う。

 俺も、もう一度水を飲んでみるが……全く判らん。

「オレの嗅覚で僅かに感じる程度だからなぁ」

「……逆に言えば、くだんの醸造所の職人は、それを感じたって事だよな?」

「そうなるわね。――職人としては本当に優秀なのね。経営者としてはダメでも」

 嗅覚が獣人のトーヤ並みとは考えにくいし、味覚がとんでもなく鋭いのか……?

 いや、その職人が獣人という可能性もゼロでは無いが。

「それじゃ、その臭いが問題だとして。原因は何かしら」

 周囲を見回しても、特に目に付く物は無い。

 判りやすくゴミでも落ちていれば良かった(?)のだが、当然と言うべきか、そんな物は無かった。

「これって、多分、湧き水だよな」

 俺の言葉に頷きつつ、ユキが池の一角を指さす。

「川もあるけど、あれはちょっと小さいよね、この池を維持するには」

 この池に流れ込むのは、小川と呼ぶにも小さすぎるほどの川が1つだけ。

 ついでに言えば、池から流れ出す川も無い。

「水の流出口も、池の中にありそうですね」

「火山性の土地なら、隙間はたくさんありそうだもんねぇ」

 水の供給、排出共に、火山活動でできた空洞によって行われているのなら、川が無くともここまで澄んだ水を湛えている事もあり得なくも無いか?

 だが、そうなると……。

「原因が湧き水にあったら、どうしようも無くね?」

「そうよね。少なくとも、今年の水がどうこう、と言う話じゃ無くなるわね」

 呆れたように言ったトーヤに、ハルカが同意する。

 その言葉を聞いたメアリが、不思議そうに訊ねる。

「そうなんですか?」

「えぇ。湧き水って数年から数十年、下手したら百年レベルで昔の水が湧き出しているの。だから、今から原因を突き止めても、改善されるのはずっと先のことになるのよ」

「大変なの!」

 驚いて両手を挙げるミーティアにほっこりするが、事実それが原因なら、深刻である。

 数十年前に原因があるとするなら、解決はもちろん、その原因を見つけることすら、俺たちには難しいのだから。

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